プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

理系のお仕事(エンジニア、研究者などなど)をされている方にお尋ねいたします。

お仕事上、科学的調査(調査・実験・解析など)などを行なって報告書や論文などをまとめることがあるかと思いますが、
最初に結論があって、その結論になるような調査や実験を行なって、報告書をまとめる、ということはありますか?

以前、鯨が絶滅する・しないを巡って、捕鯨反対派と推進派が科学的データを持ち込んで論争していたのですが、
お互い自分の主張に合った調査報告をしていました。両者とも生物学の専門家が調査し結論を出していると思うのですが、専門化が同じものを調査して正反対の結論が出ているのが不思議におもった思い出があります。
科学というのは真実の探求であって、真実はひとつのはずです。なので調査結果は政治的な意思に左右されないものだと思うのですが。

本音でお答えいただけるとありがたいです。

A 回答 (9件)

こんにちは。


簡単に思うところを書きます。
> 最初に結論があって・・・
解決したい課題があって、解決するための方法・手段について「仮説」をたてます。
自分のたてた仮説を証明するために実験を行います。
実験により仮説が立証できればその方法・手段は正しいといえます。
ご指摘の件にあてはめますと、絶滅する・しないの実験は事実上無理なため、統計データや過去の絶滅種による類推で結論(とは言い難いですが)を導き出したものと推察します。
類推の部分で、それぞれの哲学が入り込みますし、採用する統計データを選択するのも当人ですので、真っ向勝負となるのでしょう。
真実まで辿りついていない「過程」の段階かと考えます。
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>最初に結論があって、その結論になるような調査や


>実験を行なって、報告書をまとめる、
>ということはありますか?
そのようなことは、いけないということになっていると思いますが、あると思います。
しかし、そのうち真理は明らかになるというのが科学というものでしょう。
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皆さん、難しい事を書かれていますので、恥ずかしいのですが、メーカ勤務のエンジニアの視点で、本音を言うと・・・。



まずは、顧客の仕様に合致するように、結論ありきが多いです。

1)データの測定方法の変更
・測定方法を変える
・母集団、母数を変える
・特異点扱いにして、そのデータをオミットする。
などです。
これに関しては、測定時点に意図が入りますが、科学的手法に基づいて測定したデータに間違いありません。

2)データの修正を行う
測定データの数値をいじって帳尻を合わせます。

3)理論、計算を修正する。
測定データに手を加えず、まとめる時の計算手法や、論理に手を加えます。安全率など、割と経験値から来る数値に手を入れる事が多いです。
今話題の、「耐震偽造問題」と似てますね。

4)データそのものが偽造。
データすら取らない、なんて、極端な例。

まじめにデータを測定して、そのまま真実を報告する事もありますが、まあ、レアなケースです。
本当に、何もかも、うまく行った時くらいですね。

あと、自社用のデータは、別に、意図無しに測定して置くケースが多いです。次回設計のデータベース用です。
これは、ノウハウなので、顧客には絶対に出しません。

と言う事で、メーカの場合、理系、研究系、開発系といっても、真実はひとつではありません。

鯨の例で言えば、鯨の頭数は同じと仮定しても、
1)顧客が日本の場合
→ 減ってないようにデータを取る。
  データを、減って無いように計算する。
2)顧客が欧米の場合
→ 日本と逆に報告する。
って感じになります。

お恥ずかしい話ですが・・・。

で、私は、これを知っていますので、必ず、何事も賛成派/反対派の両方の意見、データを聞き、自分で判断します。決して、片方の意見のみ鵜呑みにはしないようにしています。
大体、何らかの意図が入っている事が多いので・・・。
いまや、警察の検死データ、実況見分すら信用できない時代なので。
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>専門化が同じものを調査して正反対の結論が出ているのが不思議におもった思い出があります。


>科学というのは真実の探求であって、真実はひとつのはずです。
>なので調査結果は政治的な意思に左右されないものだと思うのですが。

「科学」とは「科学的思考法」のことで,つまり「道筋」を辿ることです.
だから,未知のパラメータ,又は厳密に知られていないパラメータの値を各自が用いることで,
例え進め方は「科学的」で正しくとも,行き着く先が様々になることはあり得ますし,
又,科学はそれ自体を否定していません.
そうなれば科学は凄いことに「自己修正能力」を有していますので,
批判的精神に基いた検証,反証によって議論が尽くされ修正されます.

ただ,そのよく分かっていないパラメータを,結論に合わせて上限を取るか下限を取るか,
ここで「人間の主観」が入って来ます.
ここに政治的な意図や圧力が入っていれば,とても悲しいことです.

「この値がもう少し大きくなれば,違う結果になるんじゃないか」
とか,もっと露骨に,
「こうなるようにこの値を調節して」
と言うこともあり得るでしょう.

又,企業でもこういう機能性食品を作る,その為に取得するデータの意図的な選別が
行われていることはないとは言い切れません.

