アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

長谷川平蔵って実在人物だったんですねえ。
本当に無頼あがりだったのか、剣豪だったのかは、フィクションもあるでしょう。でも、「火盗改方」でいて「人足寄場の発案者」というのは事実なんでしょ?。ということは「警察長官で、犯罪者の更生を願った人物」というのは本当の話なんですよね。心震える人物やん。
現代にこの人物を発掘紹介したのは池波正太郎さんですが、これは池波さんが独自に発掘したんですか?それとも、江戸時代の昔から傑出して有名な人物だったんですか?
池波さん発掘だったとしたら、埋もれた歴史の発掘眼に脱帽だし、昔からの有名人鬼平なら「さすが鬼平」となる。
実のところ、どうなんですか?

A 回答 (9件)

池波氏の劇画と異なる部分を上げると


1. 実の母親は実家に帰され、義母に苛められた。
 言い伝えでは父親の宣雄は新田開発の指揮を執るため千葉県の寺崎にいたとき、宿としていた名主の戸村五左衛門の娘とよい仲になり、平蔵が生まれた、という話が寺崎には残っています。
 そして妊娠した戸村の娘は長谷川家に引き取られて、平蔵を生んだので、出生地は武蔵となる。
 その後宣雄は従姉と結婚し、長谷川家を継ぐが、この正妻は体が弱く、結婚後3年で死亡、実質的には平蔵の生母が家政を取り仕切っていた事が伺える。
 戒名も義母があっさりしたものに対して、生母は立派な戒名。

2. 捕まえた賊は小物が多い
 平蔵の人気が高いのは、大物を捕らえたというより、取調べに人情溢れる機微を見せたことにより庶民の人気を博したようです。
 二足のわらじを履く岡引の播磨屋逮捕。
遊女の上前を撥ねるやくざですが、お上から十手を預かる岡引もやっており、悪党なのに奉行所は見て見ぬ振り、これを逮捕したが、伝馬町の牢には送らず、そのまま溜まりに落とした。
伝馬町に送ると、受刑者たちから岡引はお上の狗と嫌われてるので、私刑にされることを知っており、情けをかけたとか。
犯人を捕らえたとき、現在でも上着で顔を隠して連行しますが、平蔵も手ぬぐいで顔を隠して連行したとか。
 反面、これまで大奥の威光で手が出せなかった歌舞伎界にも遠慮せず、市村座の瀬川菊の丞を取り調べたということも、権力におもねないとして、庶民の人気を博したようです。

3. 息子の辰蔵は出世した
 池波さんの劇画では何となく頼りない辰蔵くんですが、父親が幕府上層部に冷遇されたのを気の毒に思う風が吹き、平蔵の死の2日前に両番役になり、その後も順調に出世し、67歳で亡くなった時は山城守、従5位下までなっているのも、父親のおかげでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

庶民からの人気があったのか。ということは、江戸時代から、有名な人物だったということでしょうか。

お礼日時:2006/03/07 20:35

他の詳細な回答に蛇足を加えますが


長谷川平蔵が家督を継ぐ前に住んでいた家が、
後に遠山金四郎の住居となったそうです。
池波さんの小説で言えば、本所の銕と言われていた頃です。

http://www.asahi-net.or.jp/~la7m-ymnk/heizou_no_ …

小説の中では、鬼平は容赦なしの拷問をしますが、実際は捕らえた罪人には、よく話を聞くことで、いろんな事を白状させたと、どこかで読んだことがあります。

以上鬼平ファンからの蛇足でした。
    • good
    • 1

生い立ちはNo.2さんが書かれている通りですが、生年は延享二年で幼名鉄三郎宣以(のぶため)と言いました。

      火付け盗賊改めには、父親とのつながりでなれたのでしょう。     遠山の金さんと同じです。     盗賊逮捕の中で一度だけ大取物があったようです。    確か稲荷小僧の一味を江戸郊外で捕縛したと記憶しています?。    これが池波さんのネタではないかと思います。
    • good
    • 0

No.5ですが、再びお邪魔します。


以前、スカイパーフェクトテレビで、現在の中村吉右衛門主演以外の鬼平犯科長テレビシリーズが放送されていました。
先代松本幸四郎
丹波哲郎
萬屋錦之介
が長谷川平蔵を演じていました。
個人的には、丹波哲郎の鬼平がなかなか良かった気がします。
    • good
    • 0

「鬼平犯科帳」は8代目松本幸四郎(松本白鸚:松たか子の祖父、現幸四郎の父)が演じ、現在は次男の中村吉右衛門が演じていますが、その間に映画では丹波哲郎、萬屋錦之介も演じております。


