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初めて投稿します。
私は漠然とした物の言い方しか出来ませんが、ご了承下さい。

私は最近よく考えます。
社会とは何なのか。
政治とは何なのか。
生きるとは何なのか。
幸せとは何なのか。

そんな時にある思想と出逢いました。
"共産主義"です。
社会全体で人の幸せ・生き方を説くこの思想に、私は傾倒していっているようです。

しかし、現在の共産主義はソ連・北朝鮮などの例を見てもわかる通り、抑圧の象徴となっているような気がします。
なぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
共産主義の本質と何なのでしょうか。
そもそも共産主義とは何なのでしょうか。

これ関わりある事なら構いませんので、私に皆さんの意見を教えて下さい。

A 回答 (17件中1~10件)

No4.です。

頑張って人間を信じてください

あなたに幾つかの言葉を送ります。

儲かるという字は信者と書く
信じる者は足すくわれる
人押しなべて救いなし
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難しい問題を非常に簡単に、説得力ある(かな)説明をします。



前提として人間の本質とはNo.3の方が言うようなものである、人間とは向上心が有る、人間とは批判や疑問の精神を持つ、と納得していただいた上で。

共産主義は水も漏らさぬ素晴らしい見事な理論である→これを実現すれば人間はみな幸福になれる→その為にはマニュアルどおりに国民が動かなければならない→しかし人間はNo.3さんの仰るとおりの生き物である→ならば強制力で従わせる以外ない→こんな素晴らしい共産主義に従わない人間は狂っているに違いない→狂って居るなら精神病院に入れる→直りそうも無ければ死んでいただく。

という事になりませんか?実際精神病院という名の収容所が至る所に存在しました。
そもそも共産主義とは上記の理由で非常に存続が難しいシステムで、僅かでも反対する意見はその体制を崩される恐れが有るので徹底的に叩かれます。
それこそ僅かな意見の違いも許せない訳で例外なく知識層が重点的に虐殺されました。

遡ればスターリンとトロツキーの関係、どんなに僅かな違いも許せない訳です。
また連合赤軍の仲間割れよるリンチ殺人事件は余りにも有名ですし
参考までに日本共産党は野党だからおとなしいので、あれが共産主義の本質だと思ったらとんでもない間違いです。

二度とこの世界にこのようなおぞましい体制を発生させてはなりません。
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No.10の者です。


Kotarou-BB様のおっしゃる誤解している人とは、私のことだろうと思い、また、私の稚拙な文章を参考になったとおっしゃってくれる方もいらっしゃいますので、
「何だ。あいつの言っていることは間違っているのか、プンプン」と思われないためにも多少の弁明をさせて下さい。

一応、『マルクス的』には共産主義と資本主義が矛盾しない思想であるということは理解しているつもりです。
彼によれば、資本主義がテーゼだとすると、そのアンチテーゼは資本主義が内包する諸問題(失業、過酷な労働条件など)であり、その矛盾を解決し、発展したジンテーゼとして社会主義がある、という訳です。
そして、それが更なる弁証法的運動を繰り返した最終形態として、共産主義社会があるのならば、確かに共産主義は資本主義と矛盾するどころか、成熟し、完成した資本主義といえるでしょう。

しかし、私はあまりそうは思いません。というか、多くの人は、ここ100年の歴史の流れを、資本主義をテーゼとするなら、共産主義をアンチテーゼとし、ケインズ的な修正資本主義をジンテーゼだと思っているのではないでしょうか?(確証はないです。すいません)

つまり、私としては、共産主義思想の存在意義というか最大の功績は、「当時の資本主義社会のあり方に警鐘を鳴らし、それに代わる社会システムを提示したことで、更なる社会の発展を促す役割をした(福祉などの面で)」ことだと思うのです。
共産主義をそうとらえたならば、資本主義のアンチテーゼになりうると思うのですが、どうでしょうか。

また、quiet_sea様の
>現実不可能とは私の中では問題の棚上げとしか考えられないんです。
というご意見についてですが、私は、共産主義社会をこの世界に実現させることは『絶対に』不可能か、と訊かれたらNOと答えるでしょう。
しかし、『現実には』不可能か、と訊かれれば、YESと答えるでしょう。
というのは、かつてガリレオ・ガリレイは強力な足場と支点、さらに適当な長さの棒を与えられれば、てこの原理で地球でさえも動かしてみせる、といったそうですが、これは物理的には不可能ではありませんが、現実には不可能ですね。

