占いと科学について
科学は占いを否定しているように思えます。
占いは科学を否定しているように思えます。
占いと科学は共存することはできないのでしょうか?
私自身は科学のほうが信頼のおけるものだという気がするのですが、占いで心が癒される人がいるとしたらそれも無視できません。
科学が難しくなってきているから簡単な占いにだまされる人がいるのでしょうか?
歴史のある占いこそ尊重されるべきで科学などでは人は幸せにはなれないのでしょうか?
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#4です。再びお邪魔します。
まず、占いと化学の共存ですが、質問者様は占いと化学の共存はどのような姿を思い浮かべているのでしょうか?
私は科学者の卵だったこともあり、正座占いは否定派ですが、それでもめざましテレビの占いで上位になるとうれしいです。つまり私の心に影響を与えているので、十分共存状態だと思います。それが正座占いの目的でもあると思いますし。
(占い師は私が指示通りにすることを期待していないし、私もしない。また占い師は私がその通りにしてダメだったという抗議は望まない。よってお互いに丁度よい取り方をしているので、共存といえる)
>占いで心が癒される人がいるとしたら…
確かにいます。ただほとんどが根拠がないため、依存しすぎず、うまくお付き合いする必要があると思います。(人生の判断基準としてでなく、きっかけとして)
>歴史ある占いこそ
その通りです。例えば#4で答えた風水も、夕焼けを見て明日の天気を予想する昔からの教えも、歴史ある占いの一種で知らず知らずのうちに発見した『科学』とも言えます。当然、科学の立場からしても最も尊重されるべきものです。
発見者はノーベル賞ものでしょう。
しかし歴史のない占いはそうはいきません。将来の科学の発達によって解き明かされる余地は残されているものの、明らかに占い師の気分次第と言うものが多く見受けられます。
科学が否定するのはそうした無根拠信仰的な占いであって、昔からの(根拠ある)占いを否定するものではありません。
マニュアル化について
質問者様は科学を少々勘違いをしておられませんか?
マニュアル=科学ではありませんが、マニュアル=科学の産物です。そしてただ作る(質問者様の言われる『まねる』)のは科学ではありませんが、『なぜ飛ぶか?』は科学です。
例えばカードを切るのは占いではないですが、そこから考察するのは占いですよね?占いも科学も何かを得てこそのものです。
>占いで気分が変わり…
確かにありますね。病は気から。
実はそれは科学です。気分が変わると免疫が上がるとかどーとか、ちょっと詳しいことは忘れましたが、これは占いと科学のコラボといえるでしょう。さらに科学から生まれた薬も治療に役立っているので、科学で幸せになれます。占いも人を幸せにできます
そもそも科学がなければネットもなく、このような議論が生まれなかったのです。今この場で皆さんが集まって議論が行われているのは幸せなことではないですか?
あとの事例は概ね#9様の回答にお任せします。
(#4のお礼より)
>科学への理解のなさ…
そんなことはありません。極端な話、あなたの知識を持って中世にいけば、異端児とも取られかねない天才科学者です。科学知識の水準は関係がないです。
占いに頼るのは人生に行き詰ったときであって、悪質な占いはそこに付け込みます。昔から詐欺的占いは存在しており、これからいかに科学が進歩しても人間に付け込む隙がある限り、悪質な占いは存在し続けるでしょう。
長々と失礼しました
あと
>ジェットエンジンのことですが、最初の人の多くの試行錯誤…
これも科学ですよ。でなければライト兄弟は飛行機の鼻にプロペラをつけていません。試行錯誤は闇雲に行うのではなく『どうした飛べるか?』を考えています。そこに理由がある限り科学です。
この回答への補足
自分でもつまらないことを質問してしまったなと思います。これからはよく考えて質問をしたいと思います。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
少し自分でもよく考えてみたいと思います。
こんばんは、kurokuboyと申します。
質問者さんの言う“科学”は我々と定義が違うのですか?No.9のtoorisugariさんの回答は完璧ですよ、非の打ち所が有りません。私が書いても同じ趣旨の答えです。
>飛行機は科学の力でなく、ジェットエンジンの力で飛びます。最初のころの飛行機は確かに科学の力で飛んだのですが、マニュアル化されていけば科学の力は必要ではないでしょう。
ところで上の部分は意味不明です、何の事か理解できません。よろしかったら解説して頂けませんか。
占いと科学の問題ですが“科学”とは方法論です、決してその対象に有るのでは有りません。仮説と検証を繰り返し、真理を求めるのが科学と言う訳ですね。
たとえば占いと言う物を科学の対象にする事は当然出来ます。それどころか心霊現象、超能力、UFO、ミステリーサークル、人魂、死後の世界などなど一般的にはキワモノ扱いされるような事象でさえすべて科学の対象に出来ます。森羅万象何でもあり、来る者は拒まず、と言う訳ですね。方法論ですから。
話が脇道に逸れましたが
>占いと科学は共存することはできないのでしょうか?
