戦艦大和の沖縄出撃について
戦艦大和の最後の戦闘となりました沖縄への菊水作戦のことでお尋ねします。
このときの日本軍の編成は大和の他に巡洋艦1隻、駆逐艦8隻なのですが、この時点ではまだ、それら以外にも艦艇があったはずなのに(たとえば戦艦だけでもまだ4隻残っています。)なぜこの戦力だけで出撃したのでしょうか。
どうせ乾坤一擲の大勝負を挑むなら持てる全ての戦力を注ぎ込めば作戦の成功の可能性も上がったと思ってしまいます。
自分なりに考えた理由ですが、
1、日本に残っていた全ての燃料、弾薬等をかき集めてこれだけ動かすのが精一杯だった。
2、他の艦艇は以前の戦闘で受けた損傷の修理が間に合わず、とても戦闘に耐えられる状態ではなかった。
3、この作戦を計画した海軍首脳部では、この戦力で当然ありうる米軍の妨害を退け沖縄に到着し、当初の目的を100%達成できると判断した。
実際のところはどうだったのでしょうか?
回答(8件)
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戦艦は5隻ありました。
大和、長門、榛名、伊勢、日向です。
で、なぜ大和だけかといいますと大和と長門が選ばれましたが長門よりも攻撃力で大和のほうが迫力があるということで大和が選ばれました。
あとの伊勢、日向はすでに完全な戦艦ではなく航空戦艦というものに改造されていましたので攻撃力がかなり落ちていましたし形式もかなり古いものでした。
榛名はシンガポールにいましたのでマッラッカ海峡を通らねばならず危険だということで除外されました。
ですから消去法で大和が選ばれたのです。
この回答へのお礼
ありがとうございます。先に書いたとおりそれでも陽動や足止めくらいは出来ると思ったのですが、いろいろ都合があったんですね。
No.7ベストアンサー10pt
沖縄水上特攻は戦略的価値があると考えて発案されたものではなく、(建前はおいといて、ぶっちゃけ)海軍の最後のプライドをかけたハラキリ、一大パフォーマンスですので、温存されすぎて死に場所を失った最大の戦艦・大和と、ひととおりの護衛艦艇だけで十分だったのでしょう。たとえ全艦出撃しても戦力差は大きく、確実に壊滅することは日本側にもわかっていたはずですから。
余談ですが、ドイツの戦艦ビスマルクは敵巡洋戦艦を轟沈させるなど華々しい活躍のあと、壮絶な最期を遂げましたが、二番艦ティルピッツは航空機や特殊潜航艇の攻撃でボロボロにされ沿岸砲台となり、重爆の6t爆弾を受けて転覆、全く戦艦として活躍できずに終わりました。
日本海軍も、海軍の象徴というべき大和が湾内で痛めつけられて惨めな姿を晒して終わるのを良しとしなかったのではないでしょうか。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
最初から壊滅が目的ですか…。軍の作戦計画もこの頃になると何か手段と目的が完全にすり替わっているような感じを受けます。
1です
2・3ではないでしょう
残った艦艇も呉空襲で壊滅します
大和はレイテ湾に突入するべきでした
沖縄戦での戦果が、撃墜10機、着水約5機なので
レイテに突入した方が成果を上げられたでしょう
米駆逐艦と週刊空母と空の貨物船、計15隻以上は
沈められたと思います
この回答へのお礼
ありがとうございます。
沖縄戦の戦果がたった15機だけですか…。
艦船に対する航空機の優位は圧倒的ということですね。
「2、他の艦艇は以前の戦闘で受けた損傷の修理が間に合わず、とても戦闘に耐えられる状態ではなかった。」
が一番正解に近いと思われます。
菊水作戦で出撃した艦は、いずれも出航の際には全速航行が可能で、武装が完全でした。
瀬戸内海には他にも戦艦・重巡が何隻か浮いていましたが、いずれも何らかの損害を受けていて全速航行・が無理、もしくは武装が不完全な状態であったと記憶します。
ただ、伊勢と日向は比較的健全な状態であったように思いますが、24ノットと低速なので、足手まといになると考えて菊水作戦に参加しなかったのではないでしょうか。他の方のフォローを待ちます。
なお、菊水作戦の前に、瀬戸内海に米機動部隊が来襲し、残存艦艇にかなりの被害が出たはずです。大和が空襲を回避している写真も残っています。
この空襲が、「瀬戸内海にいてもいずれやられる。ならば、いっそ沖縄へ特攻」と言う流れを生んだと聞いています。
ちなみに、終戦時に動ける駆逐艦・潜水艦はいずれも数隻しかなかったはずです。大型艦は、ほぼ全てが大破着底していました。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
小破程度なら陽動や足止めには使えるかと思ったのですが、そう言うわけにもいかないようですね。
