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こんにちは。
先日、こちらに家族のことで質問させて頂きました。(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1805184)前回の質問の通り、うちの家庭はあんまり良い状態とは言えません。始まりは、父が実の姉を亡くしたことかもしれません。

そこで自分を抑えるようになって必死に頑張ってきた父。叔母の子供を引き取り、自分の子供と一緒に育てていく上で様々な心労が重なり、病気になってしまった母。幼い頃から私と学力やいろんなことを較べられ、けして弱音を吐かないが、やはり体の調子を崩している姉。娘を失って、ずっとその苦しみを引きずっている祖父母。

みんな(私も含めて)どんなに最悪でも、何が起こっても必死に頑張って来ました。私は大切な人を亡くしたことが無いから、父や祖父母の悲しみは分かんないです。私は小さい頃から色々な人が悲しんだり、傷ついている姿を嫌と言う程見てきました。だけど誰も守れなかった。実際に、私の力ではどうすることもできないものがありました。今度は父までもが…精神的に参っています。

私は自分がうつ病で最悪だったときも、辛いことを乗り越えてきました。死にたいと思った時もあったけど、今生きてます。でも思うんです。誰にでも分からない心の痛みや辛さを抱えながら、たくさん壁を越えていったら、そうして何か得られますか?優しさ?他人に対して寛容になれる心?

私はそんなものいらないです。時間が解決してくれる、とある人に言われました。でもそんなことじゃなくて、今目の前で苦しんでいる人を少しでも助けられる力が欲しい。頑張った分その分だけ報われることは無いけど、でも少し位報われても良いじゃないですか。もしこの世で自分が一番の悲劇のヒロインぶってる、とか思われても結構です。ただ普通に家族で仲良く暮らせたら、と思うのはわがままですか。
これで他人を羨んでしまう私は、やっぱり醜いでしょうか。

A 回答 (9件)

かなり深刻な状況にあることをお察しいたします。

当たり障りのないコメントもできるとは思いますが、根本的な解決をされないと、今後同じように苦しみ、同じように、ここに質問を繰り返すであろうと思われるので、少々手厳しいアドバイスになろうかと思いますが、ご容赦下さい。厳しすぎると思われたなら、一参考意見として受け取って下さい。

>私は自分がうつ病で最悪だったときも、辛いことを乗り越えてきました。死にたいと思った時もあったけど、今生きてます。でも思うんです。誰にでも分からない心の痛みや辛さを抱えながら、たくさん壁を越えていったら、そうして何か得られますか?

何か得られますか?、との事ですが、これは「私は今まで、孤軍奮闘頑張ってきたのだから、いいかげん幸せを頂戴!」、というように感じます。これだけ頑張ってきたのに、全然幸せになれない。なぜ私だけ不幸なのか、この不幸の原因は私ではなく、他にあるはず、家族にある、社会にある、との思いになっていないでしょうか。人間は環境に支配されやすい動物ですから、どうしても環境(家庭環境)が悪いと、そちらに注意が向き、そちらが気になります。ですから、自分が何者で、どういう性格で、どういう事を普段考えているのか、という事に対して、おろそかになりがちです。

ここで考えていただきたいのは、自分の人生は、自分でしか作り上げる事はできない、という事実です。親も兄弟も親戚もいない天涯孤独の人も世の中には一杯います。そういった人は、自分の人生を自分の力だけを当てにして、自分で切り開いて生きています。家族のせい、にして自分の身の不幸を言っても、自分の人生は一向に変わりませんし、変わるはずはありません。自分の人生を充実させるには、自分自身をまずは知り、そして、今の自分と決別して、変わっていくしかありません。そこで、もし自分が変わっていければ、周りにいる人達、つまり家族にも良い影響を与え、家族の不幸も少しずつだとは思いますが、好転していくと思います。

人は、なんであんな親の所に生まれたんだ、とか、生んでくれと言った覚えはない、とか、を不幸な状態の時に、親に言ったり、心で思ったりします。しかし、実際は、親をわざわざ選んで、我々は生まれてくるのです。今、約64億人地球上に人類はいますが、他の両親のところに生まれてきても不思議ではないのに、なぜ今の両親に生まれてきたのか、というと、それは自分自身が選んだからなのです。