のお答えですが科学の立場から見れば当然共存できます、出来ないとすれば原因は占いの方に有ります。
>科学が難しくなってきているから簡単な占いにだまされる人がいるのでしょうか?
これはどうでしょうかねえ、別のような気がしますが。いずれにしても科学は先人達の気の遠くなるような努力の末に築き上げられた人類の財産です。
それに対して占いはどうでしょうか?
その他オカルトなどはどうでしょう?
科学用語らしき物をちらつかせ、先人達が築き上げた科学の成果(と言っても言葉だけだが)を横取りする。
これでは著作権侵害、パクリ商法、偽ブランドと言われても仕方有りませんね。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
ジェットエンジンのことですが、最初の人の多くの試行錯誤、それによる洞察は科学だと思いますが、それをまねることは科学ではないということを言いたかったのです。
車や飛行機、携帯電話など全部科学の恩恵です。
昔は助からなかった病気や怪我が、簡単に治っるようになったのも科学(医学)です。
戦争や武器も科学の賜物。今の世界のほとんどが科学によるものです。
幸せになるひともいれば不幸になる人もいるでしょう。
ほとんどの人が便利になって恩恵は受けていると思いますが。
占いはというと、信じて幸せになった人もいるでしょうが、信じたばっかりに不幸になる人もいるでしょう。
占いを悪用して判子や壷などを買わせる人もいます。
どっちも使い方しだいですが、少なくとも占いがなくなっても困らないけど科学がなくなると困ります。占いで病気は治らないし、飛行機は飛びません。
この回答へのお礼
飛行機は科学の力でなく、ジェットエンジンの力で飛びます。最初のころの飛行機は確かに科学の力で飛んだのですが、マニュアル化されていけば科学の力は必要ではないでしょう。
占いで気分が変わり、病気が治る可能性は十分ありうることです。
私は科学が宗教になっていくことを恐れます。
回答ありがとうございました。
はじめまして!私も科学的??な職業に従事(アネハさんと同じく建築の耐震設計に従事する者です。。)する者ですが、私も科学とは?なんて考えたりするコトがしばしばあります。
例えば、私の身内である医師にかかった人がいるのですが、レントゲン
写真を見ただけで「肺炎」と診断が出来なかったと聞きました。。。
幸い他の医師に診断を仰ぎ事無きを得たのですが、、、。
こんな話でもわかるように、レントゲンやCTといった「科学」でも
わからんコトはアル!(医師の資質も含め。。。)というのが私の見解
です。占いの方が遥かにヒトの心に訴えるところがある(占いによりますが。。)とも思います。
少なくとも「科学」のみでヒトは幸せにはならないと思いますよ。
※古くはダイナマイトの発明者でもある、「ノーベル」や最近では
ウイニーの問題など・・・、ある部分(陰の部分)に於いては、「科学」は人間にとって不幸なコトも多々あると思います。
占いの方がよっぽど「アタッテルよ~」ってコト・・・・。
私もよく、よく、よく・・・あります!!!
回答にならなくてすみません。
この回答へのお礼
科学でも純粋な理解とそれを応用した科学技術というものがあると思います。科学技術を科学とみなすならば、それは幸せにはならないと私も思います。
私は理解したいのです。
アドバイスありがとうございました。
No.6です。
> なぜそのようになるのかを知る必要はないのでしょうか?
