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4大文明ってどうやって決められたのでしょう?

なんか他にもいくつかあったというお話も聞いたことがありますが、、、

それとも他にもいくつもあったけれど、代表的な四つに絞って『4大文明』として世間では話されているのでしょうか?

なんだか、変な質問でごめんなさい

A 回答 (2件)

 


  四大文明というのは、黄河流域の中国文明、インダス川流域のインダス文明、ティグリス・ユーフラテス河流域のオリエント文明、ナイル川流域のエジプト文明とします。(確か、この四つを指していたはずです)。
 
  すると、これらの文明は、古くから西欧によく知られていたという事実がまずあります。ティグリス・ユーフラテス文明やエジプト文明は、キリスト教との関係で、『聖書』には必ず出てくるので、昔から、古代の大文明として考えられていたのです。西欧は、その後、中国を大文明国家・世界と認めます。17世紀とか、それ以前の話です。マルコ・ポーロの報告も、アジアの東端にある偉大な文明について述べていますし、更に、モンゴル帝国は東欧を席巻し、西欧も危機に陥りました。
 
  もっと古く、ローマ帝国の時代から東西通商があり、五賢帝の最後の一人、マルクス・アウレーリウスと、中国の後漢王朝が、書翰を交わしたという記録もありますし、原始キリスト教段階で、異端とされたネストリウス派が、中国まで到達し、「景教」の名で伝道されていたというのもあります。
 
  そこで、古代の大文明というと、古いものは、みな、大河川の流域に発達し、「灌漑農業」を営み、高い文化水準を持っていたという認識になります。それ以外にも、中国では、揚子江流域にも長江の文化圏があり、インドにも、豊かな文化圏がありましたし、アフリカにも文化圏がありました。しかし、大河川の流域で古代に行われた灌漑農業を主とする高度文化と考えると、とりあえず、三つが挙げられたのです。
 
  ところが、19世紀末頃だったと思うのですが、インダス河流域に、幾つかの都市遺跡が発見され、それらの都市が、インダス川の水を利用して、高度な灌漑農業を営み、また整備された都市を持っていたことが分かり、更に、古代オリエントとも通商関係を持っていたことが明らかになると、「大河川+灌漑農業+高度文化+都市文化+通商」という条件を満たすので、インダス文明を、第四の世界文明に数えたのだと思います。
 
  この分け方はかなり乱暴ですが、大河川+灌漑農業+高度都市建築など、考古学的に確認できる要素で定義できるので、それなりに有効であったのです。現在は、色々な文化が地域ごとにあったことが知られていますが、それでも、大河川流域の灌漑農業文明というと、この四つ、そして長江流域が、数えられるのではないでしょうか(長江流域の文化もまとめて中国文明に入っていたような気もします)。
 
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この回答へのお礼

詳細な説明、どうもありがとうございます

とても参考になりました(^^)

お礼日時:2002/01/30 17:55

昔、年代測定が今のような科学的な手法により行われていなかったころ、この四つの文明以外は、いつごろのものなのかはっきりしていなかったためです。

(年代などは、かなりいい加減でした)
その後の調査でだんだん同時期に他にも文明があったことがわかるようになってきたのです。
つまり大昔の教科書の名残です。
いまだに四大文明などというのは、4つに絞ったほうが教えやすいという文部科学省の思惑でしょうか。
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この回答へのお礼

やはり同時期の他の文明も確認されているのですね

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/01/30 17:57

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