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カテが分かりませんのでこちらですみませんが
よろしくお願いします。
何年か前にイスラム教を冒涜した内容の
本を書いたとして大学の教授が殺害されたという

ことがありましたが、本を書いたぐらいで何で
刺し殺したりするのと思うのですが、殺意を
むき出しにするほど怒ることなの?イスラム教を
冒涜するということはどんな意味があるのか
教えていただきたいのですが、回答いただければ
うれしいです。

A 回答 (11件中1~10件)

その本は恐らくサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」のことでしょうね。



そもそもイスラム教についての一連のニュースについて考えるときに一番注意しないといけないのが、イスラム教の知識が全くない人間が西洋主体のメディアに触発されて、イスラムに疑問を抱いているという点を忘れないことです。

無宗教の日本人にはそもそも一神教の概念さえ、理解が難しいのではないでしょうか。多くのイスラム教徒は子供の頃からムスリムです。宗教はもはや彼らにとって生活から切り離せない一部分です。まずそのことを念頭においてくださいね。

それからサルマン・ラシュディの本についてですが、題名の「悪魔の詩」とは聖典であるコーランを指しています。そして本に登場する主人公はイスラム教の預言者であるムハンマドをモチーフに書かれています。内容は彼が多くの売春婦と共に堕落した生活を送るといったものなのですが、恐らくイスラム教徒にとって一番許せなかったのは作者自身がムスリムの家庭出身であるということでしょう。イスラムに対して理解の浅い、異教徒が書いたならまだしも、イスラムに子供の頃から精通している人間がその預言者を冒涜したのですから、彼らが怒るのも無理はありません。現在、作者のサルマン・ラシュディは離婚し、多くのボディーガードに守られ住処を転々としているそうですよ。
ちなみに殺されたのはこの本を日本語に翻訳しようとした五十嵐一という大学教授です。


もちろん、現在、デンマークの新聞によるムハンマドの風刺画に対する暴力行為や、五十嵐一の暗殺を肯定するわけにはいきません。しかし、彼らがどうしてそこまでして怒っているのかを僕達はもっと知る必要があるのではないでしょうか?
西洋視点のメディアから離れ、多少のイスラム教の知識があれば、ご質問者も少しは問題の意味が見えてくると思います。

参考URL:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/syouse …
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:33

目の前でお寺、仏壇、仏像を壊された感じと思えば理解できると思います。

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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:33

宗教的側面については、皆さんがいろいろ回答されていますが、歴史的・政治的な部分も大切かと思います。



イスラーム世界が欧米キリスト教世界の進出に屈服していったのは、19世紀以降のことです。ヨーロッパで産業革命が進展した結果、経済力・軍事力で圧倒されたことによります。それまでは8世紀頃から、イスラームの方がヨーロッパを凌駕していました。

19世紀からの歴史は、誇り高きイスラーム世界にとって、屈辱の時代だったことでしょう。その点、中国も同じ立場であると言えます。

そのような時代に、イスラーム内部には2つの反応が現れました。1つは西欧的な近代化を進める動き、2つ目は、イスラーム回帰の動きでした。後者はイスラーム世界が欧米に勝てないのは、自分たちが不信心になっているからだと考えます。ですから、イスラームの信仰を揺るがせる動きは絶対に許しません。外部から、特に西欧文明からの批判は到底許せないものなのだと思います。

以上のように、イスラーム側にたった見方も大切だろうと考えています。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:33

私的な推論ですが。



日本の神様は自然神が多数います。
「天災」から発生した神様です。

人間の欲望で創られた神よりも
自然を真似て創られた神に敬意を示します。

つまるとこ、人間は天(自然)に勝てない。
いくら自然の神様を馬鹿にしてもムダ。
例えば、津波の神サマを馬鹿にしたら、馬鹿にした人間が津波で無残に死ぬだけです。
津波の神を畏れ崇めていた人間は大地震のときにしっかり非難して生き延びます。
だから捨て置けるのです。
インド沖大地震で津波で死んだ人間は津波の神サマを信じなかったから死んだのです。
天を馬鹿にすれば、天によって裁かれます。

イスラムは「人災」から作られた神様です。
イスラムを馬鹿にすることは
信じている人間を馬鹿にすることです。
「人災」なので人間の手によって裁かないとならないのです。
執拗に「人間による裁き」を行わなければならないのです。

イスラム圏は昔はかなり豊かな土地だったのです。
今でこそ不毛の大地が広がりますが
イスラム教が出来た当時は豊かな国だったんですよ。
だからこそ、その肥沃な大地をめぐって
流血と破壊の歴史を刻んだのです。
古代の戦争は「水源」の紛争です。
メソポタミアなどの豊かな水源は侵略の的でした。

その絶えない流血の時代を嘆いたのがムハンマド。
人々を流血の悲しみから救うにはどうしたらよいか?
人々の安寧と平和を願って苦慮した後に編み出したのが「イスラム教」。

もう一つの推論。
日本の不思議なところは、
功績を残した人間に神の称号が与えられる。
徳川家康、藤原3代。など。
中国でも三国志の関羽が神サマになったりしてますね。
イスラムは神サマを増やすことが出来ません。

もっと不思議な現象は、
日本に来たキリスト信者を「寺に泊めた」ことです。
さらに、なんと!!わざわざ堂の仏像をどけて掃除し
仏像が置かれていた場所にキリスト教信者をもてなしたのです。
貴方はこの寺の行為をどう受け止めますか?

