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日本戦国時代の幼名ですが、よく数を使っているのを見かけます(例:源二郎の二など)源=源氏・・・の系統でよく見るのですが、二という数字の概念を、どういう基準・法則で使っているのかが分りません(次男だから二郎、という概念では無い気がします^^;)数の概念・幼名のつけ方の法則とか、家によって基準や信じているもの(宗教など・・・)によってつける法則などもあるのでしょうか?
また、日本戦国時代で幼名・数・・・に関する良い本や論文、HPがあったら教えてくださると嬉しいです。

A 回答 (3件)

まず幼名についてですが、数を使うケースは多くありません。

通常は長寿を願う(竹千代=徳川家康)とか、逞しく育つことを願う(梵天丸=伊達正宗)とか、あるいは迷信の縁起担ぎ(拾=豊臣秀頼)などの理由で名づけられました。徳川家斉のように、あまりにも沢山子供が生まれる(実に55人!)ので、男子は第二子以降順番に数字を幼名にしたというフトドキモノもいましたが、これはむしろ例外です。

数字を付けるのは、元服の時に諱とともに貰う「仮名」の場合が多いですね。例えば九郎=源義経とか余市=那須宗高(10余り1で十一番目の子)とかです。この場合、原則は太郎、次郎、三郎と順番に付けますが、絶対的なものではありませんでした。例えば、伊達政宗の仮名は「藤次郎」ですが、彼はれっきとした長男でした。これは、伊達家が初代から四代まで諸事情により次男が家督を継いだため、惣領に「次郎」を付ける習わしとなったからです。

また祖先に傑出した人が出た場合、代々生まれた順番にかかわらずその名を名乗ることもよくありました。武士ではありませんが、今日でも歌舞伎(市川団十郎など)にその風習が残っていますね。
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この回答へのお礼

色々有難うございます。家によって、想いいれなどもあるのですね。>元服の時に諱とともに貰う「仮名」についても知りたいので、今度調べてみます。
有難うございました。

お礼日時:2006/02/07 22:20

数字でつけるのは平安時代から鎌倉にかけての「中世の習慣」だと思います。

九郎義経は嫡流で「八番目の子供」ですね。ただ先祖に「八郎」の偉い人がいたので遠慮して九郎としたということです。

中世の「旧い時代の習慣」と、近世(室町から江戸期まで)の「新しい時代の習慣」ではおのずと変化があると思います。
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この回答へのお礼

ご解答、有難うございます。
中世の習慣についての知識が皆無なので、助かりました。家によって、数を見比べてみると面白そうです。

お礼日時:2006/02/07 11:49

戦国時代に限らず、名前についてはそれぞれの家の歴史・由緒・慣例などがあるので普遍的な法則というとないでしょう。


たとえば源二郎という名前にしても、先祖が次男でそういう名前だったのにあやかって長男は代々その名前を受け継ぐという例もあります。
また宗教によってもその宗派にかかわるような名前をつけてもらったりすることもあります。
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この回答へのお礼

有難うございました。やはり、家によってその法則も違うのですね。
宗教によっても・・・という部分ですが、これも家によってどこに信仰をおいていたかによっても変りそうですね。有難うございました。

お礼日時:2006/02/07 22:23

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