共産主義にも同じような問題があると思うのですよ。
指導者が聖人君子の鑑のような人物で、民衆も勤勉で従順、有能で思いやりあふれるような人達であったなら、社会主義国家も崩壊しなかったでしょう。さらに、「みんなのために」研究・技術革新等が行なわれるので、自由競争がなくても経済が発展します。
でも、それは人類全員にマザー・テレサになれと言っているようなもので、現実的でないし、人間の本質を度外視したものだと思うのです。

仮に、絶対に不可能ではないからといって、実現しないことは問題の棚上げであり、人類の怠惰である、とするならば、成績オール1の子供が東大に入らないのは、その子の怠惰である、という論法がまかり通ってしまうと思うのです。

要は、どこを以って可能または不可能とするか、基準の問題なのですが、少なくとも、私の基準はquiet_sea様の基準よりは低いようです。
というのも、私はそこまで人間を信用できないからです。
それが、私が共産主義思想に魅かれながらも、それを支持しない理由です。

何だか自己満足のための文章で、回答にもなってないような気がしますが、申し訳ありません。
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 共産主義については一口に説明できない複雑な問題を抱えているので、基本的な部分だけをご説明します。

とはいえ、題材が複雑なだけに長文になることをお許しください。

>共産主義とは何なのでしょうか。
 誤解している人が多いのですが、共産主義と資本主義は対立する思想ではありません。共産主義の概念を確立したマルクスは、資本主義が成熟した結果として共産主義を位置付けていました。

 マルクスの生きていた時代は、産業革命の影響でそれまでの家族や一族が集まって生産するという形態から、大きな工場などに人々が集められる形態に経済が移行していました。これによって工場や企業を経営する「資本家」と、労働力として集められた「労働者」という身分制度が生まれます。

 いまでは考えられないことですが、当時は工場や企業がどれだけ儲かっても、その利益は「資本家」のものであり「労働者」に配分されることはありませんでした。資本主義の矛盾・問題点を研究していたマルクスは、「資本家」が独占する富を「労働者」へ再分配することこそが、資本主義の成熟した姿であると考えました。この考えを元に生まれたのが共産主義です。

>なぜこのような状況になってしまったのでしょうか。
 共産主義は「富の再配分」を目的としていました。しかし、どれだけ富が配分されても、それぞれの「資本家」「労働者」という立場は揺るぎません。やがて共産主義は労働者を「プロレタリアート」、資本家を「ブルジョアジー」と位置付け、ブルジョアジーによる支配をプロレタリアートの暴力革命によって打ち倒すという「階級闘争」に移行しました。

 階級闘争に移行した共産主義ですが、これによって資本家の存在自体が社会悪であり、労働者が自ら資本を管理することが理想の共産主義であるという考えが生まれます。これが現在の共産主義国家で行われている国家による産業の管理です。

 しかし国家による産業の管理は、同時に国家による労働者の管理へ繋がります。国家を運営する人々は労働者の中から選ばれますが、権力を握ることによって労働者は権力者になりますから「支配する側」と「支配される側」の立場はより強くなります。共産主義国家の現状は、産業を国家が管理したために国民も管理するようになったというわけです。

>共産主義の本質と何なのでしょうか。
 すべての人が幸福になることを目指した共産主義ですが、現在では中国など一部の国家を除いてほとんどの国が資本主義を選択しています。その中国でさえ資本主義経済を導入していますから、実質的には共産主義は壊滅状態でしょう。これは共産主義がドイツ観念論による唯物論によって構成されていることが大きな原因です。

 唯物論とは、すべての現象や行動は物質によって支配されるという考えです。共産主義では労働者はお金のために働くのであり、資本家との関係は賃金によってのみ成立するとしています。だからこそ組合活動や労働争議では、賃金アップのためにストライキなどで仕事をストップしますし、それによって会社や顧客に損害が起きてもしかたないと考えています。

 しかし、現実にはお金のためだけに人が働くわけではありません。労働者にとっては仕事で生きがいを感じたり、社会に貢献することも大切ですし、自分の夢を実現するための通過点と考えている人もいます。また企業も利益を増やすためには、社員に「やりがい」や「社会的なステータス」など賃金以外の価値を与えなければなりません。

