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死の恐怖症

役に立った:9件
  • 質問者:benny12
  • 投稿日時:2005/11/14 20:56
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今までも全然感じていなかった訳ではありませんが、何故か気になったので、このサイトで「死」を検索し、
でてきたQ&Aを見ていたら怖くなり、「死にたくない」と強く思うようになってしまいました。
普通に仕事したり、遊んだりしてる間にも1時間、1分、1秒とどんどん時が過ぎ、歳を取り、
父や自分が死に近づいているかと思うととても怖くなり、時間が経つのが怖く感じます。
(母は既に亡くなっており、身内の死を経験しているのも、より恐怖を感じている一因ではないかと自分でも思います)
どういう風に考えていけば良いのでしょうか。
メールカウンセリングを受けようかなとも考えていますが、受けた方が良いでしょうか。

死の恐怖症という言葉もネットでカウンセリングについて調べていて分かりました。
調べなければ良かったのですが、そう言っても仕方ないですね…。

この質問への回答は締め切られました。
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:9件)
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  • 回答者:eyruikkio
  • 回答日時:2006/01/23 23:52

私は仏教を信じていますので、そういう観点から意見させて頂きます。

まず、「死の問題」に取り組むことは、人生を真に有意義とするものでありますので、あなたの悩みは、大変に尊いものです。

人は「死」の話をすると、「暗い」といって避けたがりますが、それだけ内心、死を恐れているのです。
建築の偽装が問題になるのも、BSEが問題になるのも、死と直結するからです。
病気、老いが恐い、失敗が恐い、地震が恐い…と言っても、その根底に死があるからです。
死と真正面に向き合うのは、余りにも恐ろしいので、それに衣を着けて問題にします。

しかし、どれだけ「死にたくない」と思い、願っても、100%の人が、100%直面しなければならないのが「死」です。
この世の中で、これほどの矛盾があるでしょうか。
あと100年もすれば、今、地球上に生きている人間は、ほぼ全滅でしょう。
核戦争どころの問題ではありません。

こんな一大事を、なぜ人々は真剣に考えないのでしょうか。
たとえ考えても、線香花火に終わるのは、なぜでしょうか。

すべての人間は、この「死」という問題を、考えないようにして生きていますが、それはごまかしに過ぎません。

よく「後悔しないよう、今の一瞬を精一杯生きよ」と言われますが、では何をしたら、死の問題を解決できるのか、まるでわかりません。
死を目前にした癌患者などには、そう言ったところで、どれほどの希望や勇気を与えられるでしょうか。

宿題を残したままでは、夏休みを心から楽しめないように、「死の問題」をごまかしたままでは、何に打ち込んでも、何に熱中しても、常に不安が付きまといます。


では、私たちの避けられない「死」について、どのように取り組めばいいのか。
それについては、また後ほど意見させて頂きます。

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この回答へのお礼

質問してからかなり経っているのに、ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
続きをお待ちしています。

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2005/11/26 11:56

また、お邪魔します。No.13です。
しつこくて申し訳ありませんが、

>今の自分として生きていて、その自分としてはいずれなくなる訳ですから、そう思うとやっぱりちょっと怖いような…。

への付け足しをさせて下さい。

質問者様が仮に舞台俳優(舞台女優)だとします。
定期的に舞台に立たなくてはなりません。

その舞台とはちょっと特殊で、大体のあらすじが決まっており、登場人物たちも必ず舞台上で死ぬことになっていますが、せりふ、又、細かい進行はすべてアドリブで進みます。

過去の演技暦をもとに、常にチャレンジするような、少し実力より高度な役柄が与えられます。

登場人物になりきって、環境、性格、時代背景全てをしっかりマスターして真剣に演じなければなりません。
あまりにも熱中しすぎて、元の自分をすっかり忘れてしまい、最後の死の場面の舞台上で無念と怨念にとらわれてしまう俳優もいるくらいです。
そういう俳優は、舞台を降りた後もしばらく役柄にとらわれて、なかなか直ぐには元の自分には戻れず、調整期間を必要とします。

