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10年後、新聞はどうなっているかについて、短いレポートを書くことになっています。

もちろん内容は自分なりに考えますが、ヒントとして、逆に10年「前」の新聞と今の新聞の違いや、この10年で変化してきた部分などについて考えてみようと思いました。

一昔前の新聞は活字が小さかったということや、いつまでかはわかりませんがカラー写真がなかったことなどがぱっと思い浮かびます。インターネットの新聞社のサイトもなかったですよね。

他にもみなさんが、「昔の新聞はああだった」「10年前って、そういえばあんな事件・記事があった」「こんな時代だった」などなど、思い出すことがあったら教えてください。
大きなこと小さなこと、何でもかまいませんので、ぜひお気軽にご回答お願いします。m(_ _)m

A 回答 (7件)

今が2006年ですから、10年前と言えば1996年。


前の年、阪神淡路大震災やら、地下鉄サリン事件など一連のオウム事件があった年で、1996年1月に、村山内閣が退陣しました。また、96年にはアトランタ五輪や、ペルーの日本大使館人質事件が年末~97年はじめにかけてありました。原爆ドームが世界遺産に指定されたり、司馬遼太郎さんや渥美清さんが亡くなったのもこの年です。

>一昔前の新聞は活字が小さかった
これは、是非一度、図書館で昔の新聞を見てください。
原紙を閲覧できれば最高ですが、もし所蔵が無い、あるいは閲覧不可、という場合は、縮刷版でもよいでしょう。
新聞(紙)の大きさは、明治20年代末~30年代にほぼ定着し、それ以降は(一部の例外を除き)殆ど変わっていません。そこで、昔の新聞と今の新聞を見比べて、段の数、あるいは一行の文字数などを見比べて見れば、縮刷版しか無くても文字のサイズの変遷は見ることが出来ます。
今は高齢化社会に対応するため、お年寄りでも読みやすく、ということから文字のサイズはちょっとずつ大きくなってきています。
「昔」というのをどこまで掘り下げるか、にもよりますが、とくに太平洋戦争末期頃の新聞では、とにかく紙が無い、ということから文字をできるだけ小さくして多くの情報を一枚の新聞に展開しようとしています。

>カラー写真がなかったこと
新聞にカラー写真が頻繁に登場するようになるのは、各社によって差はありますが東京オリンピック(1964)前後です。なかなか、縮刷版やマイクロフィルムではカラー紙面も白黒になってしまうので残念ですが、東京オリンピック期間中の静岡新聞なんて、連日カラー写真が一面を飾っていました。

インターネット上に新聞社のサイトが登場した一番最初がいつなのかは存じませんが、岩手日報の電子号外が1997年からあること(http://www.iwate-np.co.jp/PDF/gogai.htm)、信濃毎日新聞では長野五輪の電子号外がある(http://www.shinmai.co.jp/olympic/pdf/)事から考えると、1997年~98年には既にいろんなところで出来ていたと考えられます。

あとは、ご自身で調べましょう。
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この回答へのお礼

新聞の紙の大きさはずっと変わらないのですね。さりげないようで結構大きい意味を持っている気がします。

カラー写真は、私が思っていたより昔から使われているようで・・・たしかに縮刷版では判断のしようがないですね。テレビ面や内側の面もカラーを使うのが当たり前になったのは、ここ10年くらいかな・・・と感じていたのですが。

いろいろと面白い糸口をたくさんいただけたので、自分でも色々調べてみようと思います。ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/02/15 17:00

10年前は高校生でした。


ルーズソックスが流行っていましたし、ゴムなしとゴム付きルーズやプリクラがすごい流行っていました。
あと、ポケベルにキティちゃんの天使バージョンやナースバージョンが流行っていました。
ちょうど、景気が悪くなった時代で不景気でした。
安室奈美恵のファッションの影響でアムラーという言葉や篠原ともえのファッションでシノラーという言葉が流行りました。
あとドラマロングバケーションの影響でキムタクが言った言葉でチョベリグーとか流行ったり、女子高生言葉でチョベリバーとかうざいとかチョーMMと言う言葉が流行っていました。
ポケベルで友達を作るメルトモとかもあったし、ポケットゲームでテトリスやたまごっちが流行りました。
今、みたいにネットが普及していなかったし、携帯電話もそんなに普及してなかったです。
PHSが出たのは10年前でした。
音楽ではシャ乱Qや小室ファミリー(華原朋美 グローブ)がすごい人気だった記憶があります。
記憶にあるのはこの範囲です。参考にならなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

お礼がたいへん遅くなりました。
私も自分の身近なところのことをいろいろ思い出しました。女子高生ブームが始まった頃ですよね。
具体的でとても参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/18 09:58

#5の方に教えていただいて気がつきました。

大変に失礼いたしました。

私の持っている新聞、『1歳のお誕生日新聞』でした。お誕生日の
新聞だったか1歳のお誕生日の新聞だったかも忘れるんですね、10年
という年月は.......などと、自分でフォローさせてください^^;

という訳で、1997年の3月の物です。 私の書いている内容は全部
9年前という事になりますね。申し訳ありません。

ちなみに、TV欄の時刻の枠にはカラーが使われていますが、番組紹介
に使われている写真は白黒です。というより、一面以外の写真は全部
白黒です。
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この回答へのお礼

御礼がたいへん遅くなりました。
カラーは一面だけですか。やはり当時はカラー写真は今に比べてずっと少なかったですよね。
具体的に教えていただいてとても参考になりました。どうもありがとうございました。(^-^)

