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まず一つ目は、法の適用についてです。これは、皆さんのひとりひとり感じ方が違うと思いますが、どんなことでもいいので「法の適用について」ということに関する意見をお聞かせください。

二つ目は,憲法制定についての問題点です。これも上記のようなことで結構ですのでお聞かせください。

A 回答 (1件)

私の専門は哲学なので、あまり専門的なことは書けないのですが、ご容赦ください。


まず「法の適用」ということですが、これは単純に二つのことに分けられると思います。つまり、法の「手続」と「解釈」という概念に分化してよいのではないか、ということです。
前者が特に問題になるのは社会や組織から不利益をこうむる場合―すなわち、不利益処分を受ける場合です。具体的には、学校や企業などによるもの(退学・停学、懲戒処分など)や法律違反の際に適用される刑罰があるでしょう。
この場合、きわめて慎重に手続きがされなければなりません。どのような行為をおこなったのか、なぜ行なったのか、ルール違反であることを知っていたのか…などを丁寧に審議する必要があるでしょう。それは、この処分がその人の人生に大きな影響を与える可能性が高いからです。
しかし、日本においてはこの「手続」という概念が軽視されているように感じられます。頻発する冤罪(特にチカンのそれはひどいようです)などにそれは表れているように思えます。
後者の「解釈」というカテゴリーは利益、不利益を問わず、いろいろな場面で問題になりますね。
ここで重要なことは法解釈は解釈者の主観がどうしても入ってこざるを得ない、ということです。しかし、その場合には必ず相手を納得できるような論理的説明を必要とします。つまり、単に「法律でこのように書かれているから」とか理由もなく「こちらが正しいと思ったから」というのではなく、どのような状況から、どのような理由で、その法を適用してよいと判断したのかを相手に知らせる必要があるのです。これがなくては法治主義も民主主義もありません。

第二の質問についてはいろいろな問題があるのですが…、できるだけ制定過程に基づいて簡単に説明をしましょう。
当時の日本政府はポツダム宣言を受け入れました。その中に、「民主主義的傾向の復活・強化」という条項があります。ここには明治期の自由民権運動や大正デモクラシーなどの伝統が想定されているようです。
また、GHQも当初は日本政府に憲法草案を作成させるのですが、1946年に『毎日新聞』にスクープされたその内容は明治憲法を少し言い換えただけのものでした。その中で、天皇制を残すことを考えていたマッカーサーは、天皇の戦争責任を厳しく問おうとしていた「極東委員会」の成立とそちらに憲法改正のイニシアチブを奪われることを警戒し、早急に憲法草案を作成する必要にせまられることになりました。
そこで、彼はGHQ民政局に憲法草案の作成を指示しました。とはいえ、彼らも0から作るわけにはいきません。そこで参照されたのが、フランス人権宣言などはもちろんですが、特に参考とされたのは日本の民間草案だったのです。特に、GHQが参考にした「憲法研究会」の草案と現在の憲法とは瓜二つといってよいほど一致しています。
また、民政局長のホイットニーは「天皇制を維持したいのならせめてこの程度の民主憲法草案を用意してもらいたい」と述べ、それが嫌なら日本政府案とGHQ案の両方を国民に示し、最後は国民投票で決めることを提案しました。もし、国民投票になればGHQ案が受け入れられるのはほぼ確実な情勢でしたから、政府側も結局、この案を受け入れることになったのです。
また、この憲法草案は議会で審議され、削除されたり、追加されたりした条項も多いようです。また、いろいろと問題になっている憲法9条は当時の首相、幣原喜重郎がマッカーサーに提案したことで加えられたことだそうです。これは1950~60年代に設置された憲法調査会や幣原・マッカーサーの証言もあるようです。
もちろん、憲法制定の過程はベストのものではありません。その際たるものは、やはり、日本国民が真に自主的で民主的な政府を作り出せず、結局、最後は「外国」の力に依存せざるを得なかったことにあります。それは戦争責任を陸軍幹部に押しつけ、海軍幹部や官僚などの政府中枢の戦争責任が問われなかったことや、憲法が骨抜きにさせられていく一連の過程に見られると思います。

参考文献
『法とは何か(新版)』(岩波新書) 『世界史の中の1945年』『戦後民主主義』(共に岩波書店)など
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