又、演技に熱中しすぎて行き詰まり、舞台を途中で放棄する俳優(舞台上で自殺する)もいます。
その人は、舞台から降りた後、義務と責任を果たさず、折角の演技向上のチャンスを自ら潰してしまったことに
大変後悔し落ち込みます。
そして、又同じ役柄に再挑戦しなければならなくなります。又やり直しです。
しかも途中放棄したことによるペネルティーも付いて役柄の条件、環境も前回より厳しいものになります。

中にはもとの自分を常に心の隅において、冷静に、他の俳優の演技にも心を配りながら、皆で協力して楽しい舞台を創り上げることに喜びと幸せを見出す俳優もいます。

舞台上で死んだ俳優はその舞台には二度と上がりません。
元の自分に戻り、観客と一緒に舞台を観賞しながら俳優たちを応援します。
それを参考にしながら、次の舞台への準備を始めます。

さて、この俳優たちは舞台に上る前と後では別人でしょうか?
勿論、舞台の経験により少しは何かが付加されて全く同じ人格とは言えないかもしれませんが、意識的には同じ人ではないでしょうか?

きっと、元の自分に戻った時に
「そうだ、自分とはこういう者だったんだ!」
と、思い出すのではないでしょうか。

お分かりのように、舞台とはこの世で俳優とは霊で、役柄とは人間です。

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この回答へのお礼

何度もご回答頂きありがとうございます。
また、分かり易い例えをありがとうございます。

>さて、この俳優たちは舞台に上る前と後では別人でしょうか?
>勿論、舞台の経験により少しは何かが付加されて全く同じ人格とは言えないかもしれませんが、意識的には同じ人ではないでしょうか?

そう考えれば、確かに同じ人だと思います。

本当に「輪廻転生」なのであれば、多少は怖くなくなるような気はしますが…。
いや、そう信じれば良いのですよね。(^^;;

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2005/11/25 22:26

三たびお邪魔します。No.13です。

前回の「肉体に封じ込められた霊が霊力を制限されてしまう。」という事についての説明に付け足します。

例えば、質問者様が超能力者だとします。
或るとき、或る惑星で、小型の一人乗りの宇宙用ロボットに搭乗しなければならないとします。
決まった期間ずっと乗りっぱなしで降りることは出来ません。
最後に地球に帰るときまでの間、ずっとその中で過ごさなければなりません。

そのロボットにはコンピューター(脳)が組み込まれていて、全ての情報が集められデーター化されます。
それを搭乗者が判断して決定しコンピューターに命令を出します。
するとロボットのアームや足を動かすことが出来ます。

ロボットには光を検知するレンズや音波をキャッチする探知機も付いています。
しかし、その視野や可視光線の範囲、音波のレベルが大変限られており、十分にまわりの状況を捉える事が出来ません。
しかし、分からないので逆に、制限されていることすら気が付きません。

コンピューターも旧式のもので、メモリー容量が少なく色々なデータが集まってもすぐオーバーフローしてしまいます。
情報も、入りきれないものは捨ててしまうしかありません。

さらにアームも足も不精密でやっと何とか動かせていま
す。

ロボットに入る前の搭乗者は行きたいところは思っただけで瞬間移動できる超能力者でしたし、メモリーの容量も無限でした。
ロボットは飛ぶことはおろか、走ることすら短時間でダウンしてしまいます。
又、ロボットは休ませないとすぐオーバ-ヒートしてしまいますが、超能力者は不眠不休でいくらでも活動することが出来ました。
さらに、ロボットには常に燃料を補給しないと動かなくなってしまいますが、超能力者は宇宙空間から波動エネルギーを自然に摂取出来るので、何の制限もありませんでした。

こんなロボットに入って何をしているのかと言いますと、忍耐の実験をしているのです。
色んなタイプのロボットをあらゆる環境においてみてどう対応すれば上手く操縦することが出来るか、搭乗者の精神状態や環境との関係、今までの搭乗したロボットのタイプの経験値、ロボットのタイプによってどういう不自由が起こり、どう処理すればいいか、搭乗者の訓練も含めて実験しているのです。

という仮の話はどうでしょうか?
もうお気付きと思いますが、ロボットとはこの世での肉体、コンピューターとは脳、レンズは目、音波探知機とは耳、アームは勿論腕、足は足です。
そして勿論、搭乗者とは霊のことです。

肉体に入ると霊が制限されてしまうことの例えになっているでしょうか?
少しは参考になったでしょうか?

