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仏教がインドから中国にどのように伝わったか教えてください。伝わったことで中国にはなにか影響とかあったのでしょうか?それから後世どんな感じで発展したのでしょうか?

A 回答 (6件)

長文になりますので以下を参照してみてください。


中国仏教史
http://homepage3.nifty.com/54321/chuugoku.html
ウィキペディア 仏教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
インド仏教史
http://homepage3.nifty.com/54321/indo.html
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伝わって経緯についてはNo.1の方の意見の通りだと


思いますので中国にどの様な影響があったかと言うと
禅宗の発達だと思います。
少林寺で始まった禅宗は様々な武術に禅宗の
修行を取り入れられ中国伝統の思想の気と禅が
結びついて独自の修行法が生まれました。

もちろんこれだけでなく政治面でも日本と同じ様に
様々な影響があったでしょう。

また日本の仏教にも中国からの密教や宗派、禅が
伝わり今の日本の仏教の基礎になってると思います。
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こんにちは。



これは、何十年も前の私の記憶からの意見であって、正確な歴史的考察ではないことを最初にお断りしておきます。

 中国に仏教が伝わったと言っても、私は、ひじょうに複雑な化学変化をしたものだと思っております。もともと、中国は、儒教の国でしたから、仏教のように超個人主義の考え方は、中国ではあまりにも不都合です。また、仏教思想は思索的であり、中国は、実利的・現実的な思想が好まれるので、それも受け入れ難いものだったに違いないでしょう。

 最初は、紀元1世紀ごろ、西域から、中央アジアのイラン系遊牧民族からもたらされたといわれ、2世紀に入ってから、大乗仏教経典が持ち込まれ、国の保護を受けたといわれます。仏教史からすると、4世紀に入り、西方の浄土教が最初強かったようで、仏教とは言っても、厳密な意味でのインド仏教とは多少異なるものではなかったかと思います。また、有名な鳩摩羅什(クマーラジーバ)も、中央アジア出身者であり、阿弥陀経の訳出などをみても、それが色濃いわけです。

 6世紀に達磨が伝えたとする「禅宗」は、おそらくは、今日、伝わるものとは、かなり違ったものだと思われます。我々が最も禅宗で知りうる人物としては、達磨以外では、7世紀の禅宗第六祖の慧能です。当初の禅宗は、決して、無言で伝えるような、「教外別伝」などというものでなかったのは、史実で明らかです。また、当時の中国にとっては、達磨に対する度重なる暗殺計画があったことから、強い抵抗があったことだけは伺えます。なお、少林寺拳法なるものが、いかなる歴史を持っているかは分りませんが、いやしくも、仏教徒たるものが、かような武術を維持することは理解できませんし、仏教とは関係がないように思います。無為自然、自法爾には、仏教の専売特許のように言われるけれども、これは、決して、仏教を土台にしたものではないわけです。

 7世紀に、僧玄奘がインドには留学するものの、それ以降の中国仏教は、氏が、どれほどの語学力があったかは別として、これ以降、以前の時代の「旧訳」に対して、これ以降、彼の翻訳が基盤となってしまい、膨大な原本は失われてしまったわけです。その後、中国仏教の再興は起こされたものの、完全には成しえなかったのは、こうした中華思想の理由からではないでしょうか?

 その後、8世紀になり、インドの僧である、善無畏、金剛智など、名前でも想像できるように、密教の僧が訪中したが、これ以降の出家の仏教としは、必ずしもはかばかしい状態ではなかったと思うのです。

 対して、仏教は、道教化し、民間信仰として変化するものの、中国仏教とは、果たして、インド仏教と根を同じものとするものなのか、似ていて非なるものではないか、と思うことがあるのです。現代の中国が、決して、仏教国とは言えないと同時に、かの地の暴力と侵略の歴史は今なお続き、それは日本と同じく罪深いのではないか、と思うのです。
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質問者の方の質問の答えにもなると思うので


あえてNo.3の方に対して反論をしときます。

僧の間で禅の修行が格闘技とは関係がないと言う意見
でありますが確かにそう思われても仕方ないかもし
れません。ただ少林寺は格闘技として禅を修行してる
わけではなく目的は禅と同じで無心を求める為に行ってをり、その為の1つの手段にすぎないと言う考え方です。
また日本の剣道や武道でも剣禅一致と言う精神があり
宮本武蔵や柳生新陰流も座禅の修行を行っています。
理由は戦いに勝つために平常心が必要だからです。

この事から見ても中国の仏教が格闘技の修行に
影響を与えたと言えるでしょう。
また中国や日本の武道は精神性も求める為、禅の
影響があったからこそ発展したと考えられます。
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少し、思ったことを書いておきます。