 つまり資本家と労働者はさまざまな要素で結ばれており、賃金のみの単純な対立関係にはありません。ましてや、現在ではほとんどの企業は社員が出世して経営者になります。こうなると資本家と労働者という位置付けさえもあやふやです。唯物論とそれによる対立軸を基本とした共産主義が支持されなくなったのはこのような理由からであり、共産主義の本質は「唯物論」だと言えるでしょう。

 ちなみに資本主義にもさまざまな問題があります。しかし最近話題になっている「格差社会論争」や「弱肉強食論」に触れるたび、多くの人がイメージだけで理解したつもりになっていることが最も問題だと思います。経済について考える場合には、共産主義や資本主義はもちろん、経済学やゲーム理論などの基本を理解することが大切です。わかりやすい書籍が書店には並んでいますから、一度目を通してみてはいかがでしょうか。
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>なぜ人間がいまだに動物と同じ理屈でしか行動


>できないのか、とか・・・・
>・・・・、私の場合。
何と申し上げたら良いのか、深い意味は無いのですが笑ってしまいました。

といいますのも、ここは全般に「右より」なんですが、回答者さん達は「共産主義の影響を強く受けた」人達が結構多いと思うんですよ。

政治はいわば「宗教(共産主義)という絵に描いた餅」を現実化しようと働くものなんです。 哲学カテなんか読んでいると、相変わらず共産主義の影響は根強いですし共産主義イデオロギーに基づいた正義感が飛び回っています(と思う)。

>現在の共産主義はソ連・北朝鮮などの例・・・
なので、現在まで皆さん「自分の事の様に反省」されている様で、実際嘗ては哲学的・道徳的にソ連・北朝鮮の体制が擁護されたんです。 彼の地で実際に生じている事は、国内では長年否定されていたんですよね。

少なくとも建前上は公共心がどうのこうの・・・といいながら一方で、自分の子供には競争に勝ち、目上のものに認められて云々。 他人を犠牲にしても自分が良い目に会う事が重要だと教える。なのでイラク戦争参加も可能になった。 こういう反省の仕方もあるわけですし。

まあ、今後当分は「共産主義や社会主義の名称」は使用しない事が肝要でしょうね。 社会運動・労働運動関係者が引き起こしたひどい例は現在も有ります。 優秀な若手が、彼らから逃げている状況は継続していると思いますよ。
何しろ終戦後「自分が我慢をし、投資をして事業を育てる」事を知らない年長者が、近年までに経営参加して支離滅裂な運営状況を創ったりしてましたから。 口実だけは立派でも内容がついて無いというか、「知識と経験は求めるが知性は理解しない」という感じ。
「具体的な面での適用と行使がデタラメ」なインテリが社会問題をおこしているでしょう?

自分が創った都合だけで事をおこなっている自己欺瞞。 元共産(というより社会)主義さん達の事ですが・・・

>そんな時にある思想と出逢いました。
>"共産主義"です。
神が創った人という動物は、人の手によって初めて人間になりうる・・・・といった御説は幾らでも出回ります。 被害実態を知らない内は、悪魔の子を育てた事も認めない、「反省する人達」が多い世の中になったと思います。

元々あった共産主義思想を鵜呑みにして受け入れるだけでは誰も認めないと考えます。 アドバイスお願い!
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>自然の原理から完全に独立、の部分がちょっとわかりません、もしよろしければ補足お願いします。


生物の原理(弱肉強食)からの独立ならわかるんですが・・・。

弱肉強食も自然の原理の一つです。
人間の欲や嫉妬、愛情や憎しみなどの生命体として不完全な部分もそうした一例ですね。

共産主義が生まれた時代は、まさに思春期に突入する時期だったわけです。世の中の仕組みもわかっていないのに、大人の世話にはならないと、家庭内暴力を起こし、結果食べるものにも事欠いて、土下座してゆるしてもらったということです。
共産主義は、童貞の妄想が生んだ絵に描いた餅ですね。
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資本主義社会の恐ろしさ、を多少でも実感する事ができる人の多くは昔からインテリなんですよね。



