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 ある方が、「騙されているから災いは、無くならない」と云われました。
 「災い」と「騙されている」ということには、どういった因果関係があるのでしょうか?
 私には、全く理解出来ませんので、お教え下さい。

A 回答 (3件)

前後の話も分かりませんし、その方が「何を指して」


そう話しているかも不明なんですが....。


「騙されている」ってことは、「悪意を持って真実とは
異なったことを伝えている」ってことですよね~。
で、今の状態では災害は出ていないor気付いていないと
いうこと。

環境問題の原因を「人間の本性」まで遡らないで、もう
少し手前の「その技術を使った」なんてところで捉え
ますと、「その技術の危険性」を説明しないことで
危険(災い)も当然起きますね。

例えば原子力発電。
「放射性物質が大気中に幾ら漏れても安全」と国や電力
会社が誰かに信じさせてしまい、ずさんな管理で環境に
放射性物質を放出したら、これは放射線障害に苦しむ
人がでますわね。

 ※:「幾ら漏れても安全」が嘘で、それを信じさせた
   ことは「悪意」。 更に、危険な物を扱うのに
   「ずさんな管理」をしたのも悪意(ミスの場合も
   あるけども)

他には、つい最近摘発されましたが、規制対象のフロン
ガスを、規制されていない種類のフロント偽って輸入し
ようとした事例なんかも該当しそうですね。

結局、
 ○誰が見ても、どう見ても危険性があるものを
  危険でないと偽るor危険性を警告しない。
 ○危険である物を扱うときに「様々な面から見て十分
  な安全性」を確保せずに使って、それを知らせて
  いないor偽る
 ○何より、その物が「災いを引き起こす確実性」を
  持っている。
なんて事だと、被害(災い)は起こりますよね。

ご質問を咀嚼したつもりですが、的はずれならゴメン
なさい。
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この回答へのお礼

 早速、有り難う御座いました。
 正確には、
「わたしも呆れております。
 あなたのようにだまされやすい方が多いから災いが絶えないのかなあ・・・と
ふと感じたり致しました。」
と云われたのであります。
 kenchinさんのは、面白い論理です。
 でも、これは最初から、虚偽なわけで、元から害を成しております。それを受けた側が、騙されようが騙されなくても災いはあるってことでしょ。
 どうですか?

お礼日時:2002/01/23 20:12

 kenchinさんのお考えは私も賛成ですし的を射ていると思います。

ただちょっと別の角度から考えますと。そのある方の騙されているというのを、錯覚しているとか思い込んでいるとかに解釈しますと。
 もともと災いというのは「自分にとって」都合の悪いことが起こるということでしょう。だから災いというのは誰にとっても必ず災いであるとは言えなくて、ある災いは、別の人にとっては幸いであるかも知れない、という考え方があるとします。これは「自分にとって」ということを常に意識することでもあるわけですね。

そうすると「自分にとって」ということを意識しないで、自分にとっての災いは万人にとっても災いであると、思い込む、錯覚している、騙されている人のたちにとっては、「災いはなくならない」ということになるのではないかと思ったりします。

 全然答えになってませんね。ごめんなさい。
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この回答へのお礼

 有り難う御座いました。
 ちょっと、奥に入った感じがします。でも、「災い」は万人が感じるものだと思います。
 『「邪法」の者が「悪王」と結託(けったく)して、正法正師に圧迫を加えるが故に、まず、自国の諸天善神が瞋(いか)りをなして天変地夭(ちよう)等の災難が並び起こる』
とされています。しかし、どこにも騙されているからとか、お人好しだから、災いが生じるとされていないのであります。

お礼日時:2002/01/23 20:23

>でも、これは最初から、虚偽なわけで、元から害を成し


  ~回答者編集 中略 ~
>どうですか?

当然そうですね。
説明者が相手に説明を行う段階以前に、説明者がその害
を認識していない場合は、「騙し」ではなく誤解という
のが妥当じゃないでしょうか?

 ※:勿論、自分の理解が不十分であることを認識
   している場合、他人からの納得性ある訂正を
   受け入れず(咀嚼せず)説明した場合などは
   若干の悪意を含んでいる側面もありますけど
   厳密には騙しじゃなく「無責任」の範疇で
   しょうね。


で「環境問題」で質問されたことを前提にして。

環境問題の場合、「原初の段階で(悪意があって)十分
に検討を行わず、よって環境への悪影響を否定できない
段階、もしくは悪影響を排除する対策を持たないのにも
限らず、それを(悪意から)隠して導入・推進を図る」
ことが「騙されて災いに至る」の構図と言えますわね。
そして、「悪意の騙し」が無ければ、法や世論で導入は
不可能でもありますわね。

つまり「根本的に災厄を持っていて、間に騙しが入って
いる場合」は災いに至るっと。
(騙しを誤解や無責任に置き換えても同じだけど)

もう一つは、samarukandoさんの解釈
これも確かにありますね。(感服しました)


もちろん、環境問題の発生根本に思想などを置く場合は
別の解釈も可能ですね。
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この回答へのお礼

 有り難う御座います。
 どうも、根底に最初から、災あるものが原因で、それを気付かないというだけで、騙し騙されるを考えていらっしゃるようですね。
 私は、この言葉を吐いた人の未熟さを感じ、ただの憤りを交えての根も葉もない軽率な言葉だと判じていたのです。「災い」という概念も、これは原因であり、これにより人間は不幸と感じるのであります。
 前の方が、「災い」について災難という個人的レベルで説明されましたが、この範囲中のものかもしれません。
 騙すよりも、騙された方がいいかと存じます。
 そうした、一見、アホかもしれませんが、それが人間の純朴さで、「信じる」ことの出来る純真・素直・謙虚な機の持ち主ということでしょ。
 当然、騙す方は、悪であり、それ相当の報いを受けるでしょう。

お礼日時:2002/01/24 12:30

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