結論として,
「未知パラメータには,人間の主観が入り込みやすい」
と言うことです.
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多少題意とは異なりますが報告書が真実の探求から作成されてはいない例。


昔は最先端だった分野で伝統のある事業でした。報告書を書くというよい規律がありましたがその中身です。

1.ある問題の材料を使った製品なのですが「こう対策して解決した」というものがごまんとあるのです。「これだけありゃ、もう問題ないはずだろがっ!」って思いました。0、1とはいかない物性分野などではどうとでも結論は曲げることができます。また、上司もそれを容認していたのです。なぜ?想像するにキャリアアップの前提が決まっていたからなのでしょうか。

2.もう一つ。ある大問題で発生し、珍しく課長がしゃしゃりでてきて、結論を出し指揮しました。結論は完全に間違っており、事情を知っていれば簡単な原因で、これを発言した担当者はパージされてしまいました。

当然、科学的な事実が尊重されない、この事業は時代の流れに逆らうことはできず解散しましたとさ。
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立地調査などの場合、結論ありきで報告書を纏めることは多いと思いますよ。

とはいえ、技術者の良心(?)として、コメントは入れました。
予測の場合、パラメータをどう選ぶか、また、その妥当性やリスク評価をどうするかが大きな問題になります。
大変よく効く薬だが、ある比率で重篤な副作用が発生する場合、それをどう評価するかは科学の範囲じゃないですよね。9人には効くけれど、1人は副作用で死ぬ(事前にはわからない)と言った場合、これをよく効くとするか危険とするかは決めようがありません。論文と報告書では違った記載になると思います。

また、環境影響などを評価する場合、最悪条件(極端なダウンウォッシュなどで生ガス直撃など)を設定した場合、環境基準を逸脱しますが、現実問題としてこれが起こるか頻度を考えると問題なしとせずるをえません。
まあ、車の排ガスを車内に引き込むような状況ですら、実際には起こりえないのですが、統計的には起こりえなくとも、疫学的にはどうかなあ、と言う話はよくあります。

質問にあるクジラの話に限っても、結果は一つですが、経過は一つではありません。
また、結論にしても統計的に予測したもので、ロジスティックカーブ(成長曲線)にどうフィッティングするかの問題で、パラメータ一つで大きく違ってきます。サンプルが少ない場合、どれを選択するかで大きく変わることも珍しくありません(恣意的な選択もあるでしょう)。恐らく、この予測にしても、生息数と捕獲数ベースでなされたもので、生息環境全てに対して綿密なアセスメントを行ったものではないし、それ以前に、生息数
自体がかなり不正確だと思います。
限られた予算と政治的思惑のもとで調査するとどうしてもこういうことになってしまうのでしょうね。

統計学自体は厳密な科学ですが、その運用は・・・
ということてす
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分野によって違うでしょうし、ケースバイケースということもあるでしょう。



研究を開始するにあたって、何らかの結論を想定しておくことはよくあります。しかしそうならないこともよくあります。
そもそも研究というのは、わからないから研究する訳ですから、それは当然のことだと思います。
いろいろな利害のからまない基礎研究であれば、想定通りの結果にならないことは、さほどの問題にならないことが多く、想定外の結果が大発見に結びつくこともあります。

ただ、利害が絡む研究となるとそうはいかないこともあるかもしれません。たとえば、鯨の問題に関しては、研究者の利害が絡んでいると思われます。
しかし、そうはいいながらも、誰がみても明確な結論が出るようなものであれば、事実を曲げることはできないでしょう。
つまり、鯨の問題に関しては、そもそも明確な結論を出すほどのデータが得られていないということになり、そのために、自分の都合の良い結論を導きだしやすいということでしょう。もしかすると、意図的に隠されているデータもあるかもしれませんが、そうなると研究者のモラルの問題にもなりますね。

真実が一つというのは自然科学の多くの分野においては事実といえるでしょうが、何が事実であるかを確定するだけのデータが得られないこともよくあることです。
すなわち、「これまでのデータからすれば、○○であると考えるのが妥当である」というレベルでの真実というものもあります。
そのデータが少なく、曖昧であるほど、結論も曖昧で、研究者の主観に左右されやすいといえるのではないでしょうか。
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>その結論になるような調査や実験を行なって、報告書をまとめる、ということはありますか?


似たことはあります。だって、一生懸命「否定的データ」を集めても「論文にならない」からです。
でも、「正常な研究者」は自分のデータを否定する「論理的に正しいデータが」一つでも示されれば、「直ちに宗旨替えします。」
それが正しいのであって、宗旨替えしたことは非難されません。一八世紀頃には宗旨替えすると村八分されたりしましたが(爆)。つまり、充分なデータが集まっていさえすれば、おかしなデータを持ってきても簡単に覆されてしまうからです。

鯨はムツカシイです。大体「先に」「食べるか」「食べないか」があって、議論にならないのです。

地球の温暖化と二酸化炭素排出量の問題の方がまだマシなのですが。
この場合、地球の温度分布や、氷河の溶け方など「測定できる」データの集まりだからです。
一番大きな問題は「この温度上昇は」(確かに少し温度上昇している、このことは誰も否定していない)地球的規模の気象の周期的揺らぎの範囲内なのか、それとも人類のせいなのか。ということで、あと千年ぐらい経たないと本当のことは分からないのではないでしょうか。
そのときまでに多くの国は水没していますが、この温度上昇傾向は二酸化炭素排出を今すぐやめても、止まらないでしょう。

真実は一つでも、それは「歴史的真実は一つしかない」ということであって、「今動いている事態がどこに落ちつくかは」それこそ「バタフライ効果」並みのバランスの上にあるのかもしれないのです。
それに、真実が分かっていても、今大きめの彗星が一個落ちてきただけで、人類も、鯨もみんな死に絶えてしまうでしょう。
それもあとから見れば「議論する意味のなっかった真実」になるわけです。
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世の中には何が真実か分からないことが沢山あります。


おっしゃるとおり「真実はひとつのはず」なのですが・・・

調査研究報告もおっしゃるような真実の探求の結果のはずですが、あらゆる角度から追求し、すなわち真実として報告することは不可能です。

したがって仮設(例えば鯨が絶滅する)の証明のための研究にならざるを得ません。
いきおい仮説をサポートする事例の調査・研究に比重が移ります。
仮に調査研究によって仮説がくつがえされたとしても、全方位から検討したことを証明することにはなりません。真理を導いたことにはならないのです。

全方位を定義できるかどうかも怪しいことです。
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