つまり能力が高く、成果をだす過程を見出す人達なんです。 こういう人達が現実の政治に不満をもち、政治主導権を奪取するための口実が共産主義(理想社会)なんですよ。

>共産主義の本質と何なのでしょうか。
>そもそも共産主義とは何なのでしょうか。
インテリの多くは本質を理解しようとする。 自主独立心が強く、自分達なら人々の不満を極限まで解消する(話し合い)事ができると考えます。 その根拠は昔の原始的共産社会を例にして「分配を説明する」でしょう。

マルクス・レーニン主義が共産主義思想の論理主導を行い、クレムリンが共産主義者の主導権を握った事は「共産主義の悲劇」である。 という事を言っていた人達もいる。

現在の政治システムで納得している様な人達は、日本の高度経済成長が「社会主義リベラルが問題を定義し、政権が対策実施する」事によって可能であった事を知りません。

日本国内の社会主義政治勢力が崩壊して、大衆経済が悪化した。 戦後の自民党政治がおこなってきた「公共事業予算」がデタラメな政治人事を可能にした。 「犬畜生の欲望」と同レベルの営業事業主を大量生産した。 これはこれで国力増進に役立つと考えた政治行政が「接待慣れ」して資本主義容認、国民生活を意に介さなくなった。 マスコミは政治行政、企業の広報機関。

現在の政治システムのインテリは「アメリカ追従」を正当化理由にした二枚舌を継続している。 知らぬは馬鹿の国民だけ・・・・

>そもそも共産主義とは何なのでしょうか。
世の中の不満を極小化する考え方・・・ではないかと思います。 洗脳手段を使用しない政治ですよね。
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この回答へのお礼

かなりお詳しいようで、私ももっと勉強しなければと思い知らされました。

>こういう人達が現実の政治に不満をもち、政治主導権を奪取するための口実が共産主義(理想社会)なんですよ。
不満というか、現実に納得が出来ないんですよね。
なぜ人間がいまだに動物と同じ理屈でしか行動できないのか、とかです。
そうなってくると、行き着く最終目標は共産主義であった、それだけの事なんです、私の場合。
人は欲を克服出来る理性を持つ事が出来るはずです。

お礼日時:2006/04/14 00:17

quiet_sea様は共産主義思想に傾倒なさっているそうですが、私はその気持ちが良く分かります。


某国の大統領のように非難するつもりは全くありません。
ありませんが、しかしながら、この思想を実現させるのは不可能だと思っています。

というのは、私はこの思想自体が欠陥を持ったものだと認識しているからです。

まず、この思想を打ち出したマルクスは、社会を形成する「人間」という存在に対して楽観的過ぎました。
彼が生きていた時代は、資本家が労働者を酷使して、搾取するということが平然と行なわれていたのですが、
もし、資本家を追放し、仕事の成果をみんなで分かち合えたら、労働者は喜んでみんなのために働くだろうと彼は考えていました。そうすれば間接的には自分達の利益になるのだから、と。
しかし、実際はそうはならなかった。
人間は彼の考えるよりも、もっと怠惰で、強欲で、どうしようもない生き物だったからです。

そして、20世紀になって、この思想を実現させようと、ソヴィエトをはじめ多くの社会主義国家が誕生しましたが、それらは自由よりも平等を優先させるものでした。自由と平等はしばしば矛盾するものだからです。
能力のある人とない人が、自由な環境の中で仕事をすれば、どうしても格差が生まれてしまいます。
しかし、社会主義国家としては、これを認めるわけにはいきません。仕事の成果は皆で分かち合うのが大前提ですから。
そこで、これらの国家は、個人の自由を縛り付ける程度の強い力が必要になります。
時に、怠ける人をシベリアに飛ばしたり、能力に応じた給料を求める人に思想改造を施せる、強い力を。
皮肉にも、マルクスが見抜けなかった人間の本質を、その信奉者であり後継者である国家の指導者は見抜いていたのです。

そうして誕生した強い国家は民衆を抑圧します。また、人とは、自分に優しく他人に厳しいもので、これらの支配階級の人間は腐敗し、必要以上に民衆を抑圧しました。しかも、民衆の側からは意見できません。
さらに、全体が怠けているので経済は(長期的には)発展しません。労働者たちはいつまでたっても貧乏なままです。