お礼日時:2006/03/18 09:56

すみません、回答ではないのですが香港返還は9年前の1997年7月1日です。

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子供が生まれた歳(3月生まれ)ですので、お誕生日の新聞(毎日)


を取ってあります。

それに寄ると........一面には、『黄書記、比へ出国決定』『動燃東海
事業所、爆発事故検証』『堺の小学生、0157で心的後遺症』『自動車
教習の時間短縮、コンビニで薬販売も』が出ています。

0157以外の記事は、一面でも興味なくて、詳細はほとんど知りま
せん^^;

第55期名人戦の記事もありますね。『永世の壁に挑む、谷川浩司
竜王』『4連覇を目指す羽生善治名人』が、『好敵手の頂上決戦』と
して紹介されています。

『野村証券酒巻社長辞任』の記事もあります。大揺れだった様ですね。

『バンダイ、1000株以上の株主にデジタル携帯ペットの「新種発見
たまごっち」をプレゼント!!!』なんかは、今また流行っている
おもちゃだけにおもしろい記事と思います。

また世界では、『香港返還』の年だった様ですね。オリンピックも
あったように思います。

........こんな風に、具体的に書き込んではいけないのかな???

妊娠中にオウムのサリンがあったように記憶しているので、96年は、
その事件からオウム内部に調査が入ったという年だったのではないかな........。

前年、神戸の地震がすごく大きな被害をもたらして、防災関係の事柄が、
日常的に話されるような頃だったと思います。

旦那が医者ですが、その当時はポケベルで呼び出されていたので、携帯
電話はそれほど普及していなかったように思います。

記事の見出しのみ書きましたので、興味のある事は検索して詳細を
調べてみてはいかがでしょうか。

ちなみにこの新聞では、一面の記事の写真はカラーです。
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この回答へのお礼

わざわざ見てくださったのですね。ありがとうございます。O157やたまごっち、香港返還など、自分がどんな感じに生きていた時代だったか具体的に思い返すことができてきました。
たしかに携帯電話もあまりない時代でしたね。女子高生のポケベル全盛期ぐらいでしょうか。あの、数字だけでメッセージを伝え合う工夫や遊び心は、今のギャル文字(「ω=ん」「⊇=こ」「ゐ=み」みたいなものです)に通じるものを感じますね。
たいへん参考になりました、ご回答どうもありがとうございました。

PS もしお時間があったらでいいのですが、そのお手持ちの新聞では、テレビ欄の時刻の数字が書いてある部分や、内側の面などでもカラーが使われているでしょうか?あわせて教えていただけるとうれしいです。

お礼日時:2006/02/15 17:18

私は10年前は昨日のように感じるため、「何があったか?」と聞かれてもピンときません。


そこで、「10年前って、そういえばあんな事件・記事があった」「こんな時代だった」てなことを調べようと思えば、下記のようなサイトを参考にしています。
1945年から、各年ごとの経済状況や事件などが掲載されています。
直接の回答にはなりませんが、何かのヒントが見つかるかもしれません。
ご参考に。

参考URL:http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/index5 …
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この回答へのお礼

URL、とても参考になりました。10年前の国内ニュースなど具体的な内容ももちろんですが、こうした情報が印刷されて残ることの意義のようなものも、サイトを見ていて漠然と感じました。
なんとなくレポートにつなげていけそうです。アドバイス、どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/02/15 17:03

10年前は1995~96年。



ちょうとインターネットが普及しはじめた時期でした。
インターネット関連では、だいたい予想されたものが達成しました。
たとえば、ブロードバンドの普及、ネットショッピングや各種注文、(インターネットを利用した)双方向テレビの普及、無料電話など。

しかしその頃予想された家電製品(コンピュータを内臓した頭脳家電を含む)は、思ったほど完成していません。
たとえば冷蔵庫の中の品物をITで自動的に補完されるとか、電子レンジがレシピまで持つ、ロボットが人間の代わりにいろんな作業を家庭でもしてくれる、紙のようなモニターで雑誌や新聞が見れる、など。

家電製品では、むしろ20年数年前のものがかなり具体化してきたと思います。

たとえば、バック・トゥ・ザ・フューチャーIIに出てきた壁掛けテレビは、その大きさは現在のプラズマまたは液晶大画面そっくり。
車にインプットすると、行き先を示してくれるカーナビ。
携帯電話や携帯端末で音楽を聴いたり、情報を収集したり。
この頃音声で話しかけると、外国語で答える翻訳機も未来に実現されるだろうとも想定されていました。

ですので、10年後を想像するには、20年前。つまり、今から10年前を思い起こせばいいかもしれません。
上に書かれた、コンピュータを内臓した冷蔵庫や、電子レンジがレシピを教えてくれる、AIBOやASIMOなどのロボットが生活に入りだす、ペーパーのようなモニターで雑誌や新聞がどこでも見れる、話しかけるだけで外国語に翻訳してくれる翻訳機、など。
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この回答へのお礼

予想されたテクノロジーが達成されたか、それにどのくらいの時間がかかったか。これは「ドラえもん」なんかと絡めて考えてみても面白そうですね。
モニターで本を読むといえば、私は電子ブックには抵抗があるほうですが、あれも、「ペーパーレス時代が来る、来る」と叫ばれつつ、来る気配はあまりないですよね。そのこともなにか材料にできそうです。
大変興味深いご回答、どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/02/15 16:54

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