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考古学カテのほうで質問(No.1774614)されている方がいて、逆にちょっと気になったのですが。

心理学の分野で「人がモノを残そうとする思想」あるいは「人が旧いモノに愛着をもつ心理」を研究した先行事例みたいなものってあるのでしょうか?

とくに最近、都市において古い歴史的な建物を保存していこうという動きが見られますが、そういう生活面において、古いものが捨てられない真理、サムシングオールドを大事にする心理の根本って何なんでしょうか?

「もったいない」精神にも通じるところがあるかもしれませんが、そもそも「もったいない」とはどういう心の動きなのでしょうか?

A 回答 (6件)

全くの素人なので。

ご参考までに。
古いものを残すのは、例えば写真などだったら
その頃の記憶がよみがえってくるからじゃないんですかね。

おいらも、モノはなかなか捨てられい人間なので。
古いものとか結構あったりします。例えば、10年前の
バラエティ番組とかを。

的外れな回答だったら、申し訳ないです。
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全くのカンでしかありませんが・・・



もったいない精神は、やはり昔は限られた物しか手に入らないし、手に入ったものは十二分に使い、使いまわしてダメになったら、繕ったりして、また出回る。何か手に入ったら、それを十分に活かすこと、そういうところから来ている精神だと思います。

だから、長い間人が使ったものには魂が宿ると言って、人形(ヒトガタ)やカンザシ、鏡などは不吉と言われることもありました。

だけれど、今、生活で古いものが捨てられない、というのはもったいない、と言うよりは、何時かは何かに使える、という、もし使えるものだとしたら、捨てたら損だ、と言った気持ちがあるのではないでしょうか。「心理」と言う言葉で説明するとすれば、気持ちの整理ができない心理かもしれませんね。既に使用することのないもの(気持ちの中でいつまでも残っていることで、本当は思い切っても好いはずのもの)を、どうしても捨てられない。など。なので、一杯の古いもの(誰かの形見)など棄てられない=思い出を整理ができない、と、ゴミを家中に置いている=自分の頭の中で分別ができないということで、「もったいない」とは違っていると思います。

なんだか、上手く答えができないですが。
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>・・・生活面において、古いものが捨てられない真理、サムシングオールドを大事にする心理の根本って何なんでしょうか?



検証できる対象を残しておくことは、人の本質的な部分とは言えないでしょうか。
構造や形状、材質など、明らかに目に見えるものに限ったことばかりではなく、それに相対することによって、往時の「なにか」を感じたい・・・というのを含めて。

思い出というのは、その人個人に限ってのことばかりではないような気がします。
大げさに言えば「人類の思い出」を残したいというようなことが、人の「心理の根本」にあると思うのです。

美術品や、工芸品、珍しいもの、歴史的に貴重なもの、等に限らず、置いておけるものなら、捨てないでおこうかなと思いますもんね。
「もったいない」精神にもどこかで結びついているような・・・。

あくまで、私見です。ご参考までに。
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「残すもの」にもよるのでしょうが、「もったいない精神」とは無関係だと思います。



「>サムシングオールドを大事にする心理の根本」は、「オールド」の結果として「ナウ」が存在することを確認したいということでしょう。
それはとりもなおさず、「ナウ」の結果として紛れなく「サムシングニュー」が存在するということの証明にもなるからです。

つまり、今を生きていることが無駄にはならない、という確証を人々が求めているからではないかと思います。
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新しくて便利なモノへと交換する際に、古いモノを使わなくなる時にまだ使えるモノを使わないのでもったいないと思うわけで、心理学で扱うような事ではないと思います。

お金がもったいない、と、思うのとおんなじ事なのでは。

尋ねたいこととすこし違うかもしれませんが、生活面のモノに古いモノを求める、ナチュラルといいますか、時代を感じさせるモノに志向性が向くのは、いわゆる現代的に人は飽き、色々なモノを求めるためだと思います。

歴史的建造物への志向性とは多少異なるかもしれませんが、窮屈な現代的なモダンな部屋にいると人は疲れるそうです。鉄のベットや、金属の本棚とデスクとガラスの灰皿のある部屋が現代だとすると、人はナチュラルな…例えば、暖炉があったり、気のぬくもりがあったり、帆布のカバンや帽子をかぶったり、過去を振り返る、昔のデザインを求める心の動きがあります。

その15世紀のヨーロッパでは…という厳密な歴史とかを知らなくても、何か変わった…安価でも洒落たモノが面白いのは、現代的(どちらかというと冷たい感じがする)といわれるモノから遠ざかりたい意識があるたためです。懐古的なモノもとめたい意識は、現代的なデザインへの反駁的な思いでしょう。

色んな意味で使われるポストモダンですがモダン(現代)とはモード(形態)の事であり、いろんなモードがある――そんな思想家のセリフがありましたが…現代とは過去を掘り返す色々な形態がある――ということなのでしょう。
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個人的な考えかもしれませんが、「もしかしたら」ではと思います。

もしかしたらこれが必要になるときがくるかもしれないという感じで捨てられないという心理があるのではないのでしょうか。
また未来になったときに今の情報が役に立つというかあのときの考えはそうだったんだ見たいな感じでそのときまでとっておこうという考えなのかもしれませんね。
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