マリアナ海戦の時、
小沢の起動部隊は先に敵機動部隊を発見、
敵の攻撃半径外からアウトレンジ戦法を試みます。
しかし、レーダーによって発見されていて、敵は高々度で待ち伏せていました。
更に、搭乗員の練度の不足が追い打ちをかけ、敵の新兵器、近接信管による対空砲の砲火の前に
殆どの航空機を損失。
燃料の有ると思われた東京湾に全速力で逃げ込みます。
この時、栗田の連合艦隊は、呉には燃料が無いので
やむを得ず、燃料の有るブルネイ島に逃げ込みます。
ここからレイテ沖海戦に参加する訳です。
もう既に、南方からの物資輸送ルートは切断されています。
輸送船団の護衛を怠ったツケで、輸送船も数が知れていました。
陸軍は、大陸を南北に縦断する輸送ルートを総力をあげて構築しますが、時既に遅し。
燃料が無く、残存艦は、
駐留しておくしかありませんでした。
砲台化したのです。
また、使用の可能性の無い
個別の36センチや、40センチの口径の
砲弾を製造したかも疑問です。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
航空機による特攻と、大和の特攻は目的が同じでした。
特攻による戦火を期待するのではなく、武力を消耗させようということが目的でした。
陸軍は、本土決戦をするつもりで、沖縄戦前あたりから準備をしていました。
海軍は早期講和をするつもりでしたので、本土決戦にはつきあう気はありませんでした。
だから、手持ちの兵力をみな沖縄ですり潰そうとしたのです。
陸軍は沖縄を捨てたのと対照的です。
だから、練習機や大和の艦隊のような、戦果が期待できないものまで、つぎ込んだのです。
敵に占領された飛行場に強襲着陸して、飛行機を爆破しようともしましたね。沖縄守備軍は、そんな無駄なことをするなら、パラシュートで味方陣地に降下してくれと言ってたようです。
海軍は、講和の為の陸軍との会議の時に、未使用の大和が残っていたら、まだ戦えるじゃないかと言われるので、何が何でも沈める必要があったのです。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
伊藤正徳氏の連合艦隊の最後に拠ると、第二艦隊として、実働可能なのは、この10杯だけみたいです。
長門も金剛も爆撃されて、中破程度の被害があったみたいです。
燃料は不明ですが、南方に、燃料の関係で残した船もあるようですから、そんなに備蓄はなかっただろうと思われますが、船が動かせないと言う程枯渇はしてなかったと思います。
3)は、#1さん言われる通り、無謀であると認識していたようです。
陸軍の将兵が必死の戦いをしてる時に、大和が内地で空襲されて沈められてもいいのか?と言うのが、海軍軍令部の考えだったようです。
ひとつには、陛下が、「もう海軍には動かせる船はないのか?」と下問されたことが影響してるようです。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
確かに、このまま置きっぱなしにしておいたら
空襲で大破着底→解体の流れになってしまいそうですね。
No.1ベストアンサー20pt
>どうせ乾坤一擲の大勝負を挑むなら持てる全ての戦力を注ぎ込めば作戦の成功の可能性も上がったと思ってしまいます。
作戦成功の見込みは全くありませんでした。
>1、日本に残っていた全ての燃料、弾薬等をかき集めてこれだけ動かすのが精一杯だった。
ある意味正解です。大和は片道燃料という風にいわれていますが、現在は往復分積んだというのが定説です。したgって、小艦艇まわす余裕はありませんでした。(簿外燃料まで大和に積んだ「片道ではしのびない」という純日本人的な気持ちから…)
>2、他の艦艇は以前の戦闘で受けた損傷の修理が間に合わず、とても戦闘に耐えられる状態ではなかった。
それもありますが、戦艦などの大型艦艇は輸送任務についていましたから…
>3、この作戦を計画した海軍首脳部では、この戦力で当然ありうる米軍の妨害を退け沖縄に到着し、当初の目的を100%達成できると判断した。
そのような判断はなかったと思います「水上特攻」ですから…海軍は沖縄がジリ貧の時に「陸軍は戦っているのに海軍はななだ!」という声に負けて、もはや使い道のない大和を水上特攻させたというのが定説になりつつあります。しかし、沖縄にも海軍の守備隊は存在して立派に戦っていたのですが…
日本海軍の象徴として温存された大和…もはや戦う海も無く…死に場所を求めていたと思うのは純粋な私の意見です。
この回答へのお礼
ご丁寧にありがとうございます。
どうやっても成功の目は無しですが…。
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