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この回答への補足

何度もありがとうございます。
分かりやすい例え話をありがとうございました。
肉体に入ると霊が制限されてしまうことの意味が少なからず分かったような気がします。

本当にこれが事実で、霊はずっと生きているのであれば、多少は怖くなくなりますが、
今の自分として生きていて、その自分としてはいずれなくなる訳ですから、そう思うとやっぱりちょっと怖いような…。(^^;;

この回答へのお礼

すみません、お礼を補足欄に書いてしまいました(^^;;

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2005/11/22 22:50

No.13です。
いくつかのご質問にお答えします。

輪廻転生については様々なパターンがあり、狭いスペースでは説明仕切れないので、もし興味がお有りでしたらいくらでもそれに関する本が出てますので、それを読まれることを勧めます。

「神との対話」サンマーク出版
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
「前世療法」PHP研究所
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …

などがあります。
生まれ変わるから楽になるのではなく、生まれ変わって、自分を向上させることが将来の自分を楽にするのです。
例え生まれ変わっても、悪事の限りを尽くすならば、人生は「因果応報」により益々辛くなるばかりです。

又生まれるからと安心ばかりはしていられません。
現在の自分自身の行為が「善意」と「奉仕」にシフトしていて初めて来世も悪くはならないと安心できるのです。(因果応報の法則によって)

質問者様は自分の前世が分からないことに恐怖を感じますか?
死後どうなるかが分からないから恐怖を感じるのではないですか?
でしたら、前世を無理に知る必要は無いのではないですか。
むしろ、来世がより良くなるように心掛けることで安心できるのではないですか。

ただ、自分の前世が知りたいならば、現在の自分が何によって苦労をしているのかを深く追求すれば大体の前世の自分の生き方が分かってきます。
それで十分ではないでしょうか。

何故肉体に封じこめられると霊が不自由になるかというと、
霊界とは「想念の世界」なのです。つまり、心で思念したことが即実現する世界です。
ところが、この世は物質が介在しているので思念が実現するには時間と距離と物質によって制限されてしまいます。
しかも、霊とは振動するエネルギーの存在なのですが、振動数が高いままでは物質界にリンク出来ないので(この説明については物理学者が研究して発見した本も色々出ていますが、省略します。)振動をどんどん物質に融合できる状態まで落としています。
エネルギーの振動を下げるということは、波動が暗くなるということで、その霊が獲得した霊格の高さを下げなければいけないということです。
従って、獲得した霊性も犠牲にしなければならないのです。
だから能力が下がるのです。
(中には前世をしっかり覚えている人も居るようですよ。)

しかし新しい経験により新たな向上(自分がいままで苦手としていた分野で新しく悟り苦しまなくなるということ)の可能性があるのでチャレンジするのです。

「自殺」をすることがどんなに本人にとってマイナスかは先にのべたとおりです。(No.13)
例え、今の自分が、どんなにいやでも、そのいやな部分こそ現在の自分の取組まなければならない課題なので、その課題を放棄したくて自殺しても、又同じようないやな部分を持った運命がまっているだけです。
それがその人の現在の負の因縁ですから乗り越えない限り消えることはありません。
先伸ばしにするだけです。
つまり追試を受けるということです。

さらに、自殺して放棄した分、より強烈にマイナスの体験をしなければならなくなるだけです。
それが因果応報の法則ですから。

これで十分に説明しきれているでしょうか?
説明が伝われば幸いです。

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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>質問者様は自分の前世が分からないことに恐怖を感じますか?
>死後どうなるかが分からないから恐怖を感じるのではないですか?
>でしたら、前世を無理に知る必要は無いのではないですか。

おっしゃる通りです。
前世よりも、死後どうなるかが分からないから恐怖を感じるのだと思います。
どうなるか分からないというより、何も無くなるのでしょうから。

肉体に封じこめられると霊が不自由になる事もご説明頂きありがとうございました。
かなり難しいお話ですね。(^^;;

