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いつもお世話になっています。

タイトルにもある事なのですが、哲学は反社会的ではないですか?
僕も哲学をする人間ですが、すればする程社会に矛盾を見いだし、
人間に矛盾を見いだし、何もわからなくなって。
僕の身近かにいる哲学者は孤立しています。
ウィトゲンシュタインもあまり人と接しなかったようです。
僕もそうです。上に挙げた二人と同じような理由で、人と関わる事をあまり好みません。僕は哲学を望みますが、本当に哲学は必要でしょうか。どんどん結果的に反社会的になっていく気がして、矛盾と孤立感にたえられません。
何でもいいので、回答頂ければと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

反社会的になっていると思ってしまうのは、社会が真理に反する仕組みを構成しているからでしょう。


矛盾が見えてしまうのは、人が正しいあり方をしていないからでしょう。

もし、矛盾を抱えたままでも暮らしていけるならそれでいいと考えるなら哲学なんぞ必要ありません。矛盾に耐えられないからこそ哲学をするのでしょう。人の本質を、この世の真理を知ろうとする。その原動力は、間違いを許せない心だとおもいます。

矛盾に耐えられないのは哲学を究められていないからです。まぁこの世に本当に哲学を究められた人がいるかどうかすら怪しいですが・・・・

哲学者は確かに孤立します。ついでに言うと、探求者は哲学者に限らず孤立する事が多いです。一生懸命する人はすばらしいと言う人はいますが、冷静に見て見ればかなり異質な物です。人は異なるものを排除しようとするものです。

また、哲学者が人を嫌う理由は人が蛇や毛虫を嫌う理由に酷似しているといいます。人が蛇や毛虫を嫌うのは、普段どうやって生活しているか、何を考えているのかが全く分からないからです。そのため、生理的に受け付けなくなる人が多いそうです。哲学者にしてみれば、人の本質を知ろうとして、分からなくなってしまったのでしょう。人はどういうものなのか?社会はどういうものなのか?

人は自分の理解できないものを生理的に受け付けないように出来ているそうです。哲学をしない人は『分かったつもり』になっていますが、哲学者は『分からない』ため、人間嫌いになったりするのでしょう。学ぶほどわからなくなるって不思議ですね。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。
>>学ぶほどわからなくなるって不思議ですね。
わからないという事は真実でしょうか?それもわかりません。

唯一、的を得ているあなたにポイントを差し上げます。

お礼日時:2005/12/27 05:00

哲学とは、預言者のようなものだと思います、


真理を探究するが故に、社会に受け容れられないこともあり、社会に受け容れられるのは、割と死んだ後、ということがあります。
ただ、哲学者が社会を嫌っているというのは、やや違うような気がします。
ソクラテスも世に受け容れらなくても、対話と言うことを続けました。
世を嫌う哲学者は、単なる理想を独り占めしているだけで、人に余り影響力を与えない「隠者」というのではないでしょうか。
論語の中にもありますよね。
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この回答へのお礼

あなたは哲学をあまり追求しない人ですね。
まず、「社会」の意味の解釈の相違が著しいです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/27 05:03

タイトルを見てドッキリしたのは、「反社会的」というのは通常社会に対し敵対する意味だからです。

ある種の哲学はそういう意味で「反社会的」ですが、あなたの場合はそれとは違うみたいですね。つまり「厭世的」なのです。
哲学といっても#2さんがおっしゃるようにいろいろです。社会の矛盾を説いて、積極的にその改革を志向する哲学もありますし、それがある意味ねじ曲がって社会に対し敵対的・犯罪的でさえあるものもあります。また能天気なまでに現世肯定な哲学もあります。
多分あなたは「人と関わる事をあまり好」まないのではなく、人とかかわることによって生じる矛盾に耐えられないのでしょう。でなければそもそも孤立感などありませんし、孤立したところでどうということもないわけです。
しかしながら社会の中で生きていくには必ず軋轢や矛盾にぶつかります。それを避けることは不可能ですから、生きていくためには矛盾と戦いそれを何らかの解決にもっていくしかありません。と、こういうのもまた哲学なのですが。
そうですね、どうせ哲学を学ぶのなら、あなた好みの、高尚で厭世的な哲学だけではなく、他の種類のも勉強したらいかがでしょう。あと、考え方の多様さを知る上で哲学史を学ばれることをお勧めします。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

お礼日時:2005/12/27 04:58

哲学もいろいろです。


孔子まで遡らなくてもJPサルトルは社交家でしたし実生活でのアルベール・カミュはお調子者だったと書かれた本もあります。
世の中には「人間嫌い」と呼ばれる人たちがいます(実は私も)。
その人たちが好む哲学は「社会からの乖離」や「疎外」をテーマにしたものになりがちです。
これは個性ですから悪いことではありませんが矛盾と孤立を感じるからといってその責任を哲学に押しつけるのはちょっと違うかなと思います。
旧い本ですが、加藤周一著『羊の歌』(岩波新書)をお読みになりましたか?
勇気づけられると思うのですが。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004150 …
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この回答へのお礼

何でも良いので、と書いたのがいけなかったみたいです。
回答有り難うございました。

お礼日時:2005/12/26 05:25

社会や人間が矛盾を抱えているのは当たり前です。



まだ、文明と呼ばれるものができて3000年ぐらいしか経っていませんから。

えらそうに地球上で繁殖しまくっている人間ですが、生物の歴史からみれば青二才、まだまだ子供。

地球の歴史からみれば、一瞬の発生した存在。
宇宙の歴史からみれば、一瞬の存在ですらなく、かぎりなく無に等しい、ちっぽけな存在です。


矛盾と孤立感に耐えられないなら、哲学なんでやめる事です。

それが嫌なら、甘えた事を言わずに自分の信じた道を進むだけです。


人間は一人で生まれて、一人で死にます。

それだけです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

お礼日時:2005/12/26 05:13

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