戦前戦後の政党
こんにちは。今回私は、戦前の政党と戦後の政党はどんなものがあったのか?をお聞きしたいと思い質問させていただきます。まず、内閣総理大臣が始めて施行され、伊藤博文がなりましたよね。立憲政友会と立憲民政党の二大政党でしたよね??そこから、どのように現代にいたるまで変化したか?なにしろいろいろな党があるもので、よくわかりません、それから進歩党が発足し、自由党と合同し、憲政会??でしたっけ。とにかく大まかにでいいので、戦前戦後大変でしたどちらでもよろしいです。それと確か、戦後は社会党が分裂し、自民党と社会党の55年体制でしたよね?お願いします
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
サンフランシスコ講和条約の際ですが、「全面講和」か「単独講和」かで揉めていました。
保守的な自由党の吉田総理は「アメリカなど資本主義国とだけ講和して、中華人民共和国などは後回しだ」とする「単独講和」を進めていました。
しかし社会党は「それじゃ日本は西側諸国の一員になるということじゃないか。日本は戦争放棄したのだから、スイスみたいに永世中立であるべきだ。全面講和しろ」と自由党に反対します。
ただし社会党右派の人達は、社会党とはいえやや保守的ですから、「中国やソ連とは後で講和することだってできるじゃないか。全面講和に繋がるような単独講和ならOKじゃないか」と主張します。
そういうわけで、
社会党右派・・・単独講和
社会党左派・・・全面講和
という主張の違いが分裂の原因となったのです。
ただし右派も左派も講和条約と同時に調印された「安全保障条約」には反対でした。
さて革新政党である社会党と共産党の話ですが、
1950年に日本共産党は「所感派」と「国際派」に分裂してしまいます。「所感派」は武装闘争によって目的を達しようとする人達ですから、「危ないことをする政党」ですが、国際派はあくまで平和的に言論で戦おうとしていました。
当初は所感派のほうが多かったのですが、武装闘争は国民の理解が全く得られず、選挙で惨敗し、その後は正当な政治活動をするようになり、1960年には安保改定に暴力でもって反対する全学連を説得しようとしたりしています。
社会党のほうは危ない活動は最初からしてないと思います。
55年体制以降、「議会に議席を持つれっきとした政党が危ない活動をする」ということはありません。
この回答へのお礼
なるほどありがとうございました。すべての時代において共通していることは闘争が絶えないことですね・・。悲しいことです。とにかく回答ありがとうございました。
戦前政党は詳しくないので戦後の話を。
質問者さんがどの程度まで詳しく知りたいのかによって回答が変わってくるんですが、とりあえず「普通はこの程度の知識でいいんじゃないか」というレベルとしては、
(1)最初に保守政党として吉田派の「自由党」と鳩山派の「日本民主党」があった。
(2)革新政党として、社会党と共産党があったが、社会党はサンフランシスコ講和条約に関して「単独講和」か「全面講和」かで争論となり、右派社会党と左派社会党に分かれてしまっていた。
(3)しかし1955年、分かれていた社会党は統一。
(4)その一ヵ月後、保守政党である自由党と日本民主党も統一し、自由民主党ができた。
(5)その後はほぼ自由民主党:社会党=2:1の状態が続く。これを55年体制と呼ぶ。
(6)しかし社会党以外にも野党が増えてきて、1993年ついに自民党は野党に転落。
このくらい知ってれば少なくとも高校日本史のレベルはクリアです。
この回答への補足
ありがとうございます。この社会党の分裂なのですが、右派と左派とではどうちがうのでしょうか?教えてください。また社会党と共産党は革新政党と書かれていましたが、危ないことをする政党ということではないのでしょうか?お願いします。
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