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2005/11/22 01:43

「死の恐怖」は死後のことが分からないから起こる感情だと思います。

私も死後だけでなく人生とは何かということにも大変興味があったので・ん十年もそのことについて色々な本を読んだり、調べたりしてきました。

今ではある確信の持てる結論に達しています。
今から述べることが参考になれば、幸いです。

人が死ぬと「この世」から「あの世」に移ります。
俗に言う「死後の世界」です。

死後の世界では肉体が無いので世間一般で言うところの「霊体」になっています。
実は、人間は死後に「霊」になるのではなく、生前も死後もいつも「霊」なのです。
生前とは「肉体に封じ込められた霊」であり、死後は「肉体という檻から開放された霊」なのです。

なぜわざわざ不自由な肉体をまとうかといえば、肉体でなければ経験できない貴重な体験を経験することによって自分というものがよく分かるようになり、魂が早く向上出来るからなのです。

なぜ魂を向上させたいのかと言えば、霊的に高い魂は死後、自分にあった(同じレベルの)高い境涯に行くことが出来、高ければ高い程、えもいわれぬ幸せな世界で同じ高い魂を持った霊たちとまさに天国のような世界を築いて、至福の喜びに浸ることができるからです。

つまり私たちの本来の世界は霊界であり、この世とは一時的な世界であり、「修行の場」なのです。
修行をする場なので苦しい体験を沢山するのです。
その中から何かを学んでいかなければなりません。

苦しい体験の中には必ず自分自身を鍛え、磨き、レベルを上げる(何かを悟り、視野を拡大し、もうそのことでは苦しまなくなる)ための種が埋もれています。
苦しさの中からその種を見つけ出さねばなりません。

つまり、どんなに苦しい、辛い体験をしても、その体験がきっと自分の魂の向上につながるであろうことを信じ、確信して前向きに何かを学びとろうと心掛けていれば、必ず「何かの発見」、「視野の拡大」、「思考の転換」、「悟り」を体験し、苦しみが軽減し、同じように苦しんでいる他者に対して思いやりに満ちた霊性の高い人へと進化していくのです。

人は「輪廻転生」の様々な生まれ変わりの中で色々な体験を積んで行き、ベテランの霊に変身して行くのです。
だから、人生は一度きりなどではなく、何度でも気が済むまで生まれ変わります。
肉体に閉じ込められて霊としての霊力を封じこめられてしまい、すっかり忘れているだけです。

肉体の経験を必要としない位まで進化向上すると、今度は霊として、霊界でさらなる研鑽を積み、さらに向上していきます。

色々な経験が起こり、生まれつき障害を持っていたり、早死にしたり、親に早く先立たれたり、事故死したり、戦争や地震に巻き込まれたりするのです。

もし、この苦しさに負けて自殺をするともっと苦しい状況が待っています。
果実を熟さない(天寿を全うしない)うちにもぎ取ってしまうと、(自殺すると)食べられません。(持って帰れるはずの手柄が無くなったということ)
さらに、自殺をした時の苦しい状況からなかなか抜け出せなくなります。

この宇宙は「原因と結果の法則」で動いており、全て起こることには原因があり、偶然ということはありません。
しかし、その法則はあまりにも複雑でむつかし過ぎるので、人にはなかなかわかりません。

ただ、その中のごく分かりやすいことを昔の人は「天罰が当たる」とか「罰が当たった」とか表現したのでしょう。

過去生と現世の今までの行いによって現在の自分の環境、才能、運命が形作られ、現世生の行いによって来世意の自分が形作られていきます。

ですから未来の自分のために、前向きな、他者を決してないがしろにしない奉仕に喜びを感じるような人生を作っていかなければならないのです。
それが一番自分の幸福への近道なのです。

他者をないがしろにする人は将来、他者より冷たい仕打ちをうけます。
他者を救い、助けた人は将来救われ、助けられます。

これが原因と結果の法則であり、+とーが複雑に絡み合うのでもう人智をはるかに超え、理解不能になってしまいます。

このように、死とは決して恐れたり、怖がったりするものではありません。
自然の営みです。一生懸命に生きた人にとってはむしろ苦しかった人生に対するご褒美のようなものです。
最後まで、自殺することなく、自分の課題を全うした人は楽しみにしても良いくらいです。