昭和40年代のTVでしたら8代目松本幸四郎 (松本白鸚)かと思います。

http://www41.tok2.com/home/fwkf8336/todoufuken/n …

忠臣蔵のときの切手で偲んでください。
中村吉右衛門も親子ですから、雰囲気は似てるといわれています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ごく初歩的なことを始めて知りました。
松本さんと中村さんは兄弟だったのか!!
ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/21 23:10

実在の人物であったことは間違いありません。


私の読んだ本では、あまり良い評価は書いてありませんでした。
池波正太郎氏の小説や、最近では、中村吉右衛門が演じる鬼平にイメージに引きづられてしまいます。
小説も面白いし、中村吉右衛門の演技もすばらしいからですね。

No.4の方の回答にある辰蔵くんの出世、興味深い話ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は昭和40年代のテレビ劇鬼平が好きだった。貫禄のある鬼平で、しっとりした筋運びが良かった。あの鬼平はなんて言う俳優さんなんかなあ。
近衛十四郎さんの「花山大吉(おからの旦那)」世代なもんで・・・ ^^

お礼日時:2006/03/07 20:46

どうもこんにちは。


長谷川平蔵はその通り実在の人物ですね、
ただもちろん人柄まではそうそうどうだったかは資料に乏しいとは思います。

ちなみに 桜吹雪きでおなじみの 遠山の金さん も実在の人物ですね、
遠山金四郎影元 だったかな?ちょっと字に自信が無いです^^;
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

金さんは、歌にあるように、本当に長屋に住んだことがあるんだろうか? ^^
レスありがとうございます。

お礼日時:2006/03/07 20:30

長谷川平蔵は池波正太郎の劇画に詳しいですが、延享3年(1746)~寛政7年(1795)の人です。


父親の宣雄は部屋住みの頃に知行地から女中に来ていた女性と仲良くなり、平蔵が生まれた。
(父親も長谷川平蔵宣雄といいますが、混乱しますから、父親は宣雄とします)
その後、長谷川家当主で従兄弟の宣尹の養女と結婚し、養子となり長谷川家を継ぎます。
池波氏の劇画では、宣尹を叔父とし妻は宣尹の妹ですから叔母としていますが、私の手元の資料では従兄弟となっています。
この父親も火盗改めを拝命したことがあり、後には京都町奉行も務めていますから、かなり有能な人物と思われます。

http://homepage1.nifty.com/gorozo/real/data/f_ch …

平蔵は23歳でお目見えしていますが、通常旗本子弟は12歳頃にお目見えしますから、何か事情があったようで、放蕩無頼な生活をしていたのかも知れません。

「京兆府尹記事」には
>「此の人、闊達の生まれつきゆえ、父備中守貯えおきし金銀も遣い果たし、遊里へかよい、あまつさえ悪友と席をおなじうして、不相応のことなどいたし、大通といわれる身持ちをしける。その屋敷本所二ッ目なりければ、本所の銕とあだ名せられ、いわゆる通りものなりける」
とあり、父親の遺産で遊んだようです。

その後は順調に出世コースを歩みましたが、田沼派と目されたのか、田沼意次の失脚により出世コースを外れ、火付盗賊改め(栄転とはいえない)になります。
在任中は誤認逮捕した者に補償金を支払ったり、刑死した者の菩提を弔ったり、人情溢れる裁きが人気を呼んだようで、反対派からは人気取りとの批判もあったようです。

人足寄場も平蔵の発案で、老中松平定信の認可を受けて建設したが、予算が足りず、平蔵の才覚で銭相場で設けて費用を捻出したとあります。
ただ、武士が銭相場を張ることは、定信の嫌うところで、平蔵を山師と非難し、嫌いだったようです。
50歳で死去。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「本所の銕」は本当の話なのか。
反対派もいる中、「裁きで人情溢れ、日本のトップに嫌われながらも人足寄場を成功させる」とは。
歴史には、何気にさりげなく「とてつもない人物」がいるもんなんですね。

お礼日時:2006/03/07 20:28

長谷川平蔵は実在の人物です。


剣豪とか言うのはつくり話ですが、有能な役人であり、人足寄場の発案者と言うのも正解です。
長谷川平蔵は池波氏がクローズアップしたと言うことはまちがいありませんが、江戸時代から評判の人物ではありました。
ただ、上司にはあまり好かれずに、本人は町奉行の地位をめざしたようですが、結局は火付け盗賊改め(本職は先手頭)で使い捨てられてしまいました。(現職で病死)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうか。火盗改めになったというのは、どかんと出世したということでもないのか。
興味深いお話です。ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/07 20:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!