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征韓論が決まったときに岩倉使節団が帰国して、反対したと聞きました。
国内の政治(中央集権国家)がまだ確立していないから、内治優先で
征韓論は取りやめになったんですよね?

国内の政治と、征韓論を同時進行したりすることは出来なかったのでしょうか?

A 回答 (1件)

内治優先とかいうよりも岩倉使節団などの洋行組と留守組の考え方の違いや感情的なもつれが征韓論の対立の大きな原因でした。


岩倉使節団が出発するときに、使節団が帰ってくるまでは政府の体制は変えず政策も変更しないとの約束があったにもかかわらず、江藤新平などが参議になり(それまでは大久保ですら参議ではない)、政策も江藤主導で出発前とは大きく変更されていました。
そのため江藤・板垣などの思惑をつぶすためにわざとほぼ決まっていた征韓論を強引につぶしたというのが真相です。
ですからそのようなもつれがなければ同時進行ということもありえたかもわかりません。
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