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私はバツイチの子持ちです。離婚する際叔母に「子供は色んな人から育てられるべきだ」と言うと、「それは違う。母親が育てるべき!」と言われました。私だって保育の勉強をしていますし、幼児期の母親とのコミュニケーションの重要性も分かってますし、大事にしているつもりです。

ふとそのことを思い出し、母に「あの言葉はショックだった」と言うと「でも基本的に子供は母親が育てるべきだ」とやはり同じ事を言います。母親と子供のコミュニケーションが大事とは言っても、べったり依存症のようにいるのはいい影響を与えないし、子供は地域社会など色んな人の愛情を受けて育つべきだと私は考えてますし、逆にそのほうが母子間に適度な距離が出来て、良い関係が築けるのでは?と思います。

しかし更に私が今の密室育児と虐待の関係を自分の体験も踏まえて話した所「そんなのは親の甘え。親がしっかりしていればそんなことにはならない」と言われました。つまり私が虐待していたのも、私がしっかりしていないせいだ、と言いたかったようです。

親には養育する義務はあります。が子供とべったりではなく、適度な距離を保ち、いい関係でいたい。その為には子供を他者に預け、離れる時間があることもいいことだと思います。しかしハード面も揃ってないし、「母親が仕事以外で子供を預けるなんて!」と言う風潮が強すぎて益々殻に閉じこもる、と言う気がしてなりません。
しかし結果、それが子離れできない親、大人になりきれない子供を産んだような気がしてなりません。そういう子供たちがまた同じ考えで子供を産み育てることになります。

しかしやはり親世代の言うように、「子供は親が育てるもの」であり「多くの人に育てられるもの」ではないのでしょうか。親の言うように私の考えが甘いだけなのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

私は働いてはいないんですが、2才の子を持ってこれまでの影響は大きいと思われます。


もともと持っていた性格もあるのでしょうが、生後7ヶ月から、市で参加できるのものにバンバン出していました。
なので、今では「積極性のある子だね」っと皆さんに言われます。
ただ、お母様方が言われる、親も一緒に行動してますので、m2_mさんとはちょっと違うやり方なのですが、色々な人と振れることは絶対必要だと思います。
数ヶ月前に私が歯医者に通わなくてはならなくなり、始めて子供を託児に利用しました。やってよかったと思います。

母は私が3歳の頃から仕事に出てます。
姑さんとの同居だったので、おばあちゃんに見てもらってました。
お母さんにべったりも必要な時はあると思いますが、私の場合は母に会えない分、会えた時のうれしさってのすごく実感して分かりました。
どんなに他人やおばあちゃんがかわいがってくれても、母は母なんですよね。
だから、自信を持って子供を人に見てもらってもいいですよ。

私こそ密室育児なのでは?と不安にかられました。
保育園に行くお子さんは寒かろうがなんだろうが、毎日外出されますよね?
でも、家型の子は用事がないと、風邪引かさないようにとか言って「買物」くらいで終わらせてしまうのです。
逆に今回はすごく考えさせられました。
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この回答へのお礼

同じくらいのお子さんをもたれてる方からの回答で、とても共感できる部分がありました(うちも2歳です)。私の場合、離婚して地元に戻るまで、親(私と旦那)以外の人とほとんど触れ合わせてなかったんです。よくて買い物ついでにスーパーのプレイコーナーで遊ばせるくらい・・・。まさに言われてるように「買い物」くらいの用事がないと、わざわざ外には出さないんですよ、特にこの時期。私も全くそのとおりでした。で、虐待の走ったのもちょうどその頃でした・・・。

で、離婚して保育園へ行き始めたとたん、子供の様子もガラッと変わったんです。表情からして違います。また保育園への道のり、約15分ほどかけて歩きますので、その途中で色んな人に声をかけてもらえます。そういう触れ合いもとても重要なことだな、と思います。

私の場合、一緒にいることで「閉じこもりぎみ」になり、それが子供に行ってしまうので、別々に行動することが良かったと思いますが(一人でも余り外に出ないインドア派なので)、お母さんが子供といっしょに行動することに苦痛を感じないなら、お母さんも一緒に行動して色んな人に会うのは良いことでしょうね。だからきっと「育児サークル」などへの参加が呼びかけられてるのでしょう。

