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鎌倉時代、多くの坊さん?達によって様々な宗派が出来ました。浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗などなど。その、各宗派の違いや鎌倉時代どの様な割合で民衆に浸透していたのでしょうか?(つまり、どれが人気があった?)ご教授のほどよろしくお願い致します。ご回答の際、回答者様が何宗か記載して頂けますと有難いです。

A 回答 (1件)

 平安時代の末期は末法思想の時代。

末法思想とは仏教の歴史観で、釈迦の入滅後、その教えが人々の間でいかに行われるかについて、正・像・末の3時代に区分けしたもののひとつで、釈迦の教えのみがあって、修行する者も成果もなくなる時期で1万年続くという時代のこと。

 末法思想によって、社会が不安で満たされると、この危機感を救済しようとさまざまな宗派が誕生した。まず浄土宗の祖である法然が名乗りを上げた。法然の思想をさらに推し進めたのが親鸞(浄土真宗)。そして、法然、親鸞の誰にでもできるやさしい修行とは対照的に、厳しい修行を旨とする禅宗の一派、曹洞宗の祖道元が現れ、さらに「法華経」こそが世を救うとし、他宗を厳しく批判した日蓮が登場した。

 浄土宗は、厳しい修行もなく「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでよく民衆の間にたちまち広まっていった。浄土宗の誕生によって、ようやく仏教が民衆に門戸を開き、大衆化された。

 浄土真宗は在家仏教を確立した宗派。流罪になっている間に結婚し、子どもをもうけ、肉食妻帯、非僧非俗という立場で念仏を唱え、阿弥陀仏の救済を求める道を選択したことにより、在家仏教を自ら実践した。教団として体制を整えたのは親鸞の没後10年を経てから。

 曹洞宗はただ何ものも求めずに無条件に坐禅を行うことを説いた禅宗の一派。新宗教ということもあり、旧仏教からの圧力を受ける。権力者に近づくことなく、地方の領主や一般の民衆に浸透していった。

 日蓮宗は、世を救うのは、大日如来でも阿弥陀如来でもなく、釈迦如来であり、「法華経」しかないとして根本経典とした宗派。日蓮は他宗を厳しく批判したため流罪になったこともある。

 時宗は一遍が全国を行脚して広めた念仏信仰の宗派。教団として成立したのは、一遍の没後で、弟子の真教。

 臨済宗は、考えながらの坐禅修行を中心に、さとりを目指した禅宗の一派。鎌倉幕府をうしろだてに宗勢を強めていった。

 ほかにもいろいろの宗派がありますが・・・私が持っている知識はこんなところです。民衆に浸透していた割合はわかりません。

 ちなみに私は神教(伊勢神宮)で、仏教ではありません。
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この回答へのお礼

ご教授頂きまして、誠にありがとうございます。
臨済宗が、幕府の保護下にあったことについては当方は存じなかったため新たな知識が入手できて嬉しく思います。誠にありがとうございました。

お礼日時:2006/02/01 23:00

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