人は何か自分に災いが起きると、よく人のせい、他人のせい、にして自分の責任を回避しようとします。また、言い訳もよく使います。ただ、責任転嫁した場合、その記憶というものは、簡単に消えるものでしょうか。結論から言うと、責任回避をすると、その記憶は一生残ってしまうものです。潜在意識下に落ち、仮の状態で忘れてしまうのですが、何かのきっかけで思い出す事はよくあることです。ところが、自分の責任であると、非を認め、受け入れるとするならば、後に引きずる事もなく、記憶に悪いイメージとして残る事はありません。潔い決断であった、との前向きな記憶が残るものです。まずは、何か災いや嫌な感情になった時は、自分の過去のふるまい、言動、行動、で反省すべき点はなかったろうか、と振り返ってみて下さい。そこで、自分に少しでも非が見つかったなら、他人のせいにするのではなく、自分の責任と認め、素直に受け入れる事です。そうすれば、「な~んだ、これって私のせいだったのか、それなら怒っても仕方がない。」と受け入れられます。自分のせいなのに、怒る人は、そうそういませんから。

人間は、キレイな存在ではありません。心の奥底では人に話せないような、とんでもない事を考えたりしています。あの人、バナナの皮に乗って転んで頭打てばいいのよ、あんな人、海に溺れてしまえばいいのよ、あの人、破局して悲しみに落ちればいいのよ、など、キレイな事とは真逆なキタナイ事を、平気で考えたりしています。これは、異常な状態でしょうか。正直、こういった思いは、誰しも持つもので、特別ではありません。人間は、不浄(汚い)な存在なのです。まずは、自分に対しても、他人に対しても、そういうもんだな、との認識の元、自分をしっかり観察してみて下さい。決して、自分や他人を卑下したり、馬鹿にせよ、という短絡的な意味ではありません。そういう愚かしい自分を知った上で、人に対してどういった善い事ができるのか、どういう優しい行いや優しい言葉をかけられるのか、が大切です。また、人と接する中で、どんな思いを抱いているのか、どんな感情になっているのか、どんな事を本当は伝えたいのか、をしっかり見ていく事で、己が分かってきます。自分が分かってくると、今度は自信も沸いてきて、周りに配慮するという余裕も出てきます。

人は、死んでいく時、何も持っていく事はできません。お金、家族、財産、家、等々、何も持っていくことはできません。つまり、人生は、一人旅であり、何をあてにするのではなく、自分をあてにするしかないのです。その為には、まずは自分自身をよく見つめていって下さい。決して、自分を追いつめよ、という意味ではなく、冷静に客観的に観察して、自分を発見し、前向きに生きていって下さい、という事です。

私の過去の回答例も参考にして下さい。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1816977
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この回答へのお礼

どうも、しっかりと読ませて頂きました。

正直ぐさぐさと心に突き刺さってくるものばかりで、現実を突きつけられたような気がします。いや、かえってそちらの方が有難いです。私は「辛い。悲しくてしょうがない。どうしよう。」と泣き叫ぶ、自分では何もできない子供のようなことを言っていますね。情けないです。

>これだけ頑張ってきたのに、全然幸せになれない。なぜ私だけ不幸なのか、この不幸の原因は私ではなく、他にあるはず、家族にある、社会にある

私の心の一部がそのまま書かれていて、正直驚きました(笑)今更隠してもしょうがないですね。はい、そう思う自分が確かに居ます。
自分の人生を作り上げるのは、自分しかいないのですね。重い言葉です。どんな環境や境遇に遭っていても、自分で切り開かなければ前へは進めない…。これを今自分自身に問いかけてみました。

「私は自分の力を信じて、何か少しでもしようとしたか?」

答えは「ノー」です。
私は自分自身にはけして何もできないし、これから先もそれは変わらないと思い込んでいます。随分それで昨日悩みました。このままではいけない、変わらなくてはいけないと。

そうして物凄く辛かったけれど、今までの自分と、何が起こってきたのかという事実を受け入れることにしました。泣くことや弱音を吐くことを抑えるのではなくて、そういうときもあっても良いけど、きちんと前を向いていこうよと思えるようになりました。

どんなに絆の強い家族でさえ、結局は他人同士(個人っていう意味です)なのですからね。私が自分のことをしっかり支えなくて、どうするんだ!って感じです。

おかげさまで今はすっきりしています。
これからは具体的に自分が何をしてゆくのか、それを冷静に考えながら、また自分自身で決断しながら生きていこうと思います。

本当にありがとうございました!!