確かに保育園へ預けるとき、子供は違う世界が楽しくて仕方ないようなのですが、それでも私がお迎えに行くと「ママー!」と駆け寄ってきます。二人きりでいたときはこんなことなかったんですけどね(苦笑)。

お礼日時:2001/12/20 11:24

私は5歳の時に母を病気で亡くしました。

入院生活は3歳後半から始まってますので本当の記憶という部分では母親を覚えていません。父は仕事がとても忙しかったので、同居していた祖父母とお手伝いさんに生活の世話や躾をされました。親戚や父の友人などもとても親切で、かなり頻繁に外食や遊びなどに連れて行ってもらいました。
そういう意味で私は「いろんな人に育てられた」と思っています。しかし人間としての根っこの部分は父と母に作られたと思っています。ほんとうに忙しい父ですので会えるのは日曜日くらいでしたが、いろいろな体験をさせてくれました。そしてたくさん母の話をしてくれました。そのことにより私は自分が愛情をもって育てられていること、母親がすばらしい人であったことを自信を持って感じることができました。その自信が私の根っこです。
私は1歳8ヶ月の娘を育てていますが、親の愛情は人間としての根っこを育て、他の人からの愛情は木を育てるための水であったり、ミネラルだと思っています。時には他人の強風に折れそうになることもあるでしょうが、そうならない為にも親から育てられることもたくさんの人に育てられることも大切だと思うんです。
どちらも大切だと私は思います。
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この回答へのお礼

そうですね。確かに人間は生まれた後に誰に育てられようと、産声を上げるまではお母さんのおなかの中にいるわけだし、それも父親がいないと始まらないことですよね。(こうなると「代理母はどうなるんだ」とか言うことにもなりそうですが、それはまだ日本ではまだ浸透してないことですからとりあえずここでは話題にしないとします)

木を育てるには種をまくだけではダメですもんね。まず根っこを出して、チョコっと芽を出して、、太陽の光、水分、ミネラル、そしてその木を見守る人たちの暖かいまなざし・・・それらが十分揃って木は生長しますもんね。

お父様ともなかなか仕事で会えなかった・・・と言うことですが、やはりあっている時間の過ごし方も良かったのでしょうし、何よりお仕事もあなたを育てるために必要なことだったんですから、一緒にいないからといって「愛情がない」と言うわけには決してなりませんもんね。

親としてすることは、その「根っこ部分」をいかに作るか、なんでしょうね。土に埋もれてるから見えにくいし、難しいのでしょうが。そこが「信頼」と言うことなのでしょうか。

お礼日時:2001/12/20 11:10

はじめまして。



これからぼくの母親についてですが、参考になればと思いまして書かせていただきます。

結論から言いますとm2_mさんの考えは正しいです。

ぼくの母は離婚はしてませんがm2_mさんのような考えの人です。


色んな人から育てられた子供はいいという理由として下記の(1)(2)(3)が上げられます。

(1)社交的になる

(2)人前に出てもおたおたしなくなる

(3)”だれだれちゃんがそうだから”でなく自分の判断で行動できるようになる


社会人になって気付いたのですが(1)の社交的になるは絶対有利ですよね。
だってたくさんの人に会えば会うほどチャンスを得る可能性は上がるのですから。


(1)(2)(3)のような人間になる為に母親はどのようなことをしたか、代表的なものを書きます。


(1)自分の社員旅行には必ず一緒に連れて行き夜の宴会にも出席させみんなの話を
  聞くようにしつけた(まーストリップショーまで見てしまいました。なにやっ  てんだろーなんて当時思いましたが。。。。)

(2)ボーイスカウトに入れさせられました。(何もこれに入れとは言わないけど、
当時は坊ちゃんしか入れなかったらしいです。ちょっと上流の子供たちと
交友させ自分を磨かせる為)


