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旧制大学の区分制度について

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  • 質問者:mutsuriku
  • 投稿日時:2006/04/15 00:17
  • 困り度:困ってます

学校制度、旧学制について質問なんですが、
旧制の大学、特に私学(官立にもあったかは?ですが)にあった、
専門部って、今の制度でいうとどこにあたるんでしょうか?

旧制では予科もあって学部もあって、尚且つ専門部
(専門部法科とか、専門部工科とか専門部医学科とかあったみたいですが。)
もったみたいですが、大学院みたいなもの?

ただどこかの説明みたら、
予科や旧制高校が、今の大学1,2年次に相当して、当事の学部は3,4年と大学院に相当するとあったんです。
大学院は大学院でも前期過程(修士課程)のことなのかな?
だとすると、専門部は後期課程(博士課程)?

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:subaru360
  • 回答日時:2006/04/15 22:01

私学にあった専門部は、基本的に「別科」のことでしょうね。
つまり、戦前は文部省の管理が厳しく、大学については官立の帝国大学を手本として、厳格な設置基準を課していたため、その学生数だけでは多くの私学では経営が成り立たなかったのです。そのため、大学の本科以外に別科や専門部といった促成コース(はっきり言って、兼任講師や校舎の使いまわし、カリキュラムの簡素化等)を作って、よりゆるやかな入試と安い学費とでより多くの学生を集めて経営の安定化をはかっていました。
ですから、大学の予科の試験に落ちても、いったん専門部にもぐりこんで、適当な時期に編入試験を受けて学部に入れてもらうということができましたし、大学よりも多い学生が在籍していた私立が多かったようです。
乱暴に言えば、今の夜間主コースのノリで入学するのに近く、したがって社会での評価もそれなりでした。

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  • 回答者:tatsumi01
  • 回答日時:2006/04/15 19:12

大学院ですが、東京大学の沿革を見たら昭和28年に開設されています。
新制大学が昭和24に発足していますから、その卒業生が出る年度に合わせて昭和28年に開設したようですね。
したがって、旧制大学のときは大学院はなかったと思われます。というか、新制大学になって卒業生の学力の低下を恐れて高等教育機関を発足させたのでしょう。
なお、明治19年の帝国大学令を見ますと「大学院」という単語が出てきますが、分科大学と同等です。分科大学は今の学部で、法学部のことを帝国大学法科大学と呼んだのです。したがって、この頃の大学院は学部相当で、学問分野が固まっていない学問領域を想定していたのではないでしょうか。
(余談ですが、東大と京大の学長を総長と呼ぶのは、それぞれに分科大学があって学長がいたから、それを束ねる役を総長と呼んだようです。)

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No.1ベストアンサー10pt

  • 回答者:tatsumi01
  • 回答日時:2006/04/15 10:35

専門部は大学付設の専門学校だと思います。今で言えば高校または短大・専門学校相当です。
大学予科(北大など)は、旧制高校と同格で、現在の大学教養部(最近はほとんどなくなりましたが)です。
旧制帝大への入学資格は、旧制高校卒、旧制高専卒、大学予科(北大、台北帝大、旅順工大)で、専門部は認められなかったと思いますが、私立大学の場合はよく判りません。早稲田大学でいうと、附属高等学院が旧制高校相当で、専門部は別扱いではなかったでしょうか。
戦後すぐの東京六大学野球で、ある大学のエースが専門部生だったので問題になった例があったと思います。大学がすぐに本科に転科させて解決を図りました。

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