お礼日時:2005/12/07 09:46

#3です。

かなり厳しい指摘が多い中、真剣に真摯に、しかも素直に読んでいただき、ありがとうございました。なかなか、文章だけで、伝えるというのは難しい事なのですが、リスクを承知で敢えて伝えている次第です。質問者さんが、かなり前向きに捉えてらっしゃるのが分かりましたので、僭越ながら、補足をさせて頂きたいと思います。正直、高校3年生であるというのは分からない中、前回回答しましたので、難しい点が多々あったかと思います。

人生において、「他人のせい」にしてしまう事は本当によくあります。口では、私のせいです、反省しています、と言ったとしても、心の奥底から、私のせいだ、とはなかなか認めにくいものです。これを明快に教えてくれる法則があるのですが、それは因果の道理という法則です。下記サイトを参照して下さい。http://www.get5.net/japan/i/ikikata_2.htm

物事には必ず原因があり、その原因が元で結果が生まれる、という法則です。蒔いた種は、必ず生える、というものです。例えば、飛行機が墜落したとします。そうするとどうするのか、というと、落ちた原因を探る為に、現地に行き、調査をします。ボイスレコーダーとかを回収し、事故の原因を究明します。それで、原因が分かると、その原因を元に改善をし、二度とその原因が起きないように対処します。こうして、科学は進歩してきています。つまり、科学の分野においては、この因果の道理は当たり前のように使われ、その恩恵を我々人類は受けているのです。

例えば、日常で友達が急によそよそしくなったとします。自分には思い当たる節がありません。しかし、よくよく過去を振り返り考えてみると、その人が気にしている事をついつい調子に乗って、暴言という形で言ってしまったり、自分はあまり気づかないのだけれども、我が儘な態度や発言を連発していたり、というのがあったりします。友達がよそよそしくなる、という結果は、自分の悪いふるまい、という原因によってもたらされている、というのが分かると思います。それを、友達の受け止め方が悪いんだ、では、人間関係はうまくいきませんし、人を恨む癖がつき、常に人のせい、という思考ができあがってしまいます。

私も最近、この因果の道理に背いて、イライラしていた事がありました。ある出来事で叱られました。納得いかず、イライラして相手のせいにしてました。ところが、ある時、自分の考えが誰よりも一番正しい、という考え方に自分が縛られていて、それで相手を責めていた事が分かりました。自分は決して正しい事ばかり言っていない、そんな偉い人間ではない、と知った時、自分のせいで、その出来事が起きた事が分かり、自分を反省するに至りました。自分の過去のふるまいが、まさに原因だったのです。

親との関係も、この法則でお話ができます。例えば、自分の考えやものの捉え方が歪んでいるとします。これは、原因です。そして、親がある時、怒りを持って叱ってきたとします。これを縁とします。その結果、自分は、精神的に苦しむ状態である「うつ」になったとします。ここで、縁、という単語が出てきましたが、これは元々自分が持っている原因に対して、親が縁という位置づけで、近寄って来て、この原因と縁がくっついて、たまたま結果が出てくる、という意味です。少々難しい話ですが、親は縁であり、原因にはなりえない、つまり親は根本原因ではない、という事です。

縁を説明する為に一例を挙げます。ある人が酒飲みの因子(原因)を持っているとします。その人が結果としてアルコール依存症になる為には、どうすればいいでしょうか?無人島にいて、その人はアルコール依存症になれるでしょうか。その人が、自ら酒を飲んだり、宴会に誘われて、参加したり、冷蔵庫にたんまり酒を買い置きしたりしていれば、もしかしたら、最終的にアルコール依存症になるかもしれません。しかし、酒との縁を自ら切り、遠ざけていたならば、その人はたとえ酒飲みの因子(原因)を持っていようとも、アルコール依存症にはならないでしょう。自分を本当に知っている人は、自分の愚かしい心を知ってますので、悪い縁は遠ざけ、善い縁は近づけて生きてます。善い結果、つまり善い運命を享受する為には、縁を見分けるのも必要にはなります。ただし、経験が必要なので、容易ではありません。自分を知っていくという作業をまずはやっていかなければ、縁がどうだ、などとは言えませんから。