とにかく母親がいっていることは、

世の中何をするにもまずたくさんの人と会わなければなりません。たくさんの人に会うことはたくさんの価値観に会うことなので自分が磨かれていく

ということです。

だから上記のようなことを億劫がらない子供にそだてる為には”たくさんの人に育てられる”ことが必要不可欠だとおもいます。

そして一番大切だと思うことは母親がでーんと構えてると子供は安心して行動に移せることです。

だからm2_mさんの考えは正しいです。

参考になればさいわいです。
                    


                         失礼します
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この回答へのお礼

とてもしっかりとした育児観を持たれたお母様だったのですね。
「たくさんの価値観に会うことで自分が磨かれていく」と言う言葉、私も心に誓いたいと思います。いくら色んな人に会ったとしても、それが皆同じ事しか言わない人だったら結局世界は変わってないのと同じですもんね。
私も色んな考え方の人に接することで(親の意図ではなく、思春期に自ら色んな世界に飛び込んだので)自分なりの価値観を持ち、考えを述べられるようになった気がします。
「育てる」というとやはり色んな意味に取られますが、「色んな人に影響を受ける」ことは子供の行き先のレールをたくさん増やすことになるような気がします。そして最終的に自分でそのレールを選べるような人になって欲しいので・・・。

自信をもって子育てすることが、自信のある子供に育つ秘訣かもしれませんね。とても大事なことだと思いました。

お礼日時:2001/12/19 20:26

2人の子供を育てるにあたり随分色んな専門書(子育て本ではありません。

幼児心理学etcです)を読みました。

そのなかで共通していることは、乳幼児期における母親の役割です。
もちろん個人差はあり、影響度合いはことなりますが、中核にいるのは母親の必要性です。
子供が求めるときに絶えず母親がいつもそばにいるという環境、絶えず母親とスキンシップがとれている状態が子供の自我形成にとって非常に重要な役割を担っています。
これにより子供は、自分の存在価値を見いだし、精神的な安定を得ることが出来、その上で外界に対しても強い興味を抱いていき、他の人との交流も楽しむようになります。

つまり、初めから多くの人に育てられると言う考え方は正しいとは言えません。
母親との十分な愛情による絆が第一に必要であり、その上で他の人との交流が次の成長(母親からの自我の独立、自己の存在意義を母親以外の何か社会的なものなどに求めること)がなされることになります。
また、乳幼児が初めに求める保護者はあくまで一人であるため、複数の人が初めから関与すると混乱して精神的な不安定な状態になるという指摘もあります。

上記のことをふまえた上で、母親との基盤の上に、多くの人が関与することは全く問題はありません。
逆に密室での母親と子供だけの育児は特に母親にとって負担が大きくマイナスの影響が懸念されますし、現に社会問題となっています。
一番良いのは、基本は母親が子供を育て、母親が休みたいときに代わりに祖母が面倒をみて、母親の息抜きをするというのが、最も望ましい姿と言えます。

もちろん今の社会でそのような恵まれた環境はなかなか得られないので、父親の補助、託児所などの有効利用も考えて、母子共に精神的に健康でいられるのが一番となります。
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この回答へのお礼

そうですね。私も「乳幼児と母親の関係の重要性」は学びました。やはり母子関係には父子関係以上にとても強いつながりを持っており、乳幼児期の触れ合いは、子供だけでなく母親のほうへも母性を育てるためにとても重要だと聞きました。
ただ、一方で「本当は自分の手で育てたくても育てられない母親」がいることも事実です。例えば未熟児で生まれた場合など、必然的に子供と母親は離された状態になります。そのため、海外を始め日本でも「カンガルーケア」と言った母子の触れ合いの時間を取る病院もあるようですね。確かにいわゆる「母乳期」と言われるくらいの時期の母子関係はとても重要だと思います。もし母親が育てられない場合はそれに代わる人の存在がとても大きくなると思います。

ただ、私が話していたのはもうそういう時期を過ぎ、社会生活を営み始める1歳過ぎの時期でしたので、すでに「母子間の信頼関係」は成り立った上での事でした。おそらく密室育児の危険性を身をもって知るのは、乳児期ではなく自我が出てくる頃からではないでしょうか。割と月例が小さい頃は「無我夢中」と言う感じだし、外に出ること自体余り出来なかったりしますしね。

そういった、子供が社会活動を始める時期からは、それまでの基盤がしっかりしていれば、やはりいろいろな世界に触れることは必要ですし、色々な補助を利用して、母親の世界も広げることは良いことだと思います。しかしながらそれが出来ない現実(ハード面でも、周りの対応と言うソフト面でも、母親自身が息抜きをすることにためらってしまうと言うこと)が、今後の問題なのかもしれません。
しかし本当は「母親」だけでなく「父親」の存在も必要なんですが、そこは問われないことが多いですよね。父親役を行政でないとサポートできない現実って悲しいですね・・・。

