・自分で調べたところ、幕府は大名に遊郭への入りびたりを禁止していたと書かれていたのですが、出来たばかりの頃もそうだったのでしょうか。出来ればそういった制度が出来た年代も教えて頂きたいです。
・太夫さんの元へ行く場合、「馴染み」になってようやく床入り出来たと書いてありましたが、それはつまり太夫さんを抱けたということなのでしょうか。
・一度目に太夫さんと会う場合、太夫さんは挨拶だけしてさっさと帰ってしまう(無視してしまう)ということですが、その挨拶というのは太夫さんの私室でやっていたのでしょうか。
またその時、太夫さんはずっと同じ部屋に居て傍観していたんでしょうか。
・上の続きですが、挨拶のあとお客さんは舞妓さんを呼んで金持ち振りを見せつけなければならなかったとありますが、それは太夫さんの私室での事だったのでしょうか。
長々と申し分けないのですが、どれか一つずつでも構いませんので、教えてください。
詳しい事が載っている(島原、遊郭、太夫さん関係なら何でも構いません)サイトなどが御座いましたら、そちらの方も教えてください。
最後になりましたが、上記の質問で間違っていると思われる点が御座いましたら、そちらの方もご指摘ください。
出来るだけ早い解答をお待ちしております。
A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
こんにちは。
もしかして、吉原と嶋原をお間違いではありませんか。(1)一番最初のご質問は、おそらく吉原遊郭にたいして出たおふれではないでしょうか・・。
(2)こちらも吉原の花魁 についてのお話かと。吉原は
初回→裏を返す→三回目の登楼でようやく花魁を抱けたそうですから。
太夫は売春を主としない芸妓の最高位の女性です。
(3)これは、太夫のいる置屋(確かに太夫格の女性なら置屋に
自分の個室をもつこともできたでしょうが・・)ではなく、揚屋
という今の料亭のご先祖みたいなところで行われました。
吉原の花魁なら、引手茶屋で行われ、それぞれ「かしの式」「吸い付け煙草の儀」と一種の儀式化した「お見合い事」でお客に顔見せしました。「かしの式」の場合、客がその妓を気に入らなければ、他の妓を呼んで同様のことをさせましたし、太夫が気に入らなければ儀式が終わった後座敷を離れたきり出てこないそうです。「吸い付け煙草の儀」だと
花魁が気に入ったお客に煙管に入った煙草を差し出し、それを客が受け取ったら、お互いが気に入った ということになるそうです。
(4)も同様ですが、吉原では芸者半玉、嶋原では芸妓舞妓を揚屋または引手茶屋に太夫(花魁)とともに呼ぶことができました。
必ず呼ばなくてはならなかったかどうかはわかりませんが、客の格を
見せるために必要だったのかもしれません。今でも嶋原では、太夫と
一緒に芸妓舞妓を呼ぶことができます。ただし、今は嶋原以外の花街から出張していただくそうです。
No.4
- 回答日時:
補足です。
島原では太夫は十分な教養と学習の末に就任する地位です。
この為10万石相当の格式を与えられて居るくらいです。
島原は会員制社交場のような役柄で、一時期のパリのサロンのように、ここに出入りするのはステータスとみなされており、この習慣は現在でも「いちげんさん、お断り」として残っています。
置屋から揚げ屋に向かう時の太夫の道中は正装して三枚歯の高足駄で内八方という歩き方で進みます。
吉原ではコピーといいましたが、ここでも外八方とアレンジして真似ています。
御回答有難う御座います。
しかし、10万石とは驚きました。
まあ朝廷に謁見を許されていたという点を考えれば妥当なのかもしれませんね;
「いちげんさんお断り」とはありますが、是非一生に一度くらいは行ってみたいです。
それでは、有難う御座いました。
No.3
- 回答日時:
質問が多岐に渡っていますので1つずつ解決して行きましょう。
幕府は大名に遊郭への入りびたりを禁止
○[元禄6(1693)]
11月、幕府、大名、旗本の吉原通いを禁止。
その後も何回か禁止令が出ていたようです。
嶋原は特に禁止令は出ていません。
何故なら江戸には参勤交代等で大名が多くいたからです。
「馴染み」になってようやく床入り
○貴方は根本的な間違いがあります。
芸は売っても体は売らないのが太夫や芸子です。
今で言う銀座のホステスというようなところでしょう。
しかし男女のなかですので・・・
太夫さんの私室?
○違います。
太夫は普段、置屋に寝起きし待機しています。
お客は揚げ屋(今で言う料亭、泊まりも可)に行き部屋を借ります。
馴染みの太夫がいれば揚げ屋から何時何時どの太夫に来て貰いたいと予約を入れて貰います。
で、揚げ屋さんで遊びます。しかし夜遅くまでと言う訳には行きません。午後6時迄です。
ですから昼間仕事を持っている人は遊べませんでした。
もっとも遊び代は高く一般庶民は遊べません。
大店で隠居した人や大名、旗本位ですかね!
現在嶋原に残っている置屋は「輪違屋」揚げ屋は「角屋」産ぐらいしか知りません。
挨拶のあとお客さんは舞妓さんを呼んで金持ち振りを見せつけなければならなかった
○来られるお客の層がお大臣ばかりなので、見せつけるのでなく必然的にお金を落としていくのです。
「嶋原(島原ではありません)、京都、置屋」等で検索してみて下さい。
ちなみに輪違屋の司太夫さんの公式サイトを貼っておきました
参考URL:http://kyoto.cool.ne.jp/tukasa21/
お返事有難う御座います。
詳しく書いて頂いて、とても解かりやすかったです。
それにしても、店に居られるのが午後6時までというのは驚きました。
てっきり深夜業だと思っていたもので。
それでは今から嶋原で検索をかけてみようと思います。
有難う御座いました。
No.2
- 回答日時:
出来たばかりの頃の島原は大名は出入り出来なかったとおもいます。
幕府は朝廷と大名の接近を嫌いましたから。
島原の太夫というのは茶道、歌道、遊芸に優れた地位で格式が高かつたものです。
江戸の吉原は島原のコピーで、しきたりもかなり違います。
どうも質問者は両者を混同されているようです。
太夫の挨拶というのは島原では「かしの式」といって客間に出向いて行います。
そがすむと引き上げる決まりです。
昔も同様であったかは知りませんが、島原で現在も復元して見る事ができます。
島原ができた頃は公家やたしなみのある資産家などが遊興したといいますが、教養のある静かなものだったといわれます。
島原では舞妓などはよべません。
御返答有難う御座います。
たしかに、無知なために少々ごっちゃになってしまっているかもしれません。
分かり難い質問で申し訳ありませんでした。
「かしの式」というのは始めて聞きました。
そういう式があったんですね。
とてもためになりました。有難う御座います。
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