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この質問をここのカテゴリにすべきかどうか悩んだのですが、なんとなく哲学なのかな、と思いましたので(根拠はないですが…)ここで質問させていただきます。

『ダーザイン』という言葉の意味が知りたいのです。
そしてこと言葉は誰が作ったものなのか、どういう背景でできた言葉なのか、教えて下さい。

後者がわからなければ、前者のみでもかまいません。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7554125.html
上記のページで、関連の質問を致しました。
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下記のページの参照をどうぞ。


http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%80%E3% …
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  「ダーザイン」と日本語でいう場合、普通は、二十世紀最高の哲学者とも評価されている、ドイツの実存主義哲学者マルティン・ハイデッガーの哲学用語としての Dasein のことになります。従ってドイツ語です。ハイデッガーは、この言葉に特別な意味を与えました。木田元などの入門解説書には、先の回答者が記しているその通りのことが出てきます。
 
  意味の方は、話が難しくなるので、先に、この言葉は誰が造ったのかという話です。これは、元々、da + sein という形の動詞で、da は「そこ」という意味の副詞で、英語の there に当たります。sein というのは、英語だと、be にあたります。
 
  英語で、「彼はそこにいる」というのは、He is there. です。ドイツ語で、この表現は、Er ist da. となります。動詞としては、dasein と一語なのですが、実際に使う場合は、特殊な場合を除き、da sein という風に二語に分けます。つまり、dasein は英語だと be there になります。「そこにいる」「そこにある」です。
 
  英語でも、まだ用法は少し残っているのですが、西欧の言語では、ドイツ語、ラテン語、古典ギリシア語などで、普通、動詞の「不定形」は名詞になります。(「不定形」というのは、英語では、「原形」と云います。例えば、be 動詞の原形は、be です)。dasein という動詞は、英語だと、単に、be there(そこにある・いる)という意味ですから、かなり古くから、自然な言葉としてありました。また、これの不定形を名詞にしたもの、つまり、Dasein も、「そこにあること・そこにいること」の意味で、ごく普通の言葉として古くからありました。
 
  カントやヘーゲルは、この Dasein に特別な意味を持たせ(と云っても、「そこにある」という基本の意味は変化しません。その哲学的解釈の問題になります)、自分の著作のなかで使ったので、何か、哲学用語のように思えますが、元々、日常用語です。
 
  ハイデッガーも、彼独自の意味を、この言葉に込めて使ったのです。最初に云った通り、日本で「ダーザイン」というのは、ハイデッガーのこの使い方であるのが普通です。翻訳すると、「現存在(げんそんざい)」という訳語になります。「そこ da, there」が「現」で、「あること sein, be」が、「存在」です。「そこにある存在」で、「現にある」ので「現存在」とも云います。これはハイデッガーの著作で、Dasein が出てきた時の訳語で、カントやヘーゲルの場合は、それぞれ別の訳語を当てます。
 
  しかし、日常語としては、Dasein という名詞は、「現存、存在、生存、生活、現にあること、居合わせること」などの意味です。普通のドイツ語では、「生きていること=生存・生活」も、ダーザインです。「生きていること、生活すること」は、「人が、そこにいる」ことから始まるからでしょう。「そこ」とは、家庭とか会社とか、家とか、地球上とか、この世とか、色々ありますが、「そこ」にいる、此の世にいる、地球上にいる、家庭にいる、会社にいる、が生存や生活であり、また存在や現存でしょう。死んだ人は、もう此の世=そこにいないので、現存しないのです。
 
  「あのパーティでの彼のダーザインは幸運だった」というのは、ドイツ語では、「ダーザイン」は、「居合わせていたこと」を意味します。そのパーティに彼が居合わせていたので、話などができて幸運だったという意味です。
 
  ここで、ハイデッガーのダーザインという特別な意味を持つ言葉の説明をします。これは、西欧の思想の歴史を総決算したような概念なので、かなり難しいのです。
 
  簡単に述べます。先に、ダーザインの普通の意味として、「生活・生存・現存」などの意味があると述べました。ハイデッガーは、最初、植物や動物の生活・生存や、人間の生活・生存の違いを考えていて(これらは、植物・動物もダーザインなら、人間の生活もダーザインです)、人間は、他の生物と決定的にその「生存=ダーザイン」のありようが違っていることを見いだしました。
 
  と云っても、この発見は、ハイデッガーが最初に見つけたのではなく、古代ギリシアのアリストテレースは、『形而上学』第一巻(アルパ巻)のなかで、大略、「人間は、事物が《ある》ということを知っている。動物たちは生きてはいるが、事物や自分自身が存在しているということに気づいていないようである。人間だけが、事物や自分自身が存在していることを自覚し、何故「あるのか」という疑問を抱き、また、ものが在ること・存在することに、驚きの念を覚える。この《驚き(タウマゼイン)》から、哲学は始まったのである」と述べています。
 
  事物や自分自身の「存在」を自覚し、それに疑問を感じたり、不思議に思ったり、驚いたりするのは「人間だけ」であると、アリストテレースは述べているのです。ハイデッガーが見いだした、人間と他の生物を、決定的に区別する特徴とは、この「事物や自分が存在していることを知っている」ということだったのです。
 
