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東京都の人工島・・・「台場」
臨海副都心線(だっけ?)や首都高湾岸線も走り、
若い人の間を中心に「お台場」と呼ばれていたりします。

もともとは、戦時中の『大砲置き場』だったらしいのですが、
この「お台場」の“お”は、なんですか?

A 回答 (3件)

 ペリーが浦賀に来たとき(1853年)、幕府が江戸防御のために造ったのです。

幕府が造ったので、「お城」とか言うように、尊敬の意味をこめて呼んだものでしょう。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/odaiba/yurai.html
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この回答へのお礼

なるほど・・・

ということは、当時から「お台場」と呼んでいたんですね?

お礼日時:2000/12/20 03:21

この場所は、外国から攻めてきた時の防戦用の大砲置き場でした。

時期は江戸時代後期、ロシアやその他の欧米列強が日本に進出しようとしていた時期、懐柔すべきか敵対すべきか政策も世界情勢(特にアヘン戦争など)によって紆余曲折していました。その対抗策の一つとして海防、つまり大砲置き場が作られました。
さて、その台場に「御」がつくのはもちろん丁寧語です。ではなぜ付くのかというと、将軍直轄(御公儀)のものは皆「御代官」などと自称することにより、将軍への尊敬を表していました。天皇が「朕」というときも自己への尊敬が込められていましたので、現代人にはちょっと変な気がしますが、当時の用語法ではごく自然なことだったのです。ちなみに「貴様」はこの時代、尊敬語として使われていました。
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参考URL:http://homepage1.nifty.com/tadahiko/GIMON/ANSWER …
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます

お礼日時:2000/12/23 12:51

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