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日本の江戸幕府は歴史用語の上では封建制なのでしょうか?それとも絶対王政なのでしょうか?
江戸時代は確かに各大名に領地が与えられていて、行政や司法が委ねられていましたが、大名が己の領地に対し完全に主権を有しているわけではなく、幕府によって領地替えや取り潰しされる事がありました。
また将軍と大名は契約によって主従関係があるのではなく、完全に支配されています。
しかし大名は将軍が派遣した官僚ではありません。
こういう場合はどちらに分類されるのでしょうか?
西洋の歴史用語を日本の体制に完全に当てはめる事も難しいと思いますが。

また西洋で日本の江戸時代のような体制になっていた時期もあるのでしょうか?

A 回答 (5件)

 お教えするような書き方にどうしてもなってしまいますので、文章の生意気な部分はどうかお許しください。




 江戸時代こそが、典型的な封建制です。
 確かに西欧中世の封建制とは若干異なりますが、江戸時代が封建制でなかったら歴史学の根幹が揺らぎます。

>大名が己の領地に対し完全に主権を有しているわけではなく

 いえ、有していましたよ。
 そうでなければ、独自の軍隊などもてるはずがありません(家臣団=軍団)。
 主権があったればこそ、「薩英戦争」とか「薩長同盟」とかができたわけです。
 基本的に「国家主権」というのは、行政、立法、司法及び軍事がそろっていることを言いますし、他の国から内政干渉されない権利も含みます。
 その点、江戸時代の「藩」は、それらを十分以上に持っていました。

>幕府によって領地替えや取り潰しされる事が

 これは、主権が有るとか無いとかいう次元とは別で、主権を持つ大名を統括する主君(将軍家)の、臣下へのコントロール方法が強引だったというだけです。
 西欧でも、封建主義の時代に、地方領主をローマカトリック教皇が「破門する」という手段で、実質上無力化することもありました(自分で国教会を作っちゃったイギリスみたいなとこには効かなかったみたいですが。)。
 西欧では、主従関係を結ぶ対象が「世俗」と「宗教」とで分離していましたので、「世俗権力しかない日本」とは異なるのは仕方のないことです(日本の場合は、「朝廷」という別の要素もありますが、ここでは触れません。)。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>これは、主権が有るとか無いとかいう次元とは別で、主権を持つ大名を統括する主君(将軍家)の、臣下へのコントロール方法が強引だったというだけです。

ここが疑問なのですが、いくら行政権や軍事権が与えられているといっても、それをいつでも取り上げられる可能性があれば、やはり完全な主権とは言い難いように思うのですが。
例えば部屋を好きなように使うことを許されていても、家主の都合でいつでも追い出されるなら、やはりその部屋は自分のものではなく、借家であるようなもので。

それに幕末には幕府の統制がゆるんで、薩長同盟とか生まれていますが、基本的には江戸時代には大名が勝手に婚姻したり同盟を作ったりすることは許されませんでした。
しかし西欧の場合は諸侯が他の諸侯と婚姻したり、時にはいくつもの君主と主従関係にある事も珍しくありませんでした。
そして国王がそういう事を禁ずる権利もありませんし。
いわば日本の江戸時代は一元化されたピラミッド構造で、西欧は網の目状に近い構造だったと思います。

西欧でいう封建制により近いのはむしろ室町幕府ではないかなとも思います。

お礼日時:2006/02/09 15:49

私は日本史はあまり詳しくありませんが・・・



日本における絶対主義的な要素は明治から昭和初期であるといえます。西欧世界における絶対君主が我々の想像しているほど絶対的ではなかったというのが理由です。天皇は実質統治はほとんどしていませんがその憲法で規定された権威は絶対的なのもです。
西欧の絶対君主も実際は宮廷儀式などにより実効支配にある程度の制限がかけられていました。そこで活躍したのが官僚であります。西欧の王達は憲法に当たる権威付けは王権神授説などでされました。

江戸時代は#4さんが指摘されているように神聖ローマ帝国が一番近いでしょう。


>西洋の歴史用語を日本の体制に完全に当てはめる事も難しいと思いますが。

難しいというか無理だといっても良いでしょう。確かに欧州型の発展は日本が一番近いですけど。
日本の歴史観がマルクス主義的歴史観に未だとらわれているのでしょうね。すなわち「どの国も同じような道筋を通って発展していくんだ。だから発達している国の歴史発展理論は他にも適用できる」ということです。多くの国が封建制だの絶対王政だのを経験していませんからね。
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この回答へのお礼

そもそも絶対王政の定義ってなんなのでしょうか?
君主に権限が集中していて官僚制が発達しているという定義だったら、中国なんかは大昔から絶対王政ですよね。

お礼日時:2006/02/10 21:08

 厳密に言いますと封建制ではありません。

ですが絶対王政ではありません。将軍の直接支配権は天領で、親族が親藩、家臣は譜代です。外様に関しては将軍に従ってはいるものの、実効支配されているわけではなく、実質的には治外法権状態です。言うなれば封建的連邦制ではないでしょうか?