そんな人にとっては死とは自由への開放であり、喜びです。
残された人が知らずに悲しんでいるだけです。

如何ですか?少しはお役に立ったでしょうか?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人は「輪廻転生」の様々な生まれ変わりの中で色々な体験を積んで行き、ベテランの霊に変身して行くのです。
>だから、人生は一度きりなどではなく、何度でも気が済むまで生まれ変わります。

確かに人は生まれ変わるという説もあるでしょう。
そう考えれば多少は楽になるような気もしますが、次に生まれるのがいつどこでなのか分かりませんし、
今の自分の事も全然知らない状態で生まれるのですから、あまり楽にならない気もします。
だって、今の自分が昔の誰かの生まれ変わりだとしても、どこの誰だったのか全く検討もつきませんからね。(^^;;
占いとかで見てもらうと、前世は…と言われる場合もあるでしょうが。

>肉体に閉じ込められて霊としての霊力を封じこめられてしまい、すっかり忘れているだけです。

何で「肉体に閉じ込められて霊としての霊力を封じこめられてしま」うのでしょう?
まあ、前世の事を全部覚えていてもそれはそれで怖いような気もしますが、それなら生まれ変わる事も分かってるので怖くないかも。(^^;;
でも、そういう事になっていたら、今の自分が嫌で新しい自分に生まれ変わりたいと思って、すぐに自殺する人が多くなるかもしれませんね。

>この宇宙は「原因と結果の法則」で動いており、全て起こることには原因があり、偶然ということはありません。

死の恐怖症になったのとは関係ありませんが、昔からそう感じる事があります。

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  • 回答者:gunto
  • 回答日時:2005/11/21 11:47

死の恐怖は生きてたら、誰もが考える答えの無い、無限大の問題です。
私も中学時代からずーと考えてきてます。
で、最近はこう考えてます。
歴史上のどんな偉い人も、有名人も皆死んでる。
私だけが死なないわけはあり得ない。
私の母も死んだ。
でもあの死に顔の美しさは、たぶん死は気持ちいいものなんだと教えてくれた。
死んでしまったら、自分の意識はないのだから、今恐れてるのは妄想にすぎない。
だから今、怖がってる自分と死んだ自分は別の人間。
死んでしまったら、何も感じないのだから、何も怖がる必要はない。
無意識に寝てるのと同じ状態。
考えたら1日に一回は毎日、死んでると同じ。
無意識なんだから。
今動ける体と、考える頭があるのだから、怖がったり悩んだりするのでなくて、自分の頭脳で常に考え続けると、面白い発見が出来ると考える。
この世で常に熱中出来るものに自分を置く。
そうするとそっちに興味が行くから、死なんて考える暇がなくなる。
そんな妄想で悩むのは無意味と考える。
死んだら自分は居ないのだから、今現実の自分とは別の人間。
つまり今生きてる自分は「意識できる人間」
死んだ自分は「無意識の人間」
だから無意識の自分なんか知った事じゃない。
と考える。
2年前に世界一大好きな母が亡くなった時、こう考えました。
「ああ~母は私がこの世に生まれる時、もう既に待っていてくれて、私が死ぬ時も、あの世で待っていてくれるんだなあ~私は幸せだあ~、そんな母が待っててくれるんだから、何も怖くないや~」って考えると心強いです^^

それに母の遺書には「我が人生悔いは無し!皆有難う!」って遺書がありました。
私はこの強い母が居るから、死ぬのなんて怖くないです。
人間はみんな死ぬのが宿命なんだとそのまま素直に受け止めればいいだけです。
太陽が毎朝出て、沈む。
当たり前の事です。
だから生きてる限りは、自分のプライドにかけて頭を使って、幸せになるよう持って行けばいいのです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>無意識に寝てるのと同じ状態。
>考えたら1日に一回は毎日、死んでると同じ。
>無意識なんだから。

そうなんですよね。私もそれは気付きました。
確かに寝ている時は無意識だから、痛くも痒くも怖くも悲しくもないんですよね。

>今動ける体と、考える頭があるのだから、怖がったり悩んだりするのでなくて、自分の頭脳で常に考え続けると、面白い発見が出来ると考える。
>この世で常に熱中出来るものに自分を置く。
>そうするとそっちに興味が行くから、死なんて考える暇がなくなる。

