アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

遠い記憶の中に残っている高校の国語の授業の一場面です。若手の教師が「『多少』という言葉は対義語を並べているにもかかわらず、通常は「少ない」ほうのニュアンスで用いられる。このような組み合わせの熟語で、後の漢字もしくは負のイメージが基調となるものが他にないか?」

教師の使った言葉は正確ではないと思いますが、第一の質問はこの教師の質問そのものです。

当時、私は答えに窮して、「始末」という回答を返したのですが、教師は「それはちょっと違うかな」といったものの、模範解答を出さずに授業が終了しました。記憶の中でははぐらかされた印象が残っています。

先日、国語教師の妻に以上の話をしたところ、「加減」のほうがはるかに類似性が高いというのですね。

犬も食わぬとはいいますが、こんなことで大激論をかわして、険悪な状況に陥ってます。(うちではよくあることですが^^)

確かに、品詞の観点や日常よく使われる言い回し、「始末記(書)」「始末する」「加減する」「いい加減だ」などを検討してみると、『多少』からはどちらも距離を置く例だと思います。ただ、妻の主張のように「加減」が「始末」より、『多少』に近い熟語だということには、納得がいかないのです。

第二の質問は、この後日談のくだらなく、的外れかも知れない議論にご意見をいただければ幸いです。

P.S.長文乱文ですみません。

A 回答 (6件)

面白い議論ですね 確かに始末には片付けるという意味も


ありますが 事の始まり~終わりまでのなりゆき
という意味あいが強く 始にも末にも 片付けるという
意味はありませんよね

加減は 丁度いい加減だ と使えばばっちりという意味にも
使いますが 相撲で子供相手にちょっとは加減しろ
というように 手を抜け 力いっぱい出すな
というふうにも使いますよね

どちらかといえば奥さんに軍配を上げますね

他に適当な物が無いかな~と頭をひねりましたが
難しいっすね

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。

とても痛いところを指摘されました。「末する」という動詞がないところが、最大の弱点だということには気づいておりました。

当初、文法的には、「加減する」「始末する」ともに複合サ変で用いられる点では、同列かなと思いました。「いい加減(だ)」という形容動詞が語幹のみで副詞的に用いられるという観点からすると、妻の勝ちかなとも思いましたが。「いい」なしの「加減」では形容動詞にもなりえないと思うと、両者痛みわけの感が強まりました。

さらに、「加減する」「始末する」の動詞としてのニュアンスを比べると、前者にはかならずしも「減ずる」ことに力点を置いて用いられるようには思えないのです。「加減してやれよ。」には力(リキ)が入りすぎているときに「手を抜いてやれよ」の意味で使われることがあるでしょうが、あくまで、加と減の「調整」「調節」の意味をシチュエーションに応じて解釈している気がします。かと言って、「始末する」がどれほど「多少」に似ているかの説明にはならないのですが、少なくとも、「始」のイメージはなきに近く、「末」のイメージだけが浮かんでくるのは、うん十年前の学生の頃から未だに変わらないのです。

補足日時:2005/12/06 21:04
    • good
    • 0

第二のご質問のみですが、「多少」は「多かったり少なかったり」というレンジを行き来しながら、結局目盛りが「少ない(負のイメージ)」に収まるようなイメージと捉えると、「加減」の方が近いように思います。

「加えたり減らしたり」の間を動きながら、最後は「減らす(負のイメージ)」に焦点があたっているところで、です。

肯定的な語の後に否定的な語を付け、「多(加)」ばっかりじゃなくて「少(減)」でもアリなんだぞ、と敢えて並べると、あ、「少(減)」でもいいんだ、と落ち着くような……。ものすごく感覚的な解説ですね(^^;

「始末」にはそんな“動き”“さ迷い”がないのではないでしょうか。「(はじまりがあるなら)おわりを置かないとしまらない」から「末(=けじめ)」の意味になっていると。流れは一方的ですね。

この回答への補足

ありがとうございました。

「さ迷い」の指摘を受けて、英語の“more or less”を連想しました。これは、「多かれ少なかれ」の和訳が近いかもしれませんが、「超えるかもしれなし、足りないかもしれないが、充分である」つまり“almost enough”の ニュアンスがあるので、結果として「大体」の意味になるんですね。“sooner or later”などもそうですが、正負をorでつなぐと、許容範囲を広げてその範囲内に物事の置き位置が決まるという状況を表すといえばよいのでしょうか。逆に“here and there”“now and then”のように and でつなげば全範囲を網羅して面で受け止める状況を表現しているように思えます。

本題にもどすと、「多少」は古語では多いさまを表す文例もあるようですが、本来は「多いこと・少ないこと」の対比で、「大小」「長短」「遠近」などと同列だったはずですね。ところが、現代人の用法のほとんどは、「決して多くはないが」と多を否定しておいて、「決して無ではない、少しは有る」と存在自体を強調している 言い回しだと思うのです。この点で、英語の“I have a little money with me, so I can lend you some.”の“a little"に相当するもので、“I have little money right now, so please ask somebody else.”の“little”とは明らかに違いますね。おそらく、英語にも「多少」と似た構成と意味合いを持つ言い回しはなさそうな気がします。

