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戦艦大和の主砲発射時 甲板での衝撃は?

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  • 質問者:tiger88
  • 投稿日時:2006/01/15 16:42
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以前、なんらかの本で戦艦大和の主砲発射時、甲板上で生身の人間はその衝撃に耐えられない。(ウサギを金網に入れ実験したところすべて死んだ)という事を読んだ記憶があります。映画「男たちの大和」では、機銃座の兵員はヘルメット以外なんの防具、耳栓などしていないようなのですが、主砲の三式弾打ちまくっていましたね。実際のところどうだったのでしょうか?

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  • 回答者:Toshi0230
  • 回答日時:2006/01/16 01:49

以前、陸上自衛隊の富士総合火力演習を見に行く機会があったのですが、120mmや155mm自走榴弾砲の発射を数十メートル後方(ほぼ180°後方)で見ていたにもかかわらず、発射時の衝撃波が結構な強さで届きました。
日本の射撃場は手狭なので、発射薬は減らしてあるはずなのにもかかわらず、です。

戦艦の主砲はこれの3倍とか4倍の口径な訳ですから、単純計算でも発射薬のエネルギーは9倍以上あるわけで、発射時に横に立っていたりした日には……あまり想像したくないですね(^^;

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  • 回答者:ewor-03
  • 回答日時:2006/01/15 22:57

アイオワの写真を見る限りでは、
主砲後方の波は穏やかです。

でも、必ず舷側に向ける訳ではないので、
艦尾に向けて発射して、
後部甲板にいたら、あの海のようにぺしゃんこになっちゃいます。

しんじゃーよ。まじに。^^;

小銃でも、後方は平気なのですが、
薬きょうの排出方向に人間がいると、
鼓膜が破れる危険があります。

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この回答へのお礼

すごいですね。大和の46センチならもっとすごい。

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No.5ベストアンサー10pt

  • 回答者:toro321
  • 回答日時:2006/01/15 18:24

対航空機用の3式弾は、幾度か使用されたようです。
映画でも、主砲は最初だけですよね。
機関銃が撃ち始めてからは、撃ってないはずです。
#3さん言われるように、主砲を撃つ場合はブザーがなって、総員避難したようです。
高角砲、3連装機銃などは、竣工時はすべて覆ってありましたが、第二、第三副砲を撤去した改装で、露天の機銃座も数多く設置されました。
あの映画はその機銃座で戦闘する人間を描いていると思います。

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この回答へのお礼

私の勘違いでしょうか。獅童らが機銃座で奮闘している時、三連装の砲塔が火を噴いていたので。副砲かな?大和の一番の弱点と言われた、装甲が薄い、他の鑑から移した奴。

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  • 回答者:buchi-dog
  • 回答日時:2006/01/15 18:24

菊水作戦で大和が撃沈された時は、天候が悪くて雲が海面近くまで立ち込め、主砲や副砲による対空射撃は不可能であったそうです。レイテ沖海戦の際は、主砲での三式弾射撃を何回も行っているはずです。

主砲による対空射撃は、遠距離にいる敵機編隊を対象とするものでした。即ち、主砲だけが届いて他の砲が届かない距離でのことです。この場合、露天の機銃座に兵員がいる必要はないので、全て艦内に退避しているという前提です。

レイテ沖海戦の際は、露天機銃座に兵員がいる状態で構わずに主砲を撃って多大な被害が出たという話を聞いています。戦艦武蔵の話だったでしょうか?

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この回答へのお礼

この時の武蔵の記録、戦記などどこかにないでしょうかね?

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:phantom1
  • 回答日時:2006/01/15 17:27

映画は観ていませんが、主砲発射時に剥き出しの機銃座にいれば吹き飛ばされてしまうので、そんなシーンがあったのなら、それは映像表現上の嘘でしょう。
大和の場合、主砲発射の衝撃と爆風があまりにも激しいので、高角砲や高射機銃座等は全てドームで覆う設計を施してあります。後期の改修で露天式の物も取り付けられましたが、これを使用するのは、飽くまで主砲を使用しない時だけです。主砲発射の際には、甲板に警報が出て、機銃要員は最寄のハッチから甲板の下に退避するのです。
余談ですが、大和の前にも、戦艦長門が竣工した際(大正時代)、主砲(40センチ砲)の一斉射撃を行った時、艦橋最上部の露天艦橋に人が立っている事が出切るかどうか、志願者を募って実験したそうですが、全員柱にロープで体を繋いでから一斉射撃を行った所、射撃の瞬間に吹き飛ばされて床や壁等に叩き付けられ全員失神。気が付くと軍服のボタンが爆風ですべて弾け飛んでいたそうです。それ以前の日本海軍では、戦闘時の指令部は露天艦橋で指揮を取るのが日露戦争以来の伝統でしたが、これを機会に防御の施された艦橋内で指揮を取るように改まったと言います。

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  • 回答者:6dou_rinne
  • 回答日時:2006/01/15 17:14

大和、武蔵の主砲斉射時には爆風が強く人間は耐えられませんし、各種小艦艇も壊れないように甲板の下に収納されていました。
しかし、主砲発射時にはB型機銃は打たないと言うわけにはいきませんので直接爆風を受けないようには設計されていたはずですが。

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広島の江田島にある旧海軍兵学校に<だったとおもう
戦争の歴史がしめされている展示場が敷地内にあるのですが

そこで大和の話もされました。
世界最強として建造されたものの
主砲が発射された(できた)のは1944年に
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦だけで
しかも発射回数もそんなに多くないそうです

沖縄戦に向かう最後でも 一発も発射されませんでした(できませんでした)
昔の話で 主砲が発射されなかったのは、沖縄戦で弾を残しておくためと聞かされましたが
その学校の話では、主砲が自由に上に上がる角度が10度前後だっため
上空にいる飛行機を打ちたくて打てなかったとの話です
(主砲角度は20度以下の15度だったかも、、、)

つまり実際は、主砲を打ちまくってないのです

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この回答へのお礼

http://www.biwa.ne.jp/~yamato/yamato.htm
見つけました。迎撃初期に27発、3斉射したみたいですね。

  
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