そしてこのような行為がイスラム教に果たして出来ると思いますか?
それこそが回答の一つになると思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:34

「悪魔の詩」の作者はサルマン・ラシュディ氏と言うパキスタン系イギリス人です。

殺されたのは、この本の日本語訳者の筑波大助教授五十嵐一氏。

内容的に「かなりイスラムを馬鹿にしたモノ」で、まぁガチガチのキリスト教徒に「イエスは最後に神を裏切った」とか、カトリックに「マリアは不義の子を身ごもった」なんて言ってるのと同じで、彼らにとっては許しがたいモノだったのでしょう。(この例えも不適切だとは思いますが)

ちなみに既に「サルマン・ラシュディ氏に対する死刑宣告」は事実上解除されていて、彼はマスコミにだけ居場所をあかしています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94% …
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:34

「悪魔の書」ではなく、「悪魔の詩(うた)」です。



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94% …
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:35

 あ、「悪魔の書」の著者が殺された件についてですね。


 「悪魔の書」でググれば、色々ヒットすると思いますので、やってみてくださいな。

 なお、あれは、どっちかというと特殊な例です。
 イスラム原理主義革命を起こしたイランのホメイニ師が、当該著者について、「イランとして死刑判決を出した」んです。

 ずいぶん身勝手な話ですが、出してしまったモノはしょうがありません。
 それで、それに触発された在外のイラン人が、その命令を実行したということです。犯人には罪の意識はないでしょう。刑の執行をしただけだと思っているでしょうから。

 「イスラム教の恐さ」というよりは「原理主義の恐さ」がきわだつ事件です。 
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:35

先ず日本人は宗教に対して極度にマイナスのイメージを持っています。

それは過去の経験がそうさせるのだと思いますが、基本的に我々も無意識のうちに宗教を信仰しています。どんな宗教か?神社に初詣に行ったり、お守り持ったり、神棚を祀ったり、祭りのお神輿とかこれらは全て“神道”に関わりますね。日本人の最も基礎となる宗教でしょう。そして、お葬式、お墓、仏壇、お寺などは“仏教”。クリスマス、結婚式は“キリスト教”、また神様はいないけど“儒教”などもそうですね。いわゆる多神教と言う奴です。
もともとこれは日本人の基礎宗教である神道には、800万の神様がいて「別に他にいても良いじゃん」といった考えがあるからです。また800万の神様がいるから、自分が好きな神様を選ぶことも出来ますね。だから一人の神様の言葉だけを守らなくても良いわけです。

次に、一神教と呼ばれる代表的なものに“キリスト教”、“ユダヤ教”、“イスラム教”が挙げられます。一人の神様しかいないから、その神様の教えは絶対です。これらの宗教は自然環境が大変厳しい場所で生まれました。人々は何かに頼らなければ生きていけなかったのでしょうね。

さて、神様の教えはどのように知るかと言うと、『聖書』『トーラー』『コーラン』です。よってここに書かれていることが絶対なのです。
ただキリスト教は他と違います。一つは経験から“政教分離”という概念を誕生させました。また、物質的に大変豊かになったので神様に頼らなくても大丈夫になりました。
しかしながら、イスラム教の国は“政教一致”の国です。よって子供の頃より、学校でコーランの教えを勉強します。また多くのイスラムの国の自然環境は厳しくあまり豊かでもありません。よって彼らは「神様の教えを守っていれば、いつか神様は自分達を救ってくれる」と信じています。そこで「自分達を救ってくださるはずの神様を冒涜する奴はけしからん。こんな奴がいるから自分達はいつまでも辛い目にあうんだ」と言う考えになります。
実際に豊かで政教分離政策の行われているイスラム国家、トルコはイスラム教の国というイメージは他に比べれば薄いですよね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:35

日本だって数十年前は天皇家を冒涜するような言動(本を書いたりももちろん)は、あるいは村八分にされ、あるいは警察に捕まってひどい場合は裁判になる前に拷問で殺されたりしましたけど?


で、大抵の人はそれを疑問に思わなかったしむしろなんて恐ろしい(というのは天皇を批判した人の事)、という思いしかなかったのですね。もちろんこういうことで人を殺すのは野蛮であり犯罪です。ですが、先祖代々ずっと信じてきた事を軽々しく扱うのはそもそも傲慢というものでしょう。
西洋の連中も言論の自由とかいってますがファシズムやセーラムの魔女とかを持ち出すまでも無く、「ある一定の範囲を逸脱しない限りの」言論の自由であって、その範囲は時代により変化しています。長い長い努力によって概ねその範囲が広くなってきたとはいえ、殺されはしないもののたとえば発禁とか放送禁止とかの歴史を見ればまだまだいろいろあるようです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4899980 …
というわけで、「殺意をむき出しにするほど怒ることなの」といってもたしかにそれは狂信的行為ですが、程度の差こそあれ最近まで世界中にあった事であり、今もなお殺しはしないものの差別したり排除したりという点では世界中にあるものの一例に過ぎないとも言えるようです。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:36

私も同じような疑問を感じますが、回答1さんの言うとおり、イスラム教は政治や生活を非常に拘束する宗教で、加えて信者の数が多いことが理由かと思います。

また信者の多くは他宗教に比べて敬虔な信者で、それだけ思い入れもあるのでしょう。
例えば私のルームメイトのリビア人はMP3プレーヤーでコーランを聞いています。
もう少し穿った見方をすれば、先進国への移民で差別されているとか、3大宗教としては一番歴史が浅いとかいろいろなコンプレックスもあるのかも知れませんね。またその思想の根底に慈善主義があって、現在先進国で主流の市場経済に相容れないところもあるでしょうか。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/14 04:36

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