縁を説明しましたが、親が縁である以上、親のせい、にはできない事が分かるかと思います。また、今まで、五体満足に育ててくれた親には当然感謝して頂きたいと思います。

原因があって、必ず結果が出てくる。何か、災難やトラブルが起きたなら、原因追及して下さい。放っておくと、自分を知るチャンスを逃します。原因追及すると、自分が少しずつ見えてきます。その愚かしい自分を認めつつ、どんどん善い事をしていく事が大事です。人間、見返りを求める気持ちがあるので、善い事に徹する事はできませんが、それでも善い事をするのが大切で、その中で本当の自分が見えてきます。

自分を知らずに、人生を歩んでいる、事自体、本当は危険な事です。目をつぶって運転しているようなものです。自分が分かって初めて、人生のスタートを切れるのが本来であると思います。知る、事がまさに自分を変える事になりますので、一歩一歩進めていって下さい。

ここでしかアドバイスは出来ませんので、苦しい時や分からない時は、また質問してみて下さい。
http://www.get5.net/japan/i/ikikata_main.htm
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまってすいません。

何事にも原因があって結果がある、ということはよく
分かっています。私が病気になった原因も一つでは無いにしろ、どういう行動を取ったからなのか…今なら分かります。

親のせいには今はしていません。
ここまで不自由なく育ててくれたことに、とても感謝していますし、これからも何かの形でそれを返していけたらなと思います。

正直今でも気持ちが不安定になることはあります。
でも、自分の視点を変えたおかげでだいぶ気持ちも楽になりました。
自分のことはまだまだよく分かりませんが、冷静に見つめながら歩んでいきたいなぁと思います。きっと可能性や新たな世界がこの先に広がっているはずだ、と
言い聞かせて。

大変お世話になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/10 17:16

こんにちは。

私もうつからパニックに移行して12年生の主婦です。
私も「なんで私ばっかり・・・」と思ったこと何度もあるし、人を憎むことだってあるし(あったし)、悪口もいいますし。羨む事だって多いですよ。
それが、当たり前というのか、人間としては、だれだってある感情ですよ。
私はうつになる前は「すごくいい子、親にも、あれ買ってといえない子」だったんですよ。要するに「いい人を演じて」いたんですよね。
それに気付けた、それだけでも良かったと思いましたね。

なので、今は非常に攻撃的でもあるし、感情をあらわに(不快・嬉しい・好き・嫌い)などできるようになったから、薬を飲んでいても楽です。
そして、やっぱりあなたと同じように、「人生」というものをしっかり考えるようになりました。何が本当に必要なのか、自分にとっての大切なものをしっかり把握できるようになったような気がします。

幸いにも、一時的に薬の服用が必要ない時期があり、子供を1人授かりました。
親の立場になって思うこと、それは、この子を守るためならなんでもする、って気持ちですね。
きっと、お父さんも、お母さんもみんな「あなたがそこにいる」それだけでもう十分だと思うんですよ。
そりゃ、「うっとーしー」と思う事だってあるけど、それでも、側に、家族が一緒にいられて、子供が笑っている、ママご飯美味しいね、手をつないで寝ようとか。。それだけでももう幸せなんです。
親って、そういうものなんですね。。

だから、きっとお父さんもなんとか頑張れる、お母さんも、お姉さんもじゃないかなって思いますよ。

あなたが人を羨むこと、幸せになりたい、普通に暮らしたい、何も心配なく暮らしたい、それを望むことは当然です。
皆、大なり、小なり思っていることでもありますよ。
だから醜いとは思わないです。

あなたが、家族に話しかけているひとこと、してあげているちょっとしたこと、それだけでも、あなたには感じなくても、
嬉しいって、感じていることがあるかもしれないですよ。