改めて、今回認識したことは、「多少」のような用例は何らかの理由で例外的に意味用法が変遷した結果ではないかということです。一度、国立国語研究所に問い合わせてみようかと思っているところです。○十年も悩んで、せっせと税金も払ったわけですから、1つくらいくだらない質問をしても非難されないですよね^^。

妻との議論は、半ば目糞、鼻糞が茶碗の中で起こした嵐だったような印象も持っていますが、多数の方のご意見を拝見できて、とても有意義な嵐だったと思います。この紙面を借りて、改めてお礼を申し上げます。

補足日時:2005/12/07 17:00
    • good
    • 0

<1つ目の質問について>


 「安否(を気づかう)」「表裏(がある)」などはいかがでしょうか。
 (それぞれ、『気を揉むのは「否」の方』、『「表」はあって当たり前』ということで)

<2つ目の質問について>
 奥さんには申し訳ないですが、「始末(をつける)」の方が
 「多少」に近いように、私は思います。
 (「既に起きてしまった(=始)ものに対し、これから(=末)とる行為」ということで)

この回答が火に油を注ぐようなことになりませんように。
・・・あ、今見たら奥さん支持の方もいらっしゃるようなので、大丈夫ですね(笑)

この回答への補足

ご支援ありがとうございます。

そもそも、15,6の学生が思いついた回答と、経験豊富な大人のしかも専門職の回答とを比べて張り合う気はないのですが、こちらのコーナーの皆様のご意見を拝聴するにつけ、ますます考える余地が出た気がします。

某ちゃんねるなどに投稿すれば、お気遣いいただいてるような壮絶、悲惨な争いに発展する予感もあったりで、こちらに初登録、初質問させていただいた次第です。

スレ違いかもしれませんが、この場を借りて、皆様の暖かいご回答に感謝いたしております。

補足日時:2005/12/06 23:31
    • good
    • 0

一つ目に付いて。


”仕事などで、自分の「進退」をかける”と「進退」はどうでしょう。この場合の「進退」は、要するに職場を辞める覚悟で望むというある意味「引退」覚悟として使われていると思います。

二つ目に付いて、
単語で「加減」として使った場合、多くの場合、通常より少なくする、つまり減じる方向の意味が強いと思います。「多少」についても、あるというほどでは無いけれども、まったく無いわけではないと言う意味で使われていると思います。
それに対して「始末」は、若干違う気がします。
意味的には、最初から最後という意味もありますが、「後始末」に代表されるように後片付けの意味合いが強いと思います。
要するに、「始末」は終わった後の処理という意味合いが強く、単なる最後という意味の「末」とは違うと考えます。もちろん、最後の処理が終わらなければ、物事は終了しないという考え方も出来ますが、あえて”意味が直接つながらない”ということから”多少”とは違うという考え方をしたいと思います。

というところでどうでしょうか?

この回答への補足

ありがとうございます。

「後始末」を考えてみると、「始末」自体の意味が微妙に思えてきます。

「始末」の同義語に「顛末」があると思われますが、「顛末する」「顛末をつける」とはあまり言わないような気がします。この観点から「始末する」の始末は「終始」「始終」そして「顛末」からも隔絶した意味に変容しているのではないかとも、考えられるのですが、いかがでしょ?

補足日時:2005/12/06 22:03
    • good
    • 0

「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問う」という古い言葉を思い出しました。


 この言葉の場合は、「その権威がそんなに重いのか。私には軽く見えるぞ」と、相手を軽んずるニュアンスですね。

 昨今、偽物ばやりの世の中で、偽ブランド品ばかりか、構造設計書の偽物まで出回ると、一級○○士という資格の軽重を問いたくなりますね。

この回答への補足

ありがとうございました。

本論とは別に「多少」「大小」など多くの熟語は、文字通り「正負」のイメージ順になっていることを予想できるにもかかわらず、「軽重」は前後が逆、つまり負→正の順になっていることに、別の興味がわきました。まさか「重」が負ってことはないですよね・・・?

補足日時:2005/12/06 21:55
    • good
    • 0

事の「大小」に関わらず。

といったばあいは。「小」のほうのニュアンスが使われているような気がします。
「いい加減」にしなさい。というフレーズには「控えなさい」というニュアンスのほうが強いですね。この観点から考えれば「始末」よりは「多少」に近いかもしれませんね。

この回答への補足

ありがとうございます。

「事の大小に関わらず、相談してほしい。」などといわれると、「些細なことでも遠慮せずに相談してほしい。」と意味で使われますね。

ただし、これは、「大きなことは遠慮する必要はないから言わずもがな」が前提だとは思うのですが・・・。

補足日時:2005/12/06 22:14
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!