吉田新田を作る前の村の人々の願い
学校の授業でいま調べてます。でもみんな同じ検索結果しかでません。詳しく教えてほしいです
吉田新田…横浜の方でしょうか?
当時は各地で新田開発がブームであり、その流れに便乗したのだと思います。
江戸時代は大名の力も石高(領地の米の取れ高)で表すように、米というのは、いまの貨幣と同じような経済の指標でした。まあ米が取れれば取れるほど、地域の経済も潤うし、幕府としても有難い訳です。
吉田新田を作った吉田勘兵衛は大阪生まれ、ということは、天下の台所の大阪は堂島の米市場などに代表されるように、当時は日本の米相場の中心、つまりは米を中心に考えた場合の日本経済の中心だった訳で、吉田が米、つまり新田開発に関心を持ったのは吉田が大阪生まれという事が大きいと思います。
吉田はその後、江戸に出てきて商人になっています。木材石材商になり、幕府に納材をしています。ここで幕府とのコネが出来た。こういうコネがないと、吉田に新田開発許可が下りません。吉田は横浜の吉田新田より前に、南千住で新田開発に成功しています。しかし南千住は米の取れ高が千石に達しなかった。吉田が千石にこだわったのは、幕府は千石以上の新田開発をした人には神社の建立を認めていた、という事があり、商人としてもう巨万の富を得た吉田は、次は後世に残る神社の建立者としての名誉が欲しかった訳です。
吉田が見つけたのが横浜村近くの入り海。埋め立てて新田にするには格好の土地、しかも千石は確実、という訳です。横浜村は当時は陸田でしたが、村民の暮らし向きは楽な方で、必ずしも新田を作らないといけない必要性はありませんでした。が、当時は水田はないよりもあった方がいいというものでしたので、幕府の許可に吉田というスポンサーがつくなら、村民も異議があろう筈がありません。こうして吉田新田開発が始まったのでした。
この回答へのお礼
こんなに詳しく教えてくれてありがとうございました。横浜にすんでます。今地元の歴史を調べる授業でやってます。みんなにも教えてあげようと思います。ありがとうございました
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