その通りですね。早くそうなりたいです。(^^;;

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  • 回答者:chupaku
  • 回答日時:2005/11/16 20:19

「死にたくない」理由はまだやりたい事が山ほどあるからですか?
したい事があるのに出来ていないから。

生きている事自体が修行(つらい事)ですから。

つらい事や苦しい事をたくさん乗り越えなければ、もしくはその反対にどうにもこうにも努力しないで、突き放されなければ、死は来ないと思います。

自分が死んだ時に何人の人が心から悲しんでくれるのでしょうか?
もっとこの人と時を過ごしたかったと思ってくれるのでしょうか?
もっともっとあなたと話をしたいと、人に思われる位、魅力的な人間性を身に付けましょう。

自分勝手に生きていてはそれは無理ですよね。

本を読んだり、人の話を聞いたり、自分の肥やしになる
事をして、考えて生きましょう。
一人一人を大切に丁寧に接しましょう。

いつ死ぬかわからないし、死ぬのが怖いのならそれができると思います。
上手に死ぬ為の準備をしましょう。

それに気がつくきっかけだったのでしょう。
まだまだきっと十分間に合います。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「死にたくない」理由はまだやりたい事が山ほどあるからですか?

昔から、"やりたい事"と言えるような夢があった訳ではありません。
もちろんつらい事もたくさんありますが、楽しい事もありますよね。
ずっと今の生活や昔の生活をしていたいです。(全ての物事が同じ状態のままとまでは思いませんが…)
まだこう思うのは早いのでしょうが、"死"が近くなっている訳ですから歳を取るのもイヤだなぁと感じます(^^;;

>つらい事や苦しい事をたくさん乗り越えなければ、もしくはその反対にどうにもこうにも努力しないで、突き放されなければ、死は来ないと思います。

そうなのでしょうかね。
若くして亡くなられる方もいらっしゃるので、いつ来るか分からない不安があります。
平均寿命までまだあと数十年ありますが、それまで確実に生きられる事が分かれば、多少は安心するのですが…(^^;;

>自分が死んだ時に何人の人が心から悲しんでくれるのでしょうか?

これは時々考えますけど、ごく少数でしょうね、たぶん…。

>もっともっとあなたと話をしたいと、人に思われる位、魅力的な人間性を身に付けましょう。

そうですね、がんばります。

>いつ死ぬかわからないし、死ぬのが怖いのならそれができると思います。
>上手に死ぬ為の準備をしましょう。
>
>それに気がつくきっかけだったのでしょう。

そうかもしれませんね。でも、そのきっかけにしてはまだ早かったんじゃないかなぁ。
まあ、それだけ準備する時間が多くある(はず)という事ですよね(^^;;

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  • 回答者:kuroiso
  • 回答日時:2005/11/15 22:44

私はウツを自覚していない時、衝動的に猛スピードで走って来るトラックを見たら死にたくなり、飛び込みました。25メートル飛ばされたのに、鎖骨一本骨折しただけでした。警察官の方から死んでも全く不思議じゃない事故だったから、この先の人生大事にしなさい。と言われました。嘘の様ですが、意識が無い時、事故で倒れて人に囲まれて救急車の中に運ばれている自分をみてました。それと痛みを感じる所か、人生最高の快感というかとても心地良かったです。だから私はそれ以降死ぬ事が怖くなくなりました。人生なかなか自分らしくとか思い通りに生きられませんが、後悔の無い人生を心がけられたらいかかでしょうか?

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すごい体験をされたのですね。

>人生なかなか自分らしくとか思い通りに生きられませんが、後悔の無い人生を心がけられたらいかかでしょうか?

