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司馬遼太郎読んで人生の糧となったと平素から聞きますが
史実をもとにしたフィクションであることからも、
水戸黄門や鬼平犯科帳に凝るのと同じですか??

いや、それとも・・・???

やはり同じ幕末を扱うものでも司馬作品でなければならないのですか??


単なる暇つぶしの本とは違いますか?
立派な歴史書ですか?

A 回答 (7件)

まず、読んだことがない人がコメントしているのには驚きました。


本当の歴史の史実について学ぶのであれば、司馬さんの作品は怪しい部分はかなりあると思います。しかし、「そんな見方があるのか」といった歴史に対する見方(歴史観)のおもしろさ、特に「坂の上の雲」など日本をテーマとして扱っている作品群の日本人の誇りを持たせる描き方など歴史に関心を持たせます。例えば教科書の歴史は「日本の歴史=アジア侵略」といった日本人=悪者といった一方的で、偏向した部分があり、反省面ばかりを描いています。一方、司馬作品は日本の歴史のマイナス面も描くが、プラス面も描いている。やはり、読後の「すがすがしさ」は日本人として素晴らしいものがあると思っています。
ぜひ読んでみてはどうでしょうか。
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私は司馬作品に肯定的です。



戦後間もない時期の日本の歴史小説は、子供に読んで聞かせる伝記か、単なる読み物でしかなかった。そこに、司馬さんは、以下のような特徴を備えた作品を作ることができたように思えます。

・特に初期においては、戦後の日本国民に「日本も捨てたものではない」という元気付ける作品を作る意図があった
・そうした意図を持った作品が大人にも支持されるために、小説にするには十分すぎるほどの事実考証と調査を重ねた
・本人なりの歴史解釈も加えた
・その結果、歴史に忠実とは断言できないが、歴史の大きな流れを学ぶ上で非常に参考になるうえに、小説としても面白い作品が生まれた

そういう意味では、質問にある「歴史書」には間違いなくなりませんが、歴史に興味があるのであれば、読んで損はしない作品だと思います。
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私は司馬作品はあまり好きではありません。


小説を書きたいのか史実を話したいのか、自分の旅行記が書きたいのかわからない文章が続くのでイライラします。
司馬作品を「歴史本」として崇拝してる人をよく見ますが、私には理解できません。

ですが文章はとても読みやすいし面白いので、No3さんがおっしゃるように歴史に興味をひく「きっかけ」になるとは思います。
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私は司馬氏の本は実は読んだことがないのですが・・・面白いとはよく聞きますね。



他の方もいっているように歴史書と歴史小説は違います。
歴史書というのは史実(本当かどうかはさておいて、という但し書きが必要ですが)を書き連ねたものです。つまり読んでいて面白いかどうかは別問題です。
一方歴史小説は、読んでいて面白いことを前提としています。つまり優先順位が違うのです。

有名な例としては・・・正史三国志と三国志演義ですね。前者が歴史書で後者が歴史小説と考えればわかりやすいです。たとえば孫権が行った十万本の矢の話は演義では諸葛亮の手柄に挿げ替えられているといった、話を面白くする工夫(脚色)が施されています。
これらが歴史小説を歴史小説たらしめている原動力です。
吾妻鏡と平家物語、信長公記と信長記という具合に、歴史書と歴史小説は対のようなものでもあります。一般ウケするのはもちろん後者。そのための本ですから。

ただ、内容の深い歴史小説をつくるのは、徹底的な考証(ただし史実としてはあいまいな点も決めてしまうので、フィクションを織り交ぜた考証となる嫌いはある)と、鋭い洞察力です。その点では、嘘か真かを他の資料との補填に頼る歴史書にくらべて、はるかに真実味があるのは事実かと思います
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司馬遼太郎の本に限らず、歴史書と歴史小説は違うものです。


歴史書は、新しい支配組織が確立したときに、自らの正当性を証明するため、編纂される例が多いです。
歴史小説は、一般受けをする箇所を誇張し、或いは創造し、逆に都合の悪い史実は省いて面白おかしく書いてあります。
水滸伝、三国志等々、原典に忠実なものは、抗日資料館の展示物のような表現が多々あります。
司馬遼太郎の本は、紀行本は資料価値が高いと思いますが、小説のほうは、歴史に対する興味を呼び起こす「きっかけ」と思ったほうが良いでしょう。
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なんか大きな間違いをおかしてませんか?



○○の作品が最高だとか、△△の作品は人生の糧となる
なんていう人は、そもそも変わり者ですよ・・。

平素からそんなことを聞かされているなんて・・環境悪いね。

文学は結局は主観的評価になるので
要するに好くか嫌うか、十人十色です。

××を扱うものは□□の作品でなければならない
なんて・・・本気で思ってるなら頭がおかしいレベルの
強い思い込みです。

小説が”立派な歴史書”であるはずがありません。
なんたって小説なんですから。小説ですよ。しょうせつ。
フィクションでない小説ってのは、糖分のない砂糖って言っているのと同じ・・。


それから暇つぶし本 = 悪本・つまらない本というのは
ナンセンスでしょう。
読書ってのは余暇に楽しむものなんですから
明らかに暇をつぶせる本は良い本です。

拝み倒して読ませてもらわなければならいないような
たいそう偉そうな本があるとしたら、逆に即焼却もんですよ。
主客転倒もいいとこですからね。


司馬遼太郎の本、もちろん面白いですよ。
池波正太郎の鬼平シリーズも秀逸。
ともに”立派な暇つぶし本”です。
”単なる歴史書”だったらそもそも読まないでしょ誰も。
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司馬遼太郎の本は教科書でもなければ歴史書でもありません。

勿論万人の必読書でもありません。司馬の著作は紀行物と小説に分かれます。

司馬の作品が参考になるといわれるのは綿密な取材と資料に基づいて書かれた作品が多く、歴史物では彼独特の歴史観が参考になります。また挿話も数多く使われているので、好きな人には魅力いっぱい、嫌いな人には、冗長な文章、眉唾な話、決め付けが多いと感じるでしょうね。

優れた作家の目を通した歴史観は参考になりますよ。
勿論ある程度人生を経験した人ほど面白味が分かるでしょう。
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