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旗本の次男・三男は新規召抱えや他家に養子に行ったり、厄介になったりしたという事ですが、大身の家などでは次男三男が家臣化したという事はなかったのでしょうか?

結婚も出来ず肩身の狭い厄介になるくらいなら、仏門に帰依した方が良さそうな感じがしますが、一般の旗本の次男三案が仏門に入る事はあまりなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

封建制度の下では次男、三男は家督相続の予備軍でスペアですから、もし当主に変事があれば直ちに家督を継がねばならない立場です。



従って分家という手段で家臣化は避けるのが常だったと思います。

江戸時代、仏門に入るにはかなりの覚悟がいり、学問も必要でしたから、なまなかな心構えでは不可能だったと思います。
皆無とは言えませんが、歴史に残る程の事例は思いつきません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
学問はともかくとして、仏門に入るより厄介の方が嫁はもてなくても気楽だったという事でしょうか。

お礼日時:2006/03/01 10:26

大身の旗本とてそれほど多数の家臣をかかえているわけではなく、しかも軽輩クラスがほとんどですので、上級クラスの侍身分ならともかく、いくらなんでも軽輩にはなれませんので、まったくないとはいえませんがそう頻繁にはありませんでした。


また、仏門に入ると言うこともありましたが、こちらもそれほど普遍的なシステムではありませんでした。(室町幕府や戦国大名の場合は次三男が仏門に入って家督争いを防止するとともにもしものときにはのあとつぎを確保しておくと言うシステムでしたが。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仏門に入るのはあまり一般的ではなかったのですね。

お礼日時:2006/03/01 10:25

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