そんなこんなで社会主義国家は崩壊に向かいました。
簡単に言うと、これが共産主義の失敗の経緯だと私は思います。結局は無理なことだったのです。

しかし、共産主義には功績もあると思います。それは、資本主義に対してアンチテーゼを示したことです。当時の資本主義が続いていれば、今頃はきっと、サービス残業しまくり、過労死の影におびえながら、雀の涙程度の給料でほそぼぞと食いつないでいくような生活を人々は強いられていたでしょうね。
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この回答へのお礼

私も共産・社会主義の経緯を上記の通りだと思います。
つまりは人の意識の問題であり、知識ばかりを蓄えて、知性がないのです。

現実不可能とは私の中では問題の棚上げとしか考えられないんです。

お礼日時:2006/04/14 00:02

ユートピア [Utopia]



〔どこにもない場所の意の造語〕
(1)T =モアの主著。1516年刊。架空の国ユートピアの見聞記の体裁をとり、共産主義・男女平等、また宗教上の寛容を説く。
(2)3 〔(1)から転じて〕理想郷。理想の国。空想上の理想的社会。無何有(むかう)の郷(さと)。
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共産主義は理想社会の実現を説いているし、理論的に緻密に構築されている


ので、頭のよい人ほどはまりやすい側面はあることは事実です。

しかし、その実践を行った社会や国家は、ことごとく破綻しました。
No.1の方が紹介しているウィキペディアの情報がよくまとまっていると思い
ますが、自分の考えを以下に述べます。


1)暴力の行使を是認していること。
マルクスは共産党宣言において、暴力によってのみ共産主義革命が達成できる
と主張しています。

ところが、理想の共産主義社会は一度の暴力革命だけでは達成できないため、
革命が成立しても、次の段階に進むために暴力が行使されることを否定でき
ないわけです。

従って、共産主義革命の起きた国では、その後も暴力の行使が継続すること
となり、さらには革命の達成を謳い文句にした派閥抗争まで起こってしまう
わけです。
つまり、暴力の連鎖が続くこととなり、いつまでたっても平和は訪れないという
結論が出ます。


2)民主集中制、およびプロレタリアート独裁の弊害
共産党も民主主義を主張していますが、彼らの実践する民主主義は民主集中制
という、自由主義社会での民主主義とは異なる体制です。
民主集中制においては、各機関は上部の指導機関への絶対服従を強制されます。
このため、下部組織や大衆層における議論が、全体の政治に反映されないと
いう根本的な欠陥を抱えているわけです。

また、革命を達成するにあたり、一部の指導者による独裁政治を許容しています。
ところが1)で説明したように、理想的共産主義社会が過去の歴史において
実現したことはなく、そのため革命というものはいつまでたっても終わらない
ため、独裁政治も自動的に継続する結果となります。


3)唯物論による人の生命や人権の軽視
マルクス主義理論は、唯物論の上に立脚しています。
その結論を述べると、人間の命に特別の価値はなく、人間は単に頭のいい動物
であると考えているわけです。
そのため、唯物論の上に立脚した共産主義社会においては、人の生命に絶対的
な価値はなく、思想に問題があるという理由だけで簡単に社会からパージされ
ます。
その結果、共産主義社会では反体制派であるという理由だけで虐殺が起こり、
また強制収容所に多くの人が収容される結果となるわけです。


上記の他にも問題は多くありますが、共産主義の理論にこのような根本的な
問題がある以上、共産主義による国家や社会には、虐殺や国民の抑圧が自動的
に発生してしまうというのが、私の考えです。
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この回答へのお礼

>共産主義革命の起きた国では、その後も暴力の行使が継続すること
となり、さらには革命の達成を謳い文句にした派閥抗争まで起こってしまう
わけです。
つまり、暴力の連鎖が続くこととなり、いつまでたっても平和は訪れないという
結論が出ます。
つまり、人間がまず変わらなければならないのです。
意識の問題です。
ですので、彼らは共産主義というコトバを利用したにすぎず、その誰もが共産主義の理解者ではなかったというのが私の結論です。

2、3にも共通して言えますが、つまりは人間の意識の問題なのです。

あと唯物論の解釈が私と違うようです。
私が解釈した唯物論とは、資本主義において人間は金と物によって動くという、人間の価値=モノカネというものです。私の解釈ミスかな。

お礼日時:2006/04/13 23:48

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