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2。中国や朝鮮騎馬隊に比べると

 1)秀吉の「慶長の役」のなかには「稷山の戦い」がありました。詳しい戦況は今までも疑問点が多いですが、この戦いのうちで明軍の武将「麻貴」が「2千の騎兵」を突撃させて、黒田長正の数千名の鉄砲足軽を壊しました。特にある朝鮮の高級武将が「鉄砲なんて、あくまでも下手の術ばかりだ」と感嘆したことが有名なのです。この戦いは、中国には高い評価を受けてあり、朝鮮にも「後期の朝鮮騎馬隊の始め」と評価されています。
でも、日本には「この戦いが未来へどんな影響をくれる」と疑問で別な結果がありませんでした。この理由については「日本には、すでに騎馬突撃の戦法なんて、長篠合戦で否定された」と説を広く認めています。もし、日本には初めから騎馬隊がなかったというと、なぜ日本軍はこの戦いよりなにも習わなかったですか

 2)「騎馬突撃」ということは西洋の別な戦術だけだと鈴木さんは言われるようです。でも、「近接戦闘騎兵」ということは朝鮮にもありました。「騎馬鉄砲」と言えることも、「騎槍武者」と言えることもありました。でも、鉄砲もしくは槍は実戦性、実効性、補給性などが乏しくて、実はほとんど「からざお」を用いたと知れてあります。

http://image.ohmynews.com/down/images/1/bluekb_2 …[392160].jpg

即ち、騎馬隊ということは西洋だけのことではないし、当時の東アジアでは見やすいことではないかと思います

A 回答 (2件)

日本では伝統的に個人戦の時代が長く、集団戦は後に学んだものです。



明軍が日本の鉄砲隊を粉砕したという詳細は知りませんが、長篠の戦いは陣の前に川と馬防柵という障害物を構築して武田軍の接近を妨げその背後より銃撃して死傷させたもので、鉄砲隊も隊伍をくんでの射撃というより個々に射撃したのが実態です。
従って黒田長政の軍はこのような野戦防御の備えが十分でなかったのでは・・・

朝鮮は近辺に騎馬民族を持ちこれと度々戦っていますから団体戦に馴れ、騎馬戦にも馴れていたのだと思うのですが。

この回答への補足

朝鮮もその前期には「騎射」の姿で運用されていました
でも、文録慶長の役のなかで明軍が日本軍に見せた「騎馬突撃」の威力を経験した朝鮮軍はその時から「近接戦闘騎馬隊」の養成をはじめました。もし、日本には元々「騎馬隊の突撃」なんてなかったと言ったら、なぜ日本軍は明軍から何も習わなかったんですか

補足日時:2006/01/20 13:02
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何を質問したいのかがわかりませんが、戦国時代の日本には騎馬兵だけで編成された「騎馬部隊」というのは存在しませんでしたし、騎馬隊だけで戦闘をすることもありませんでした。


ただ、アジアでも匈奴や蒙古などは騎馬部隊でした。

この回答への補足

騎馬民族に対抗するための「騎馬隊」というは朝鮮半島の北方のみはなくて、南方でもその根拠が発見されてあります。そこと近くて色々なことが似る日本に「騎馬隊」がなかったとおっしゃることは、即ち、韓国歴史学との正面拮抗というはありませんか

質問が複雑なのについては、すみません
次の機会にはもっとまとめて申し上げましょう

補足日時:2006/01/20 13:01
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