 これに近いのが1618年以降の神聖ローマ帝国と19世紀のドイツ連邦です。前者は皇帝は君臨しているものの、諸侯に対する実効支配は出来ずにいました。ドイツ連邦は会議こそあるものの、諸侯は個々に国を治めています。
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 #2です。


 論争は本意ではないので、一応私見を。

>例えば部屋を好きなように使うことを許されていても、
>家主の都合でいつでも追い出されるなら

 この場合の例えですと、部屋を使っているのが大家さんの代理人である家屋の管理人であれば、絶対王政です(江戸時代の地方代官に該当するでしょうが、代官は所詮代官であって、藩政の実権を握っていたわけではありません。)。
 しかし、大家さんの代理人ではない「大家と契約した第三者」が自分のために家を使用しているのであれば、封建制です。
 追い出されるかどうかは、大家さんとの「契約内容」によります。
 封建社会の場合は、その「主従の契約関係の存在の有無」がポイントになりますので、「契約の内容」までは普通は言及しません。
 (まあ、その「普通は」というところに根本的な疑問をお持ちなのでしょうから、「普通は」という言い方自体が不適切といわれれば、返す言葉もありません。)

>基本的には江戸時代には大名が勝手に
>婚姻したり同盟を作ったりすることは
>許されませんでした。

 これも、「契約の有無」ではなく「契約の内容」の問題ですから、そのことイコール封建社会でないとも言えません。
 再び例えで恐縮ですが、例えば、「連邦法には従わねばならないからアメリカ合衆国の州は独立国家ではない」と言っても無意味でしょう。
 江戸時代の藩も、将軍家の意向には従わねばなりませんが、独立国であることは疑いようがありません。何せ、通貨の発行権まで持っていたのですから。
 「アメリカの場合は、嫌なら脱退出来るではないか!」と言われそうですが、藩だって事実上脱退出来ます(それが幕末の状況です)。

>日本の江戸時代は一元化されたピラミッド構造で、
>西欧は網の目状に近い構造

 (;´∀`)え? 
 それは、歴史学の定説だと思いますが・・・。
 「西欧の封建制と日本の封建制との比較について述べよ」とかいう論述問題で、必ず触れなければならないのが、まさにその点です。

 いや、誰からも教わらずに、自らの演繹によってその結論を導き出されたのであれば、これはご立派です。
 歴史を見る目がおありだと思います。本当にすごいことです。
(なんか「上から見たような発言」で、すみません。そういう意図はありませんので。世界史と日本史を専攻するという無謀な真似をした過去がある人間からすると、なんか嬉しくて。(ノ^^)ノ)

 ただ、私が学生だった25年前から言われていることですから、「それは今更言われても・・・」という感は否めません。発見の早かった人間だけがもてはやされるのは、学問の世界の常ですから、発見なさったこと自体は決して恥ではないのですが。


>西欧でいう封建制により近いのは
>むしろ室町幕府ではないかなとも

 鎌倉幕府以降、江戸幕府まで(厳密には戦国を除く)を、一般に封建時代と呼びますね。
 ただ、守護職は、代官的要素(元の俘囚長など、地元の雇われ官僚の要素)が強いので、室町時代の方がむしろ絶対王政に近いように、私は思います。(若干意味は異なりますが、足利義満は「日本国王」と名乗っていましたし・・・て、これは余談か。)
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江戸幕府は絶対王政ではなく封建制です。


ただし、西洋のような地方分権的な封建制ではなく、かなり中央集権的な封建制です。
徳川幕府の場合は大名を支配はしており、大名を移動させたり取り潰すことはできても、各大名の領地の支配については幕府は口出しできませんでした。
幕末に薩長側ではなく幕府が勝てば絶対王政になったかもわかりませんが。
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