お礼日時:2001/12/19 20:15

育てるって意味で言うともちろん親でしょう。


周りは育ててくれてるのでなく、協力してくっれてるって思いませんか?
保育園や親その他預けて自分の時間を作ったり仕事をしたりするのはいいと思います。多くの人に協力してもらっての子育てはいいと思いますが
>子供はいろんな人から育ててもらうべきだ。
は、ちょっと違うのでは?
自分に対して責任逃れの言い訳に聞こえます。
365日24時間一緒に居ることが子育てではないので、親にも
息抜きの時間も大切だとの意見には賛成です。
育てるって言葉は嫌いです。
どんな環境でも子供は育ちます。(いい悪い別にして)
私は子供に知っていることはすべて教えてあげています。
それ以上のことは自分で学んで!相談には乗るけどって言っています。
母親の役目はありのままの子供を愛してあげること
とことん待ってあげること、抱きしめてあげることだと思っています。
誰が育てるか?に?です。
それが親に不可能なら誰かが代わりにしてあげるってこともすごくいいことだと思います。
それから人は無責任なこともいいます。(自分の親でも)
人に言われたことに振り回されずに頑張ってください。
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この回答へのお礼

「育てる」の中でも「身の回りの世話など基本的な育児」と「精神的な成長」の二種類あると思いますが、前者としての「育てる」は基本的には親(母親だけでなく父親も)だと思います。しかしもちろんそれが可能な場合は、と言う前提です。ほとんどの場合不可能なことはないですが、私の場合、万が一私に何かあったときは、子供は第3者の手に寄って育てられることになるでしょうし。
私の言っている「色んな人から育てられるべき」というのは後者的な意味で、人間的に成長すると言うことを言っています。ただ、もう少し大きくなってからはそのためにも「親元を離れて暮らす」と言うことさえ糧になるとは思いますが。(よくある山村留学などが良い例だと思います。)

確かに「子供は育てるものではなく育つものだ」とも言いますね。親の所有物ではないのですから、親は子供が育つために手助けをする、くらいの物なのかもしれません。私も子供には最低限の手助けしかしないようにしています。今2歳ですが、洋服も置いておいて、もし自分ではどうしようもないときだけ手を貸すから・・・と。その様子を見ている母は「服くらい着せてやりなさい!」と言って怒りますが、先回りする手助けはただのおせっかいだと思っています。(親がだらしないから子供がしっかりするのね~と母は言いますが、しっかりしすぎる母を持つと私のようなだらしない子供になるのが目に見えてますから・・・)私も子供がいつでも帰ってこれる場所、でありたいと思います。だからこそ色んな世界を知って欲しいとも思います。

しかし、確かに周りは無責任なこと言いますね(苦笑)。それに流されない強い意志が、必要かもしれません。意外と今の時代の母親は情報が多すぎて、迷ってしまう傾向にあるようですね。私もそうですが。しかし自信をもって子育てに臨みたいと思います。

お礼日時:2001/12/19 13:07

こんにちわ。

私は9か月の子を持つ母です。
私も「子供はいろんな人に育てられ、接するべき」と思います。一番いけないのは、そうしないこと、つまりよく言う「密室型育児」ではないでしょうか。
どんなカワイイ自分の子だって、たまには「もー顔を見るのもイヤ!」って時、誰にでもあるんじゃないですか?
それが普通だと思うんですが。

子供を連れて散歩などに行くと、いろんな人に声をかけられますが、私が一番イヤなのが「~しないと、子供がかわいそうね」というやつです。
「一人ッ子じゃかわいそうね」「お座りできないうちにベビーカーは子供がかわいそうね」
子供に訊いたのかよ?!と私は言いたい。
私は一人っ子だけど、愛情一人占めで楽しかった。寂しくなんかありませんでしたよ。

だから、こういう人は暗に「自分は楽をしないで(一人じゃかわいそうだから二人産んで、お座りできるまでおんぶや抱っこで外出して)、がんばって子育てしたんだから、偉いでしょ。尊敬してアンタもそうやりなさい」と言っているんだ、と思いました。アドバイスしてるようで、その実、自己主張の要素が強いような気がします。

m2_mさんの身内の方も同じだとは言いませんが、世間というものは軽々しく人の生き方に意見するものだと思うんですよ。それに、私たちの母親世代は自分の子育て期間における都合の悪いことは忘れています。同じ人間なんだから、思うこと感じることは大した差はないはずだと思うんですよ。