そうですね。後悔の無い人生を心掛けたいと思います。

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  • 回答者:Syo-ya
  • 回答日時:2005/11/15 18:48

再度の#8です、追記します。
死の恐怖は、パニック障害の場合もあります。
http://www.utu-net.com/panicr/about03.html
私の場合は、呼吸が苦しくなったり、発狂しそうになったり、身体に強い影響がでてましたから、明らかにパニック障害でした。
ですから、あまり酷いようでしたら、パニックを疑ってみてください。

それでも、やはり、心の問題の起因は、日頃の「自分の心」にあると想います。ですからやはり坐禅、ヴィパッサナー瞑想・・等をして精神統一して、心のコントロールをする平常心を養うことが重要になってくると想います。
ご参考までに。

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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>私の場合は、呼吸が苦しくなったり、発狂しそうになったり、身体に強い影響がでてましたから、明らかにパニック障害でした。
>ですから、あまり酷いようでしたら、パニックを疑ってみてください。

そういった症状は出ていません。
何かに夢中になってる時はこのような不安も感じませんが、ふと我にかえった時に、考えてしまうのです…。

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  • 回答者:Syo-ya
  • 回答日時:2005/11/15 07:52

死の恐怖は「タナトフォビア」といわれていて、私もなりました。
貴族病ともいわれていて、生活に四苦八苦していない休職中、失職中、金持ち中に起こりやすいんだそうです。
つまり、死に深く思いを馳せるというのは、それだけ暇ということになります。

今日、一日を生きるのに精一杯であれば、死ぬことさえも忘れてしまうんです。

皮肉なものですが、「武士」というのは、まさに死ぬのが商売の戦闘屋さんですから、常に死を覚悟していたんだそうです。
「覚悟」とは「覚める、悟る」ですよね。。。
今、この瞬間だけを懸命に生きる、今、此処の自分を生きることなんです。


「葉隠れ」という武士道を説いたものには「武士道とは死ぬこととみたり」とあります。
それは、死を恐れないという以前に、日頃から、悟りながら生きるということなんだと想います。
迷いの無い、覚悟をもった生き方。
常に、今、この瞬間に全力投球する生き方ということになると想います。

それは、つまり「貴族的生活」とは逆の生活なんです。
貴族的ということは、欲望に生きる生き方と言えると想います。
だって、常に死と隣り合わせだったら、「所有」にもこだわらないんです。
5分後に死ぬかも知れないという覚悟を持った人間は「来年はあれを買おう」・・とはならないんです。欲望に振り回されることがなくなって、「小欲知足」の生活になってくると想うんです。

「足るを知る心」ということは、「今、此処」に満足している暮らしです。
逆に、生活に不平不満だらけということは、「今、此処」に生きていないということなんです。
「心、此処に在らず」ということになるんです。

だから、死の恐怖に取り付かれたりしてしまうんです。
自分のことも振り返ってみると、確かに、一種の贅沢病であったと想っています。


神経症治療の森田療法でも「今、此処の自分」「今、此処に生きる」「ありのままを生きる」ということを重視します。
もっと遡れば、武士道、さらには仏教の教えでもあるんです。

「今、この瞬間だけを精一杯生きろ」という単純だけど、難しい教えです。

ところが心が病に侵されたりすると、一日を無為に過ごすようになってしまうので、死の恐怖も加速されたりするんです。

もし、質問者さまも、精神的に不安定であることが一因にあるのでしたら、坐禅や合気道、剣道、太極拳・・等の「精神統一」をするものをして「平常心」を養うことをお勧めします。

無一物無尽蔵といって、心が「無」になると、自分でも信じられないくらいの力が湧いて出てきます。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>貴族病ともいわれていて、生活に四苦八苦していない休職中、失職中、金持ち中に起こりやすいんだそうです。
>つまり、死に深く思いを馳せるというのは、それだけ暇ということになります。

確かに考える余裕もない程忙しかったら、考える事もないでしょうね。
私は普通に仕事していますが、帰りが遅くなる事も少ないし、時間のある方かもしれません。
趣味は多い方だと自負しているのですが…(^^;;

>もし、質問者さまも、精神的に不安定であることが一因にあるのでしたら、坐禅や合気道、剣道、太極拳・・等の「精神統一」をするものをして「平常心」を養うことをお勧めします。

昔から考え込むタイプですが、"坐禅や合気道、剣道、太極拳"をやりたいとは思いませんが、
やりたいか否かではなく、やらないといけないのですよね…。

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