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ある虫が主役の漫画を見て思いました。それには虫や動物も生き物なのになぜ愛の対象にならない生き物がいるのかを問う内容でした。
人によって虫でも思いやりを持つ人もいると思いますが、やはり小さいもの、人にとって害になるもの、沢山いるものなどはどうしてもすくないと思います。僕もそうです。人と他の動物、形と能力が違うだけで一度きりの命がある同じ生き物なのに、かわいそうです。そう思っていても自分が生きていかなければいけない。切ない感じがします。生き物への思いやりを持つ何か境界というか基準のようなものはあるのでしょうか。哲学の世界では、こういうことを学問としてとらえているのでしょうか。詳しい方がおられましたら教えてください。

A 回答 (4件)

境界はわかりませんが、その思い入れは大事なのですよ。


その無関係に愛でる心こそ、現実の様々な人間を愛する力になります。
そして愛とは、他人のためだけでなく、自分のためにも大事なものです。大切なことだと思いますよ。
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好きとか嫌いとか、無害、有害を超越したところでの思いやりは大事だと思います。

生き物はすべて生態系というシステムの中に組み込まれています。どんな生き物も何か役割を持っていますから・・・
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何か境界があるとしたらそれは人間の『エゴ』でしょうか。



ある特定の動物や虫や草を愛するのも人間のエゴ。
ある特定の生物を嫌うのも人間のエゴ。
ある特定の生物を可愛そうと思うのも人間のエゴ。

それは、自分自身を特別視し感傷に浸る、単なる自己耽溺なのではないのだろうか。

私は、「何も考えない」という状態が公平なのではないかと思う。

これは虫などに限らず人間についても言える。
人種差別、いじめ、競争社会、宗教対立、………、、
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生きたいと願うものを生かす


ということでは。
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