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爵位についてですが、いまいちわからないので質問します。爵位には五爵ありますよね、貴族の中で・・・これらの違いがよくわからないのでどなたか教えてください。それと、貴族はどのような人々のことを言うのか、お金持ちの人?よくわかりません。
また貴族と華族は何がちがうのでしょうか?
お願いします!!

A 回答 (4件)

華族のランク分けですが、明治17年の華族令の叙爵内規に依れば


公爵11家--臣籍になった皇族、摂家(公家)、徳川将軍家
侯爵24家--清華家(公家)、徳川御三家、15万石以上の大名
伯爵76家--堂上家(大納言)、徳川御三卿、5万石以上の大名
子爵327家--堂上家(大納言より下の)、5万石以下の大名
男爵74家--御三家の付け家老、大名・公家の分家・寺社門跡

というのが大雑把な分け方になります。
その後、勲功華族といって維新の功労者、日清日露戦争の軍人、財閥当主や学者などが加わり、これらは大半が男爵になりますが、最終的には913家(酒巻芳雄氏に依れば、再受爵2人を含めて1,016人)が華族になり、終戦を迎えます。
このランク分けですが、大雑把と書いたのはお手盛りがあり、三条家は清華ですから、本来は侯爵ですが公爵に、岩倉家は子爵のはずが公爵、官軍側の島津・毛利家も公爵となり、その後は維新の立役者の大久保・木戸家も侯爵、伊藤博文・井上馨・松方正義・山形有朋なども伯爵になっていきます。
華族の資産ですが、例として賊軍故に華族に成れなかった、1万石大名の林家(請西藩)を見ますと、旧家臣たちの受爵運動に対して、年収500円(明治22年の物価水準で教員の初任給が5円)を得られる資産を確保することを条件に爵位(男爵)を認められています。
戦争による勲功華族を除けば、大名華族はこの程度の資産を持っていたようです。
先に書いた福沢諭吉は、爵位の代わりに5万円(明治33年の教員の初任給11円)を貰っており、勲功華族は財閥当主を除き、明治期を通じ、伯爵35,000円、子爵20,000円、男爵10,000円が公債として天皇から貰って、それを華族としての体面を保つ資金にしてました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。少し難しいでしたが、とても役にたちました。

お礼日時:2006/01/17 13:45

日本の華族ですが、明治2年7月17日に、公卿・諸侯という称号が廃止され「華族」という称号に統一されました。


これは維新の立役者である岩倉具視(羽林家)が三条実美(清華家)に比べても家格が低く、武家も領国の大小により身分差があるので、一旦身分や格式を平準化してしまう意図があり、それ以下の家老から平武士までは士族として、これも平準化しました。
つまり旧来の身分制度を壊す意図があったようです。
その後、明治17年7月7日に華族令が交付され、国家に多大な功績のあるものを「新華族」として、爵位を授けるようになりました。
これにより伊藤博文や黒田清隆、松方正義などの維新の功労者は伯爵となり、旧幕臣の勝海舟も伯爵となっています。
これら新華族と下級公家出身の華族は資産の少ないものもおり、明治45年には年金が受けられるようになり、爵位を受けたときに家門永続資金が貰える様になりました。
華族の特権は、貴族院の議員になれること、公・侯爵は30歳になると終身(歳費無し)、それ以下は同じ爵位間で互選(任期は7年)、皇族との婚姻(新華族は不可)、学習院大学への入学、帝大・学習院の奨学金、家範の法的裏付けなど。
義務としては婚姻は宮内大臣の許可を必要とする、男子は兵役の義務など。
不行跡があれば爵位を返上しなければならず、北小路俊岳男爵(詐欺罪)、桑原孝長子爵(無理心中で殺人罪)、土方久敬伯爵(治安維持法違反)などが爵位を返上している。
また有名な所では、徳川御三卿の清水家が金銭問題で爵位を返上してるが、子孫の徳川好敏がパイロットとして活躍し、男爵を受けた例もあります。
有名人としては、喜劇の古川ロッパ(男爵)、女優の久我美子(侯爵)、オリンピック乗馬の西竹一(男爵)、作家の武者小路実篤(子爵)など。
エピソードは、板垣退助伯爵は爵位を受ける気がなかったが、天皇の命により伯爵となり、死後板垣家は爵位を返上、それを見た福沢諭吉は、断りきれなくなる前に先手を打って、予め爵位を断り、功績をお金で換算して貰い、それを基に慶応大学を作ったとか。

この回答への補足

ありがとうございます。かなり詳しくありがとうございました。しかしちょっと補足なのですが、伯爵とか公爵などの爵位には、どれが一番権利が強いなどはあるのでしょうか?いまいち、伯爵はこういう人がなる、公爵はこういう人がなる、などよくわからないのですが、どれぞれの爵位の違いを教えてください。お手数ですが、よろしくお願いします。

補足日時:2006/01/13 11:01
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華族と言うのは戦前の日本で爵位をもつ人とその家族のことで、旧堂上公家、大名、大名に順ずる大身の武士の一部、及び国家に功労があり爵位を与えられた人の家族です。


この華族と言うのは江戸時代以前は堂上公家で摂家に次ぐ価格である清華の別称でしたが、明治以後は日本の貴族のことを言うようになりました。
貴族と言うのは日本の華族を含めて君主の藩屏としての特権階級のことで、たいていは国家に功労があったりして君主(皇帝や国王)から貴族としての地位を与えられたり認められたりして特権をもっていた人です。
華族やヨーロッパでは爵位は上位から公爵、候爵、伯爵、子爵、男爵の5階級と言うのが一般的ですが、ヨーロッパでも古い時代はまた違いますし、ヨーロッパ以外の貴族はまったく異なった制度になっています。
ヨーロッパには今でも貴族はいますが、いまは称号は持っていても特権はないということも多いです。

この回答への補足

ありがとうございます。貴族は君主つまり王だったり、政治を支配している人?が与えた称号だったのですよね?今の貴族というのは、金持ちというイメージなのですが、回答者さんの回答を見る限り偉い人や金持ちではないのでしょうか?また、貴族という称号を与えられた際には何が変わるのでしょうか?生活において・・教えてください、お願いします。

補足日時:2006/01/11 19:46
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貴族ってのは「ある国において何かしらの特権階級にいる人」の総称で、


その中でも「日本で明治から昭和の初頭まで存在していた」貴族が「華族」です。

爵位は国によって種類も階級も違います。
参考URLに詳しい説明が掲載されてますので、ご一読なられてみてはいかがでしょうか?

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D
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