お父様は、やはり心療内科に行かれたほうが(もう行かれているのでしょうか?)楽になると思いますよ。

何を書いていいのか、自分でもわからないけれど、あなたの心には「目の前の苦しんでいる人を助けたい」という気持ちが芽生えていますよね。それが、人間として、すごく、すごく大事な気持ちだって事だけは断言できます。

だから、ゆっくりでもじっくり足元を見据えて、人間として大切なことを実際に実行できる、そういう人になれるんじゃないかな。

それが「生きていく力」だと思いますよ。

どうしても無理なときもあるけれど、嘘でもいいから笑顔、笑う、それだけで心が少し開放されるそうですよ。
泣いたっていいし、怒ったっていいし、自分を殺すことないんですよ。だって、私たちおんなじ人間ですから。みんなそうだもの。
私はあなたのような人、きっと友達になりたいと思うだろうな。。
38歳ですけどね^^;

がんばって、といってはいけないのわかっているけど、「踏ん張れ!」とあえて言いますね。無理せず、踏ん張れ!

うまく書けなくてごめんね。ほんまは自信ないけど「自信アリ」に印をつけますね!
私も踏ん張るでー!!
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この回答へのお礼

どうもこんにちは。
お子様をお持ちの主婦でいらっしゃるんですね。
ちょっと話が逸れてしまいますが(笑)私は子供が好きで、外を出歩いていても、ベビーカーに乗っている赤ちゃんについつい微笑んじゃいます。

とまぁ、そんなことは良いのですが…。

>私はうつになる前は「すごくいい子、親にも、あれ買ってといえない子」だったんですよ。

これ私もそうでした。「いい子」でいないと、存在を認めて貰えないような気がしていたんですよね。それに周りは喜んでくれるので。だけど演じることに、だんだん疲れちゃって。私の場合はですけど。

私は子供をもちろん持ったことが無いので、分かりませんが…そういうものなんですね。夫婦って法律上の結びつきはあっても、まぁ他人同士ですよね。でも親子って、お腹の中から産まれてくるわけだから、何もかもが違うんだろうなぁーって思います。
将来私も、赤ちゃん欲しいんですけどね。でも母親になるの怖いなって思う自分もいます。

ちなみに父は病院へ行き始めました。お薬も出てちょっとは前より違うみたいです。これで私もとりあえず安心しました。

今日登校して、友人と顔を合わせていたときもどこかで無理に笑っていたんですよ。でも不思議と一日経てば、逆にちょっと元気が出てきた感じもします。
人と関わることって辛いこともあるけれど、やっぱり
大事なことだと思いました。

お友達になりたいと言っていただけて光栄です。(笑)また教えてgooでお目にかかれたら嬉しいな。

踏ん張れ!って言葉良いですね!私も踏ん張って、とことん踏ん張って生きてやろうって思います。何だかすごくパワーを貰った気がします。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/12/08 16:16

#6です。



すっかり忘れてました。一番大切なことは、そこにいてくれる事です。力になることは笑顔だと思うけれど、大切なのは側にいてくれること。これが一番ですね。
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笑えないときは笑わなくてもいいんですよ。

いつか笑ってくれたらそれだけでいいです。その時のために時間をかけてゆっくりと笑えるようになっていかれてみてはいかがでしょうか?

すぐに表情に出すのも、ぎりぎりまでためて大きな爆発を起こすよりかはいいです。それにちゃんと顔に出せるという事も大事な事だと思いますよ。
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この回答へのお礼

続けて回答して下さって、どうもありがとうございます。こちらの方にお礼を書かせて頂きますね。

いつか笑えるようになるまで…。そうですね。
今はたとえ無理でも、家族揃って笑顔でいられることができたらいいなと思います。

ただそこにいること。それだけで人は良いんだと私も思います。家族がちゃんといるってことが、私にとってまた支えになっているように思えます。

お礼日時:2005/12/08 15:58

No.1です。

私は30代女性です。私も高校生の時は苦しさから「いのちの電話」に電話してみたり(私には役立ちませんでしたけど)どうしようもない気持ちから、手持ちの物をハサミで切り刻んでみたり(ちょっと危ないですね)とにかく八方塞がりで、どうしていいかわからない時期がありました。(現在もなお、やっぱりどうしていいかわからないのですが。)