だからさ!胸はってがんばりましょ!
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この回答へのお礼

そうですよねぇ!?やっぱりいくらかわいい自分の子供でも「顔も見たくない!」と思ってしまうことって誰しもあると思うんですが、実際母などの話を聞くと「かわいくてかわいくて仕方なかった」と言う意見で「私がおかしいのか?母親失格なのか?」と思った時期もあります。特に私は「理想の子育て像」と大きく違い、「いい母親」になれない自分に非常に自己嫌悪に陥ってました。
しかしよく話を聞くと、私しか子供を育ててない母、私は恐ろしく手がかからない子供で、一人でおとなしく遊んでいたそうです。うちの子はそんなおとなしいタイプではなく、同居してる今「あんたの時はこうじゃなかった」と言ってます。確かに私の母は育児が大変だった記憶がない、といつも言ってます(忘れたんだか、本当に手がかからなかったのか)。子供には個性があるから、自分のときはその方法でよくても、それがその子に合うかどうかは分からないですもんね。

子供へ「かわいそう」と言う言葉もよく言われますね。ほん「子供がそう言ったのか!?」と聞きたいですね。今日も私言われましたもん。「手袋させないと手が冷たくてかわいそう」と。(ここは九州です。ちなみに今日は晴れです。)

やはり私は周りになんと言われようが、自分の子供に対する育児方針は自分が正しいと思った道を貫きたいと思います。だって周りが子育ての責任とってくれるわけではないですもんね。
母親が胸張って自身を持って育児をすること・・・これってすごく大事なことだと感じました。

お礼日時:2001/12/19 12:50

私はまだ未婚で子供も産んだことはありませんが、将来の子育てについてはm2_mさんと基本的に同様に思っています。


ただし、m2_mさんの叔母さんやお母さんの言うことも分かります。というか子育ては時代や社会構造によって変化するものだと思いますので、叔母さんやお母さんの時はそれで正しかったんでしょう。つまり母親が子供を育てるのが一番合理的で確実・安心だったということです。

でも「今」は違いますよね。女性も社会に出てゆくだけの人々の認識も変化してますし、その当事者の女性も逆の男性側もそうです。ただ認識が変化しただけでは実行力には乏しいし、社会情勢に追随できないでいるハード面でのケアが足りないものお分かりのとおりです。これでは「母親が子育てするのが当然」とやりたくてもまず物理的に不可能でしょう。だからこそ、不可能を押しての無理な子育てをしている若い母親達の虐待が増えているんじゃないですか?誰だって体も心も疲れきっていれば、物事の善悪も判断できなくなるときだってあります。それを「甘え」と一口に言ってしまっては、頑張っている母親達は気の毒だし、被害者である子供達も哀れです。

叔母さんやお母さんの時代の、「女性は結婚したら仕事を辞めて専業主婦になるのが当たり前」「子供も産まずに仕事を続けるなんてとんでもない」という認識の時代ではなくなってきたとうことではないでしょうか。でも人間はみな、自分が生きてきた時代の風潮や習慣で物事を考えるんです。お二人を納得させるには相当の努力と時間が必要でしょう。
m2_mさんはそんなことに労力を使わずに、もしこれからも何かお小言を言われても馬耳東風でサラッと行きましょうよ。
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この回答へのお礼

本当に時代の流れるのは早く、「母親世代の子育て」と「今の子育て」は大きく違いますよね。環境ももちろん違いますし、育児書一つをとっても、全く違うことが書いてあります。(なんとうちには私の母が結婚当初の育児書があったので見てみたのです)

昨日まで「よし」とされていたことが、明日には「ダメ」と言われるような今の社会。昔の育児方針をそのまま持ってきて型どおりに当てはめるのは本当に不可能に近いと思います。
しかしそんな中で、「今の母親は甘えている」と言う言葉で、「もっと頑張らないといけないんだ」と思ってる母親が多いのも事実です。私もそのようなタイプでした。子供が泣くのは私のせいだ、子供がわがまま言うのは私のせいだ、もっとちゃんとした母親にならなきゃ、もっとがんばらなくちゃ・・・と追い詰められ、最終的にはもっとひどい結果になりました。いい母であろうとする気持ちが高いばかりに、虐待に走ったのかもしれません。そんな時一言「頑張ってるんだね~」といってくれる人が身近にいたら、どんなに救われたでしょう。(初めてそういわれたのは、ようやく受診した心療内科での事でした)

