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「価値」と言う名詞について何でも教えてください。

1.あそこのラーメンは食べてみる価値がある。
2.このラーメンは価値がある。
1の使い方は一般的ですが、2の使い方はあまり見かけません、上記の例から、「価値」と言う名詞が何らかの犠牲を伴う対象に向けられるような気がしますが、上記以外の使用例もあり「価値」と言う名詞の定義で迷っています。

A 回答 (4件)

感覚的な答えで恐縮ですが...



ある品物について「○○は価値がある」と言う時は、資産
としての価値を問題にしているように思います(例外も
見つかるかもしれませんが)。

ですから、安価な物、消耗品、飲食物には当てはまり
ずらいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
確かに仰るような意味合いも有りますが、価値という言葉は意味が広すぎるように思います。価値が名詞なら、これが価値だと見せてもらいたいと思っています。(冗談です)

お礼日時:2001/12/15 20:43

価値とは万人が認める、値段相応の有用性とその物が他の物と交換できる値打ちがあるという二つの意味があると思います。



*あまり価値はないと思うが俺の趣味で買った。(交換性は期待していない)
*価値のある買い物だ(交換性が高い、皆が評価するもの)
*そんなもん、何の価値があるんだ(値段の割りに有用性が低い。役に立たない)

世界的に名画と認められた絵はだれもが高く評価するので価値のある絵画といえます。大阪まで行く価値がある・・大阪へ行けばここより品物が豊富な上、価格も安いので足を運ぶ甲斐がある。

現代では物々交換の習慣はなくなったのである商品にどれだけの価値があるかは、通貨で表示されます。安いか高いかは同じ商品群の中での比較だけであり、それを使う人々が日常生活の中でどのように評価するか(有用性、有効性、交換性)は無視されています。昔の人は物の本当の価値を知っていたと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
物の本当の価値を知りたいと思っていますが、本当の価値を知っていると交換が成立しなかったのかもしれませんね。

お礼日時:2001/12/15 20:54

参考になるかどうか分かりませんが、社会学的な視点からは、見田宗介「価値意識の理論 -欲望と道徳の社会学」 (弘文堂ルネッサンス)という書物があります。


経済学的な回答になると、経済学が、その理論を成立させるためにおいている前提が、非常に単純であるため「客観的な価値」があるかどうかと言うことは問題にしないのが多いと思われます。「価値と価格と貨幣」というタイトルなので、経済現象としての「ラーメンの食べ方」を説明したくなるのですが、哲学的な検討を加えているのは、なんといってもマルクスだろうと思われます。有名なのが「価値形態論」とよんでいるもので、たとえて言えば、古くは数え切れないほど多くの様々なラーメンがあったのに、現在のラーメンに集約されたかという問題の解明につながるものです。あるおいしい店のラーメンをカバンにいっぱい詰めていて、うどんが食べたくなったとき、このラーメンと必ずうどんと交換ができるなら、「このラーメンは価値がある」ということができるかもしれません。しかし、なぜ、このうまいラーメンなのに、一杯のうどんと交換できないのかという疑問に突き当たります。そういう不便を解消するかのように「貨幣」というものができてくるのです。
さて、ここで「価値」という言葉を辞書でひくと、複数の意味がでてくるのですが、「値打ち」と同義語だと分かります。「このラーメンは値打ちがある」という言い方をします。抽象性が高いときに、「価値」という言葉を用い、日常性の高いものには、「値打ち」という言葉が使われることが多いようです。ラーメンそのものより、ラーメンを食べるというのは、より抽象的な内容になっています。

参考URL:http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn8236.h …
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
参考の本は面白そうですね。この問題が経済学でなく社会学になるのが自分としては納得できないのですが。
マルクスは商品の分析から始めていて、価値についての詳しい記述はなかったと思います。価値形態論では、使用価値と交換価値の記述の中で価値が商品に付着している印象を受け、自分としては納得していないのです(言いすぎ)。
「価値」はもともと、おいしい・たのしい・快適といった感情の肯定的部分の抽象化ですから、「価値」と言う言葉が抽象的なのは理解できるのですが、「価値」と言う言葉の中に「犠牲」や「交換」のイメージを持つのは自分の思い過ごしでしょうか。

お礼日時:2001/12/16 06:58

こんどは、会計学の用語になります。

費用とは、収益を確保するために支払った価値犠牲だと定義づけられることがあります。
これは、売上(価値生成)を得るためには、何かの費用(価値犠牲)が必要だろうと考えられるためです。
行列のできるラーメン屋というのがあります。多くのお客さんは、開店の何時間も前から待つ訳ですが、この店の人の考えとしては、お客さんの予算制約になるべく制約されない形で、店を維持していきたいと考えているのかもしれません。しかし、忙しい人だと、行列を待つ機会費用のことを考え、いくらお金があっても食べられないことになります。ラーメンの値段を倍に上げれば、毎日食べていた人も、そう食べられなくなりますから、時間はないけれど、お金はあるという人は入りやすくなります。
ラーメン屋さんを企業サイドと考えれば、ラーメンを一杯売れば、現金を手にしうるという意味で、ラーメン自体には「犠牲」という感じは持たないにせよ、「交換」というイメージはあるように思われます。
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この回答へのお礼

いつもお付き合いいただき有難うございます。
jun95のご回答にある、
>売上(価値生成)
jun95さんは無意識に使用したかもしれませんが、売上が増えることが価値生成ではないのではないだろうか。GNPやGDPが増えることが価値生成になるのか?この疑問が一連の質問の最終目的なんです。ラーメンの経済学は機会費用を勘案して別の機会に考えさせてもらいます。
また週末に質問する予定ですのでお願いします。

お礼日時:2001/12/16 20:57

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