ですから、こちらのサイトに思いを書いてみるのもいいことだと、私は思います。興味を持たない人は、通り過ぎるでしょうから、誰の迷惑にもならないですしね。

心が狭くてもいいし、人を羨んでもいいんですよ。それで自分が潰れなくてもすむのなら、さんざんいろんな方法でもがいたらいいです。そういう時は、そうするしかないですし、それしかできないと思いますから。

それに、頑張って成長しなくても、私のような人間でも多少は成長したと思うので、きっとあなたも年月とともに、いやでも成長することと思います。

でも頑張っていれば、多少は報われます。そして不幸であればあるほど、小さな幸せに気づくことができる自分がいます。

こんなこと言ってはあれですが、運の悪い人はずっと悪かったりもしますし、自分の力で人生はなかなか変えられなかったりもします。生きることはなんでだか、つらいことばかりですが、それでも生きている限り、努力せざるをえないですし、しかしそうしていると、たまの幸せも訪れます。そんなことを支えに生きる自分を哀れにも思いますが、でも、それしかないのです。

こんなアドバイスも、本当にどうかと思うのですが、これからもつらいかもしれないですけれど、でも、頑張ってください。
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この回答へのお礼

またまたありがとうございます。

30代の方なんですかー。ネットって様々な年齢層の
方がいますよね。実は私も「いのちの電話」に何度も
お世話になったことがありました…。

私はいいストレス発散方法というものが無くて、いつも溜め込んで爆発してしまうパターンです。まぁ最近は小爆発ぐらいなんですけど(笑)

人をうらやんだり、当たったり、色々心の中でしてしまうのですが、そういう自分を否定することだけは
したくないなと思います。でないと今はどうもダメなようです。

小さな幸せ、というのは分かるような気がします。
また様々なことが起こるにつれて、価値観というものも変わるのでしょうね。数年前に較べたら私の価値観もかなり変わりました。

いえいえ、私も生きることは難しいなと思う日々ですが、melonbunさんのように頑張っていきたいと思います。とても励まされました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/12/08 15:54

そういうことが重なるのは


あなたのご一家だけではないですよ。
断言します。
人は生きていれば必ず死ぬし、まだまだ原因不明の病気、あるいは心の病などにもなります。
ただひとつ言えるのは、お父さんはお父さんです。
あなたはお父さん可哀そう、可哀そうと言っていないで自分の道を考えることです。
会社で、あるいは家庭を持ち、生きることに
充実感を持って生きることです。
親になにかできるかと言えば金銭的援助くらいしかありません。お母さんは総合失調症でも、薬があれば普通に生活できるはずです。
もうひとつですが、お母さんが子供を引き取ったから
病気になったという考えは捨てるべきです。
そういう環境だけが要因ではないです。
もうひとつですが、心が弱りかかっている人の健康は、きちんと食事を取るなどの物質的な環境の改善が一番です。あなたは、経済的支援、家事の応援。
その二つがお父さんに手を貸せるくらいのことです。
あとは、あなた自身が幸せになって家族を安心させることくらいでしょう。
あんまり人の心配をあれこれしても、実践的ではありません。
働く時間が長く、せっせとしていれば忙しくて他の家の人のことなど、どうでもいいはずでです。
私もそうでした。
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この回答へのお礼

そうですね…。
いつ誰に何が起こるかなんて、私にも分かりません。

父に対して「かわいそう」という気持ちばかりで、正直それでいっぱいでした。でもそんなこと言っていても何の足しにもならないですよね。

自分の道を今までしっかりと考えたことが無かった私にとって、今の葛藤や苦しみは当然なのかもしれません。でもこれを機に、これからどうしていくのかを
考えていこうと思います。
また数ヵ月後、ここに同じような質問をしないためにも…と自分に言い聞かせています。

母の要因については、仰るとおり「これだ」と断言できませんよね。私自身の病気も実は何が原因なのか、よく分かりませんし。

>働く時間が長く、せっせとしていれば忙しくて他の家の人のことなど、どうでもいいはずでです。

そうですね。
何かに一生懸命になれば、悩む必要も無くなるかもしれません。ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/07 09:53

もし、目の前の苦しんでいる人を助けたいのならば、できるだけ笑顔を見せてあげて下さい。



大切な人の笑顔ほど力になるものはないですから。

でも、無理はしないで下さいね。笑えないときは笑わなくていいです。
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この回答へのお礼