本当に母親世代の育児観を変えるのは難しいと思います。彼女らはそれが正しいと思ってやってきたわけですから。しかし「あぁ、昔とは違うのね」くらいの理解は持って欲しいので、私は少しずつでも理解してもらえるよう、言いつづけたいと思います。そして自分の子供が育児をするようになったとき・・・自分が理解を示せる母親になっていたいですね。

お礼日時:2001/12/19 12:36

m2_mさんこんにちは。


m2_mさんが言われることも、お母さんや伯母さんが言われることも現在の日本社会ではどちらも正しいと思います。m2_mさんはその子の人格形成上、やはりいろんな人の手を経て、一人の人間として自立していくということをおっしゃっているように思うのですが、お母さんや伯母さんは子供の面倒は親が見るべきという直接的な、たとえば食事とか洗濯とか病気になった時の介護とかのことをおっしゃっているのではないかと思います。保育園に預けたり他人に子供を預けるのは決して悪いことではないと思います。社会性や我慢、優しさなど他の子供とのかかわりや他の大人とのかかわりの中で身につく事ってたくさんあると思います。
日本ではまだまだ親が子供を育てる中で、育児ストレスによって子供をついつい虐待してしまい、親も子供も共に精神的にも肉体的にも傷ついている例がたくさんあります。子供を預けて映画に行くことだってたまにはストレス発散にはいいことだと思います。その辺のことを理解してもらうには、今の日本ではまだまだ社会的な構造がともなっていません。あなたが言うことは間違っていませんが、それを違うと思っている人に理解を求めるにはちょっと時間がかかることと思います。
少なくとも僕はあなたの意見に賛成です。
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この回答へのお礼

確かに論点がずれていた感はあります。私は「子供の人格形成」などの意味での「育てる」、母たちは一動物としての「育てる」・・・を言っていたようです。ただ、その前の話の流れ(私がストレスから虐待に走った話)から、私が「動物としての世話」の話をしているわけではないことくらい分かっていると思ったのですが・・・。

食事や排泄、その他の日常生活としての子供との関係は、特に私が出来ない訳でもなく、普通にこなしていますし、できることはするのが当然だと考えてます。私も精神的に追い詰められていたときでも、オムツは変えていたしお風呂は入れてたし、ご飯は食べさせてましたから。ただ、時に「食事をさせる」事自体がストレスになったりすることもあり、「子供と二人で食事」よりかは「他の人も交えての食事」が子供のためにも私のためにもいい気はします。

でも確かに今の日本で「母親のストレス」による虐待が多い事実は意外と知られてないし、知られていたとしても理解されないことが多いです。特に私たちの親世代はそのようですね。しかし今の母親たちはその違いを肌で感じ取っています。「私たちが小さいときとは違うなぁ」と。しかしやはり理解してもらうことが出来ず、ストレスばかりためている人が多いのも事実のようです。
なかなか実際に体験していない人へ理解してもらうことはとても難しいことでしょうが、声をあげないことには理解はされないですよね。私はいくら母世代の人から反対されようとも、「言いたくてもいえない母親」たちの思いは声に出して言って行きたいと思います。それで何か変わるのだったらそれでよいと思いますし。理解してもらえて嬉しいです(・・・と、今の母親はこれを求めてる気がしますが)。

お礼日時:2001/12/19 12:22

私は人の親ではないのでなんとも言えませんが、子どもの立場から。



幼少の頃に両親が離婚し、祖父母、叔父伯母の場所と転々としました。が、幸いなことに、周りの友人のご家族にまで良くしていただき、今まで指して寂しさとかヒガミを感じることなく過ごせて来れました。

もちろん、多少の突っ張りはありましたが・・・多数の方に育てて貰ったことで、自分が失敗作だとも思いませんし、そう言う状況になってしまったことを恨んでもいません。

多少正確に影響した部分はありますが・・・・それは私個人の取り方で、どんな境遇でも起こり得たことでしょう。子どもの資質、親の資質を無視して、誰が育てるものだと断言してしまうのは短絡的ではないでしょうか?親が育てるものと断言している人は、私のような人間は、きちんと育てられてないと言われるのかも知れませんが、私自身はそう言うことを言われるいわれは全くないと思っています。

