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神功皇后について。

役に立った:4件
  • 質問者:poccuru5
  • 投稿日時:2006/02/08 17:32
  • 困り度:困ってます

 神功皇后と香坂王・忍熊王の争いは、のちの安閑・宣化・欽明の皇位継承権争いが反映されているという説があるそうです。これにすごく関心があるのですが、どの研究者の説なのかよくわかりません。

 ご存知の方、教えてください。よろしくお願いします。

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回答(1件)

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  • 回答者:nacam
  • 回答日時:2006/02/09 09:33

神功皇后自身の存在が疑問視されている人物です。

神宮皇后は、仲哀天皇の皇后とされ、仲哀天皇の時代に朝貢を拒んだ熊襲征伐の途中で、神が乗り移り、熊襲ではなく、新羅征伐のお告げをうけます。
仲哀天皇は、それに従わず、熊襲征伐を続けたため、神の怒りにより死亡します。
神宮皇后は、神の教えに従い、新羅遠征で勝利し、その途中で産気づきましたが、石をかかえて出産を伸ばし、帰国直後に後の応神天皇を生みます。
応神天皇は死んだとの噂を流し、香坂・忍熊の両王子の蜂起を待ち、二人を殺害し、みずから実質的天皇として政治に携わります。

このことから、天皇家が、崇神王朝と、全く関係無い応神王朝、仁徳王朝を結びつけるために創られた人物とされています。
一般的には、継体天皇の子である安閑・宣化・欽明の各天皇とは関係が無いと言われています。

一方では、仲哀天皇自体も架空の人物で、本来仁賢天皇と武列天皇の間にいた天皇を、日本武尊として崇神王朝に移し、その子として、仲哀天皇を想像し、応神天皇から継体天皇につなげたとの説があります。

日本武尊を仁徳朝から崇神朝に移した理由は、継体朝の存在を正当化するために、武列天皇の悪行を強調しますが、その先代が英雄の日本武尊では、武列天皇の悪行を薄められてしまうためと考えられています。

武列天皇の悪行に関しては、古事記には一切の記載が無く、日本書紀にのみ書かれているため、継体天皇を正当化するための捏造との説もあります。

また、安閑・宣化・欽明の皇位継承権争に関しては、神宮皇后とは関係無く、二人の天皇が並立していたとの説があります。
これは、欽明天皇の死亡年から在位年数を逆算すると、継体天皇の死亡年と一致してしまうために、文献のどこかに誤りが有るのか、二王朝が並立していた可能性があるためです。


私の読んだ本は、平成5年に出版された「歴史と旅」の臨時増刊号「歴代天皇総覧」です。

このあたりの事について書かれたのは、
武光誠 明治学院大学助教授(当時)
    日本武尊、仲哀天皇

岡田精司 三重大学教授(当時)
     神宮皇后

松前健  奈良大学教授(当時)
     応神天皇

川口勝康 都立大学助手(当時)
     武列天皇

田中日佐夫 成城大学教授(当時)
      継体天皇

酒井雅志 国学院栃木短大助教授(当時)
     安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇

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この回答への補足

 『歴代天皇総覧』歴史と旅臨時増刊をネット古書店から取り寄せて読みました。新知見はありましたが、当面の問題についてはあまり参考にならないようです。でもお答えいただきありがとうございました。

この回答へのお礼

 なるほど、この質問の情報源は、瀧音能之氏の
 『神々と古代史の謎を解く 古事記と日本書紀』青春新書(05.11.15)ですが、
 まだまだ知らない説ってたくさんありますね。

  
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