どうも、いつもアドバイスをありがとうございます。
またまた迷惑を掛けてしまいました(苦笑)

>大切な人の笑顔ほど力になるものはないですから。

まさしくそうだと思いました。
大切な人の笑顔や、元気な姿があるからこそ、私も頑張ろうという気持ちになりますよね。でも私は今ちゃんと笑えているのでしょうか?
すぐ顔に出てしまい、そんな自分を情けなく感じます。

お礼日時:2005/12/06 12:31

こんばんは。



「教えますgoo」というよりは「おせっかいgoo」になってしまうのかもしれないなあと思いながらも、あなたの文章を読んで、何か言葉をかけてさしあげられないかと思い、パソコンに向かっています。

安心なさってください。私も時に人から「悲劇のヒロインぶっているのでは?」と言われるような人生を送ってきています。私の場合それが、自分より苦労している人からの言葉なら、言われて立ち止まるでしょうが、到底そうは思えない人からの言葉なら、蚊の鳴き声にも聞こえません。

いい人ぶるつもりはないですが、私は苦労したり、頑張ってきた人のことは、たとえその人の考えが黒であろうと、白であろうと、肯定したいと思っているので、だから他人を羨んでしまうあなたを、ちっとも醜いなんて、思いません。

私はあなたの文章を読んで…実は少し羨ましく思いました。冗談じゃないって思ったなら、ごめんなさいね。でも私の家の場合は、どちらかというと一家離散の方向でしたので、いろいろとありつつも家族で一緒に住んでいること、互いに連絡、交流があること、思いやり合っている関係に、嫉妬さえ感じたのです。

自称、これまで生きてきて、いろいろとあった私なのですが、あなたも言うとおり、世の中は不公平にできていて、努力しても必ずしもそれは報われないですが…それでも生きる意味も見いだせないまま、ただ、死ぬことができずに生きてきて今思うのは、たまには報われることもあり(長い年月が経過した後、の場合もあって、泣けますが)そしてまた振り返ってみると、こんな境遇のわりには、かな~りラッキーな人生を送っているのかも?とも思っています。(消極的ラッキーですが)けれどそれは、自分が頑張って生きてきた賜物であると、確信しています。

あなたのつらく苦しい境遇を代わってあげることはできないですし、それを変えることも私にはできません。だけどそれがあなたの人生であり、そして私にとっては私の人生なのです。私はもしかしたら、死ぬ時に、ひどい人生だったけど、そのわりにはいいこともあったな~と思えるかもしれないと、思うことがあります。(でもこれじゃあ、時間が解決してくれる、と似たようなごまかし文句かもしれないですね。)

やっぱりいい言葉なんて、思いつきませんでしたけれど、とにかくあなた自身が潰れてしまわないようにと、願ってやみません。

このまま「回答する」を選ぼうか「中止する」にしようか悩みつつ、「回答する」を押してみることにします。
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この回答へのお礼

何が言いたいのか良く分からない、ただの愚痴みたいになっている文章に、回答して頂いてありがとうございます。

正直、感情のままにただ質問してしまったことが、今は恥ずかしく思えます。

私は互いを思い合える家族が居て、毎日学校にも通えて、必要最低限の暮らしができていることで既に幸せなのだと思いました。自分の心の狭さを感じています。人を羨んでしまうことは、今ある現実から逃げているに過ぎないのですよね。

すみません。回答者様のご年齢がいくつか分からないので、こんなことを言っては失礼かと思いますが、きっと私よりずっと人生の先輩でおられるのだと思いました。私は今高校3年生です。しかし徐々に大人になる年齢でもあり、今のような子供の自分ではまずいなと痛感しました。そしてまだ人生といえる程の長さを、過ごしていないのです。それなのに私は、「こんなに辛いから人生もきっとこんな風に違いない」と思っているようです。
そうではなくて、こういう時こそしっかりと現実を見据えて、自分に何ができるのかを見極めなくてはならないのだと思いました。自分に負けてはいけません
ね。

上手くまとまらなくてすいません。でも、自分の不甲斐なさが分かったように思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/06 12:28

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