実際にお子さんをお持ちの多くの方の御意見があるといいですね。
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この回答へのお礼

そうなんですか。周りの人たちに恵まれる・・・と言うのは、人生の中でとても素晴らしいことだと思います。そして自分の人生に対しとても誇りを持っていることを、嬉しく思います。
確かに親が育てられるならそれがいいのかもしれないですが、色々な事情でそうもいかない人もいます。しかしそういう人が不幸か、人間としてまともに成長しないのかと言えば答えは「NO」としか言いようがありません。私も学生時代、児童養護施設などの見学に行ったことがありますが、そこの子供たちは皆生き生きとして、自分に誇りを持っていたように見えました。きっと彼らも、そしてtweetieさんも、色んな人の色んな愛情をたくさん知る事ができ、ある意味幸せなのかもしれません。とてもうらやましく思います。
実際に経験された方の意見はとても参考になりました。私の子供もそういう風に自分の人生に自身を持って生きて欲しいです。

お礼日時:2001/12/19 12:08

保育の勉強もしていませんし、偉そうなことを言える立場ではないのですが・・・


m2_mさんのおっしゃることも、お母さまのおっしゃることも一理あると思います。

たくさんの人の手によって育てられると、育児がひとつの考えに偏ることもありませんし、子供にとってもいろいろな刺激があっていいと思います。
ただ、子育てと言うのには責任がつきまといますよね。他人の子供は叱りにくいもの。やってはいけないことをビシッと叱りつけることのできるのは親の役回りになるのではないでしょうか。(昔はよく近所のおじさん、おばさんに怒られていたものですが)

私は小さい頃同居していませんでしたが、祖父母や叔父叔母と近所に住んでいましたし、田舎のことですから、悪さをしては近所のおじさん、おばさんに怒られていたものです。ですから、母親だけが子供を育てるものだと言う意識はありませんが、でも、辛いことがあったり、悲しいことがあると、ほかのだれでもなく母のところにいっていました。

うまく説明できないのですが、子供はいろいろな人に愛情を受けて育つものですが、母はなかでも特別な存在だったと思います。

育児は子供を育てるだけではなく、親も一緒に育ててもらっていると、子供を育てながら思うようになりました。子供もそうですが、親にとっても周囲の人の協力はとても大切です。密室育児と虐待についても本人がしっかりしているだけではなく、周りが手を差し伸べることですくわれるケースも多いのではないかと思います。

m2_mさんの考えが甘いと言うより、お母さまとの認識が違うのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そういえば私たちが小さな頃は、悪いことをすると近所の人でも知らない人でも「そんなことしちゃダメだ!」と叱ってくれてました。しかし今は下手にそんなことすると「うちの子に何てことするんだ!」と逆に怒られてしまうことも多いようですね。もちろん家庭ごとにしつけの基準はありますが、それでも社会的に悪いことはどこの家庭でも悪いこと。そういうことで叱るのは、決して悪いことではない気もするのですが、ちょっと悲しいですね。

私も「色んな人の愛情を受けて欲しい」とは思いますが、やはり母として、自分は「子供が最終的に安心して帰れる母港のようなもの」でありたいと思います。色んな世界を見た上で、母港へ帰り、安心し、そして他者との違いを認識する・・・そんな存在でありたいです。一つの世界しか知らないと、今自分がいる場所がいいものなのか、悪いものなのかさえ分かりませんから。

私も自分で育児をするまでは「サポートの必要性」が分かりませんでしたが、昔は近所の人や親戚の方がサポート出来てた部分が、今はライフスタイルの変化で出来ないことが多いです。そこをカバーしてくれるものが必要なのでしょうね。私自身手を差し伸べてくれる人がいただけで、随分精神的に違いましたから。

時代が変わってる今、30年前の育児方法をそのまま当てはめるのもナンセンスですし、今の時代の子育てを母世代に分かってもらうのも難しいことなのかもしれませんね。どれが正しくて、どれが間違いだと言うものではないのかもしれません。

お礼日時:2001/12/19 11:55

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