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明・清代には一世一元の制が使われていたと聞きました。でも、例えば清代における「辛亥」などは皇帝の名ではないですね?
<質問>
・これらの時代を示す言葉が、一世一元の制とともに並存したと解釈していいんですか?
・「辛亥」などの時代を示す言葉はどこから生まれたんですか?(道教?風水?)

A 回答 (3件)

辛亥などは干支による暦の数え方です。


>干支(えと、かんし)は、十干と十二支を組み合わせたもので、この二つを組み合わせて行われる暦法である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF

干支紀年法の発生
60年で一周するこの暦が発生したのは紀元前3~5世紀のようです。

> 戦国時代(紀元前5~3世紀)には天文学が発達し、惑星の周期などもかなり正確に知られて来た。また星占いも盛んとなり、天球を12の分野に分けて十二支の名を付けることも始まった。そうした中で、12年の周期で天球を回っている木星が注目された。そこで、木星は「歳星<さいせい>」と呼ばれ、歳星が天球の十二支のどの分野に在<あ>るのかによって、その年をあらわす方法が生まれた。

一世一元の制とともに共存したと解釈していいです。

> そもそも、年の表示法というものは、古くは殷周の昔から「王の何年」という方法であらわされてきた。また、前漢時代からは「元号」が定められるようになり、「元号《数字》年」と表記することが最も正しく、かつ権威ある表記法とされるようになった。しかし、ひとつの元号はその国にしか通用しない。また元号は数年で改元されることも多く、複数の元号にまたがった長期間の年数の計算は繁雑で難しい。その点、六十干支による年の表記は、国や時代を越えて共通の年度を特定するのにたいへん便利な方法なのであった。

http://www10.plala.or.jp/shimd/sub2.htm
上記については
このサイトの説明がわかりやすいと思います。
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こんにちは。

回答はすでにでているようなので、補足までに。

甲子園、戊辰戦争、壬申の乱等これはすべて干支に関係する事柄ですね。
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「辛亥」ってのは干支ですね. 当然, 年号とは並列して使われています.

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