補足みたいな感じになりますが、天気予報を例にして考えて見てはいかがでしょう?
昔は、天気予報も占いのひとつ(ちょっと語弊がある?)でしょう。「今年の冬の山の雪模様から、春の天気を占う」なんてのもありますよね。
で、現在では、色々な解析や統計をして、科学的に「天気予報」として成立していますよね。
言葉が足りず、うまく説明できませんが、
昔:占い → 原因の解明により科学へ
って言う例もあります。
この回答へのお礼
ありがとうございます。科学的な天気用法は、某占い師が天変地異が起きると発言するのとは違いますからね。
皆さんと、ほとんど同じ意見です。
占いは、統計学が基本になっているらしいです。
ただし、昔から伝わる占いと違い、最近になって急に出てきたような物は非科学的な可能性が高いでしょう。
例えば、占いとはちょっと違いますが、厄年の考え。
あの年齢になると、結構な確率で疾病にかかる人が多いから、厄年になったという説もあります。
後は、確率論(これも数学ですね)でしょうか?
この回答へのお礼
実際的な利用法としては統計をするのは構わないのですが、なぜそのようになるのかを知る必要はないのでしょうか?なぜを知るのが科学だと思うのですが。
回答ありがとうございました。
占いは、まぁ、タロットカードやその他インスピレーションを軸とするもの以外は、統計学です。
人相手相だって、占星術だってそうです。記号であり、象徴なのだと思います。けっして「神の啓示」でも「魔法で何かをかなえてもらえる」ものでもありません。
ただ、その記号や象徴が一人歩きして、精神世界の神秘性と一緒になってきたのは、今までの歴史上出てきたカリスマ性のある占い師などが自己プロデュースがうまかったり周りがそこにそれを求めたからか、そういったことが重なってイメージが出来上がってきたのだと思います。
つまり、占いを受ける人、あるいは周囲でそれを見ている人が、どう占いを受け止めるかで、共存もし、相反するものにもなるのだと思います。
苦しんでいて、わらをもつかむ思いの人にとっては、科学(自分の努力含め現実的なこと全般含む)ではどうにもならなかったことに光を見出したとき、占いは神の啓示のように思えるでしょう。
また、自己プロデュースと言ったのには、言い方もあると思うからです。
例えば「火星がこの位置にいるときには代々こういった災害が起きています。例えば789年の○○。なので、こういうことには気をつけて。(または何歳のときにこういう災難にあったのでは?とか)」などといわれれば、統計学ぽいですよね。これを、「火星がこの位置にいるのでアクシデントの暗示が出ています。前向きに頑張れるときですが、考えなしの言動には注意」なんて言われたら、なんだかわからないけど火星の力で私の性格がそんな風に変わっちゃうのね、なんて惑星にそんなヘンな力があるように思えるのではないでしょうか。
引力の関係で、月の位置でお産が多いときがあるなどといった話には科学を感じても、「あなたの子は満月の時に生まれるでしょう」なんて言われたら何を根拠に?と思いませんか?