  ダーザインは、生存・生活だったのですが、人間の生存は、「事物が存在することを自覚している生存・生活」である、として、動物や植物の「生存・生活」と区別し、「生存=ダーザイン」を、「存在を自覚する人間の生活・存在」の意味に限定して使ったのが、ハイデッガーのダーザインという言葉の使い方、また、その意味です。動物も、それぞれ「ダーザイン」を持っているのですが、人間のダーザインだけを、特に「ダーザイン」と呼ぼうということです。
 
  また、存在を自覚する人間のダーザイン(生存・生活)が、動物と人間を決定的に区別する特徴であるので、このようなダーザインを持つ人間は、まさに、このような「ダーザイン」で規定されている。そこから、ハイデッガーの用法での「ダーザイン」は、「人間」を意味するようにもなりました。正確には「人間のダーザイン=現存在」ですが、これを略して、「ダーザイン=現存在」とは、「人間の存在」のことである、ということになります。「ダー(そこ)」とは、結局、人間が、事物の存在を認め、了解する「場」であるということになります。
 
  パーティという「その場」に行くと、珍しい友人に会えたので幸運であったという表現との関係で云うと、人間のダーザインの場に行くと、「事物の存在」に出会えるということになります。単に、事物に出会うのではなく、その「存在に出会う場」、これが「ダーザイン」なのです。
 
  アリストテレースが「驚き」であると云っていた、「事物の存在すること」を、西欧哲学では、「存在」と云います。これは、哲学用語で、ドイツ語だと、Sein(ザイン)、フランス語だと Etre(エートル)、ラテン語だと、Esse(エッセ)と云って、たいへん分かりにくい概念です。
 
  存在(ザイン、エッセ)とは、存在する事物や生き物が、「共通に備えているある性質」だとすると、あるものは、赤い色だとか、あるものは、青い色だという風に、あるものに、「存在」が付くと、それは現実に存在するようになり、現実に存在するものから、「存在」という性質を取ると、それは、現実に存在しなくなるのだ、という風な考えが出てきますが、この議論はたいへん難しいです。
 
  「現実存在」と「本質存在」の区別というのは、この議論と関連して出て来るのですが、難しすぎて説明できません。先の人の説明は、ハイデッガーの入門書などで、必要な部分だけを述べているので、正確には少し違うのですが、何が違うのか、という説明が難しいのです(この説明には、ドイツ語の用語ではなく、ラテン語の用語を使うのですが、その説明だけでもっと多くの言葉が必要になります)。
  
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ダーザインはドイツ語のDaseinでしょう。

Da(現に、そこに)、sein(有ること)が語源です。
これはもともとは現存在=現実存在(略して実存)を意味する一般名詞で誰が作った言葉というわけではありません。哲学用語としてはカントやヘーゲル、ニーチェも普通に使用しています。

存在(有るということがら)は、一般に現実存在(~がある、Exsistenz)という意味の存在と、本質存在(~である、Essenz)の両方の意味があります。日本語の感覚では、存在といえば前者しか考えません。花の存在といえば、たいていの人が花がどこそこに有るのか無いのかを考えるでしょう。ところが西洋では後者の意味の存在の方が強かったようです。例えば「花とはどういう存在か?」というような問いに対する答えは、「花とは美しいものである」とか「花とは植物である」など、その本質が何であるかを答えるわけです。したがって、存在も二つの意味があるわけです。

ちなみにカントの著作が翻訳される時には、訳語はダーザインは現実存在とか実存とかと訳されます。ヘーゲルの場合は、定存在とか定有と訳されます(慣例)。

ところで、このダーザインという言葉を特に人間の存在の仕方に使用したのがやはりドイツの哲学者マルティン・ハイデガーです。人間は事物と違い何かが存在するということに気付き、それを発見しています。動物にしろ単なる物にしろ、人間以外は他のものが有るということや自分が存在しているということを知りません。人間のみが、何かが存在するということ、存在という出来事に出遭うわけで、いわば存在という出来事の現場になっています。この存在の場所としての人間の性格を現すために、ダーザインという言葉を用いました。この場合も現存在と現有と訳されますが、ハイデガーは「現」というところに力点を置いているわけです。主著『存在と時間』(『有と時』)で提示された用語法ですが、若干のニュアンスを変えながらも、基本的にハイデガーは人間の存在の仕方を表すのに、この言葉を使っています。

もしも詳しく知りたい場合は、木田元の「ハイデガーの思想」(岩波新書)が格好の入門書となるでしょう。
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もしかしてドイツの哲学者ハイデガーのダーザインですか?私の知っている範囲の事で申し訳ないのですが・・・。


「現存在が存在する」とは言葉に対して、「現存在」とは「現在」に「存在している者」、つまりこれがドイツ語では「Da Sain(ダーザイン)」です。「Da」は「ここ」とか「現に」等を表し、「Sein」は「存在」です。太宰治のペンネームもこの「Da Sein」にちなんでいる、という説があります。つまり、「現存在」は「現在生きている人間」の事です。
ハイデガーは
「存在者の存在は、それ自体、一種の存在者であるのではない」とし、存在とは作用であり、それによって、存在者は存在者たらしめられる、としました。
「現存在が存在する限りにおいて、存在は『ある(エス・ギブト)』」
「現存在が存在を了解するときのみ、存在は『ある』」

などと述べた人です。私はハイデガーにはさほど詳しくないので、ハイデガーについて調べれば時代背景がわかるのではないか、と思います。
ご参考下さい。
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