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 小説など読んでいると自分自身はそのような経験はまったくないのに、なぜかその物語に共感や感情移入できるのはどうしてでしょうか。
 例えば、私はまだ20代で独身ですが、ある小説で、結構裕福な家庭の母親の苦悩なんかを描いていると、わかるわ~と共感できるんです。
 どうしてこのように感じるのでしょうか?下手な説明ですみません。

A 回答 (8件)

二つの側面があると思います。



1.本能的なもの。まあ、本能と言う言葉そのものがある意味あいまいなので、本質的にはいいかげんな説明付けなのですが、高いところを怖く感じたり、猛獣やひどく破壊された車を見て恐怖を感じたり、または、きれいな花を見て美しいと感じたり、人間でも動物でも赤ちゃんを見るとかわいいと感じたり、そいういう、生きていく上で、どうしてもあったほうがいいと判断できる情動のようなもの。

2.似たような体験・学習からの類推、同一視。類型的に考えれば、そして、非常に簡単なものなら、大体10代でほとんどのことについて体験したり、見たり聞いたりして学習してしまいますから、そういうことについて、感情移入が出来るようになる。

ただ、おおくの場合、感情移入が出来るのは、自分の立場を強化する方向性でできるというのが、一般的な感情移入の特徴です。
女性であれば主婦の生活を送る前でも、主婦の生活について感情移入が起き易いですし、男性なら、サラリーマンなどについて感情移入がやさしいことになります。ですから、普通の生活を送っている人に、ホームレスや引きこもりの人に対する感情移入はなかなか出来ません。特に困難なのが、自分に敵対関係にある人たちに対しての感情移入ですね。
もうひとつ、これが一番大きな問題なのですが、感情移入自体が間違っていることが多いのです。この原因は、二次媒体によって加工された情報に接することや、自らの体験が非常に軽いものだったり、反対に非常に重いものだったりすることによって起こります。

理性的な判断は、実際は、感情移入によって左右されていますから、自分がどんな形でどんなことを感じているのか、それを常に点検することが、現代と言う時代を生きる上では必要かもしれません。
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付け足しです。

こどもの私は大リーグではヤンキースのファンでした。当時の新聞雑誌の大リーグの話題といえば、とりもなおさずヤンキースの話題で、そうした多量の情報にさらされているうちにヤンキース好きの少年になっていました。巨人ファンが多いというのも似たような事情。テレビ中継は巨人戦だけなら、野球好きの少年は巨人ファンになります。何をいいたいかというと、情報量と親近感とは関係があるということ。
小説を読みすすめるに比例して、主人公にまつわる情報量は増大していきますから、主人公を否定的にとりあげていないかぎり、ヤンキースファンや巨人ファンが誕生したように、主人公ファンが誕生。主人公が好きになってる。好きなひとが悲しいおもいをすれば、じぶんも悲しい。感情移入ですね。
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この回答へのお礼

みなさん、たくさん教えていただきありがとうございます。
やはり登場人物の心情をわかるには限界があるんですね。そしてそれは日常生活でもいえることなんですね。あらためて、作家の方々はすごいですね。

お礼日時:2006/01/03 23:43

「いままでに経験したことがないのに」といわれますが、小説を離れて、現実の経験にしたところが、はじめての経験だから心が動かない、ということはないでしょう。

はじめてのことであろうが、すでに経験したことであろうが、こころを動かされるものには、こころを動かされるわけです。
そして、ご質問の小説のばあい、「経験したことがないのに」ということですから、あなたにとっては、あたらしい経験であった、そしてそれは心を動かされる経験だったということではないでしょうか。
そのように読者を感情移入させるのが作家の仕事で、あなたという読者は、まんまとその術中にはまってしまったのですから、「してやったり!」と作者はにんまりしていますよ。
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経験したことが無いといっても、人間のやることは大体想像がつくということではないでしょうか。


また、その内容が共感できる内容であれば感情移入し易いでしょう。
何百年も前の時代劇小説であっても侍の気持ちを理解できたような気になることは、よくあるように思います。

しかし、ご質問の例では理解できた【ような】気になって共感するのは、実は裕福な家庭の母親の『ある一面』ではないでしょうか。
というのが不適切ならば、「ある一面」はついに理解されることはないのではないでしょうか。
言葉の限界は、やはりあって仮に登場人物と一緒に生活をしてみることが可能だとして、決して「本を読んだ感じと同じ人」ということはないでしょう。

共感できる内容であれば当然共感するが、その人となりが言葉として表現されていない部分には気付きようがない、ということでもあるかもしれません。
もちろん、実生活でも同じことですから、だからどうということはないのですが、実生活で共感する部分だけを見ようとすると殆んどは関係がこじれて面白くない結果に終わってしまうのが常のようです。
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物語りを読む行為自体が、過去の経験から取得した知識を動員する行為です。

その際に感情視野等が刺激されてのことと思います(素人考えですので、詳しくは、専門書を)。ただし、[わかるわ~」は、やはり、年齢的限界、社会的な経験の量から相対的であると考えます。重要なことは、自らの相対的な限界を知りつつ「母親の苦悩」を理解できる自分に成長する努力を続けることでしょう。
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あなたの感性が豊かだからでしょう。


興味のある小説などを読んでいると、情景が映像のように浮かんできませんか?
文字を映像や音声として脳が捉えて、それに対して感情移入しているのでしょうね。
子供が漫画やゲームばかりで、文字を読むことが少ないのは文字を映像や音声として捉える感性が未熟なせいもあるでしょう、想像ですが・・・
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あなたの感性が豊かだからでしょう。


興味のある小説などを読んでいると、情景が映像のように浮かんできませんか?
文字を映像や音声として脳が捉えて、それに対して感情移入しているのでしょうね。
子供が漫画やゲームばかりで、文字を読むことが少ないのは文字を映像や音声として捉える感性が未熟なせいもあるでしょう、想像ですが・・・
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前頭葉が、過去の記憶や想像力を駆使して、その仮想的な環境にいたらどうなる?を想像できるからでしょうね。



その仕組みや原理などを私は説明できませんが、動物実験によると、ジェットコースターに乗りながら撮影した映像を、チンパンジーに映写して見せると、それなりなリアクションをするそうです(手で目を覆うとか)。

人間の場合、これが高度に発達した物ではないかと思います。
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