そういったことだと思いますよ。
では、タロットなどインスピレーション系の占いはどうかというと、これは対面の占いだったらまず大筋を「カウンセリング能力」で補っていると思われます。
まず手相や姓名判断、占星術で相手の反応をさぐり、ズバッと何かを言い当てる。しかしそこには、言い当てられたように感じられる話術を持っているということも大きく関係しています。
ただ、全てがそうかというと、本当にテレパシーや予知能力があるのではないかと思われるごく一部のすごい人も確かにいます。
しかし、大抵はそうやって技術で補い、科学で説明をつけることが出来るものであるのも確かです。
ま、うまく利用して、自分が幸せになれればそれでいいものだと思うので、そこにつけこむ悪徳占い師などは腹立たしいですね。それこそインチキで、話術やリサーチ能力で騙す、詐欺のようなもので、何も神秘性はないといえるでしょう。
長文失礼いたしました。
この回答へのお礼
これは科学的だと主張する占いは胡散臭いとしたほうがよいのでしょうかね。
占いも一部は科学を利用したものがあります。
最たるものは風水でしょう。空気の流れを『気の流れ』として考え、部屋や都市によどみなく空気が流れる配置をよしとしています。空気が流れることで、ホコリや病原菌を留まらせないで健康的な生活が送れます。
また城壁、門や堀の配置も長年の経験に基づく統計から恵方を決めているので、理にかなう=科学と考えることができるでしょう。
ただ西側に黄色を置くと金運アップと言うのは非科学ですが…
占いも昔は経験や統計、論理に基づくものがありましたが、当時の未発達の科学では神がかり的に感じるでしょうね。しかし現代にしてみれば風水などは立派な科学です。
ただ、現在はわけのわからない占いが増え、科学と占いが互いを否定するようになりました。そのような状況では共存は難しいでしょう。およそ#3様と同意見です
#1様についてですが、心理学を副専攻した身から言いますと、占い=心理学は絶対に違います。
心理学はあくまで心の理を探求する学問であるので、占いとは一線を画します。占いを信じる人の心を研究することはありますが…未来を予想する学問ではありません
占い師の中には心理学的手法を使う人もみえるようですが、心理学で占い師的手法(タロットをきるとか…)を用いることはありえません。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
科学への理解のなさが占いや迷信に行き着くと思います。科学に携わる人とそうでない人で科学に対する考えは違っているようにも思っています。
占いを否定しようとしているのは「科学」ではありません。
「人」です。
そして人が否定しているのは、「人を騙して決め付ける」類の占いです。
その手のものは往々にして詐欺事件がからんだり、または人間関係を破壊する恐れのあるものであったりするので、だからこそ必死になって被害者の増加を食い止めようとするのです。
占いというのは人に参考意見をもたらすものではありますが、けっきょくはランダムに選出された作為性のない結果でしかありません。
だからこそ、「当たると信じて道を踏み外したり、人に強要したりするのはやめようね」ということで、占いの存在そのものまで否定しようとする人が非常にまれなのはそのためです。
ようは、楽しんでやってる分には別にかまわないわけです。
現代の占い師は、特に優秀な人に限っていえば、「占いという行為」自身は付随のものでしかなくなっているようです。
彼ら彼女らは往々にして「カウンセラー」に近い仕事をしており、人を呼ぶ材料として占いをしているにすぎないケースがあるらしいのです。
そのような人物に対しては個人的には非常に好感が持てると思っています。なぜなら、彼らはお客さんの悩みを真摯に受け止める姿勢を持っているからです。
この回答へのお礼
占いはランダムに、ですか。それなら自分でサイコロをと考えてしまいますが、それが難しいのですね。
私は占いを受けたことがあります。統計をとっているようでした。科学的とも思えるものでした。よき相談相手というところなのでしょうかね。
占いを科学は否定していない、人が否定している、これは名言ですね。
占いと科学の共存は、不可能ではないと思います。
「決心しかけていることの最後の一押し」に占いを利用するのは、科学を重んずる人にとっても悪いことじゃないでしょうし、逆に、占い師でも、自分が発注するビルの設計を、科学的な構造計算に頼らずに占いで決める人はいないでしょう。
つまり、科学も占いも、使い方次第。
科学が難しくなってきているからと言うのは、必ずしも当てはまらないでしょう。占いに騙されるかどうかというレベルには、最先端の難しい科学が必要なわけじゃなくて、科学の基礎的な素養の有無によると思います。
「幸せ」というところに踏み込むと、問題は難しくなってしまいます。なぜなら、「幸せ」は心の問題だからです。
科学があってもなくても、人は幸せになったり不幸になったりするでしょう。ただ、多くの人は、意識しているかどうかに関わらず、科学の恩恵を生活の隅々にまで受けているわけで、それが無くなってしまっても「幸せ」と感じられるかどうかはかなり怪しいです。
個人的には、科学的思考を基本にしていますが、科学的に考えても意味のないことについて、占い的なものを決断の助けとして利用することもあるという生き方をしていると思います。
この回答へのお礼
決心しかけていることの最後の一押し、何をすればよいかわからないときの判断、占いはそういうところに求められているのですかね。納得しました。
では、占いは責任をとることができるのでしょうかね。私はできるとは思えません。それは科学にも言えることかもしれませんが。
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