 私としては、中国仏教史と直接は結びつきのないサブカルチャーを取り上げて、その影響云々を言ってもキリがないとは思うのと、日本仏教史における禅仏教と中国のそれと比較するのは、かなり困難だと思うのです。確かに、中国でも、一部の士族に広まったとはありますが、日本では、現在でも世界的に評価の高い道元禅師のように、カリスマ的に、我々の一般文化にまで影響を及ぼした人物は、中国にはいなかったと思うのです。それは、日本の禅仏教は、江戸時代の長きに渡り禅仏教(主に臨済宗)が支配階級に深く関わりを持ったことにも影響があるのではないかと思うのです。また、中国の現代まで残る一般的な仏教は念仏禅であって、日本にも、一休宗純が、その特色を現しますが、どちらかというと、日本人には、なじみがないかもしれません。

 それはともかくとして、中国では、六祖慧能の後に、一気に禅仏教は最盛期を迎え、道元や栄西が留学し、また、やがて、正統派中国禅仏教の終末期には、日本にそのメインストリームを移したことも幸いしているのかもしれません。その後、もはや、正統派中国禅仏教は、六祖慧能以降の南宗も、まして少林寺を中心とする北宗ともに衰退してしまったわけで、サブカルチャーとしての仏教は、様々な民衆には溶け込んだとしても、メインストリームに、その禅仏教の宗教性は残してなかったのではないかと考えるのです。それは、不幸にして、時の政権の廃仏令や政変が大きく災いしているのだろうと思います。

 ただし、中国のサブカルチャーとして、宗教関連で特記すべきことは、念仏宗の「白蓮教」の流れを汲む19世紀末の「義和団事件」があります。未だに、中国政府は、この事件を引きずっているようで、「法輪功事件」の時に、政府は強行な弾圧をしたわけです。

 また、私の知る範囲において、中国の禅定は、仏教の隆盛よりも昔の歴史を持ち、内丹・導引で知られるような中国原産というべき独特の功法を持って、ひじょうに合理的かつ生理的に適った瞑想法があったと思われます。禅が老荘思想などと極めて近く感ずるのは、そういう影響下にあったのではないか推測しています。仏教徒として、出家・在家ともに「戒」を持つが、それを持たない、またはそれに反する者の禅(禅定=ディヤーナ)は、本来、仏教とは関係ないというしかありません。その点においても、日本でも、終戦後、一部の宗派の仏教徒や左翼思想家が、戦時中の禅宗の僧の言動を強く批判しました。

 それと余談ですが、宮本武蔵の話が出ていましたので、つけ加えておきます。
かなり前の映画で、内田吐夢監督、萬屋(中村)錦之助主演の『宮本武蔵』の中では、宝蔵院の僧たちの浪人狩りに、錦之助演じる武蔵は、その僧の殺戮の矛盾に強い憤りを現しました。小説では読んでいたもの、私は、その武蔵の叫びは、ずっと仏教に対する違和感として残っています。我々は、現代でもくすぶりつづける、イスラーム教にしても、キリスト教においても、まして、仏教においても、すくなくとも宗教人として「戒律」を持ち、その教えを説くにも関わらず、宗教としての「戒律」を破り、人を傷つけ、人を殺すような自己矛盾に強い疑問を持っております。安易に宗教に結びつけたところで、人の命を重んじ、人が生き繁栄を願わないような宗教は、宗教であってはならない、と思うからなのです。それは、日本の宗教にまつわる事件の数々でも、いえるのではないでしょうか?単なる歴史上の記録ではなく、まさに、我々が現実に向かわなくてはならないことではないか、と思うからなのです。

なお、少林寺の歴史としては、以下が面白い。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/axian/sankou/s …
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経路について。


1・1)仏図澄・鳩摩羅什に代表される「西域僧」による仏教東漸。
1・2)法顕・玄奘・義浄に代表される中国僧による仏教移入。
2・1)北回り(西域経由)でのいわゆる大乗仏教。または北伝仏教。
2・2)南回り(海路経由)での上座部仏教。または南伝仏教。

重要なことは、いわゆる阿含系経典(中村元『ブッダの言葉』など)も大乗系経典(『法華経』・『浄土三部経』)も、歴史的成立順とは無関係にインドから中国へと導入されたということです。そのため中国では「教相判釈」と呼ばれる経典解釈学が成立しました。この解釈上の立場によって、どの経典を重視するかの立場が発生し、現在いうところの宗派が発生したと理解していいでしょう。もっとも中国における宗派というものは学派というほどで、日本における宗旨の違いほど厳密なものではありません。
中国の仏教を史的に概観すると、隋唐時代をエポックとしてその前後に分けて考えることができます。それ以前は貴族たちの趣味的な援助を受けての導入期、隋唐時代は国家的な援助を受けての発展期、それ以降は個人の宗教としての成熟期、となるでしょうか。(ここでの「○○期」の用語には学術的背景はありません。筆者の気分です。)
言い換えるならば、隋初に天台智顗による『法華経』を中心とした教相判釈が確立したことをもって中国独自の仏教が完成し、唐代に密教が移入された後、「会昌の廃仏」をもって仏教の興隆が終った、とみなすことができるということです。以降、中国の仏教は禅と浄土との流れにまとまっていきます。
以上、インドから中国にどのように伝わったかについてでした。仏教の中国への影響や、後世の発展の詳細については省略させてください。
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