自殺未遂
西郷隆盛と一休さんが自殺未遂をした理由を教えて下さい。
詳しい方よろしくお願いします。
回答(5件)
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No.5ベストアンサー10pt
一休さんは二度自殺未遂をしています。
修行中の頃、行き詰まりから、石山寺の観世音菩薩に祈誓して、己の運試しに琵琶湖に入水自殺をはかったが、母のお付きの人に止められ、思い留まったそうです。
二度目は五十近い頃、大徳寺で僧一人自殺し、雲水酢数人が入牢する事件あり、乱脈を憂いて譲羽山に入り、絶食自殺をはかったが、天皇の「師が死ぬと、仏法も王法もともに滅ぶであろう。朕を見捨てるな、国を見捨てるな。」の勅令を受け、思い留まったそうです。
この回答へのお礼
思い留まったという事でしたら、死ぬ寸前までいったという事はないみたいですね。
有難う御座いました。
2人は、こう言う世界で言う、
「出来ていた」らしいと聞きました。
本当にこう、聞きました。
しかも2人で2回もです。
武士は普通、
1人で一気に決めちゃいます。
この回答へのお礼
本当ですかぁ?
とりあえず、有難う御座います。
純粋で、思いつめる性格だったということでしょう。
西南戦争では、決起を思い止まるように言っていましたが、決起してしまってからは、死に場所を探していたように感じます。
この回答へのお礼
有難う御座いました。
西郷隆盛は、もうずいぶん前ですが、大河ドラマを見ていたので覚えています。月照という僧侶と入水自殺を図ったのです。もっとも未遂ですから、月照だけが死んで西郷は生き残ってしまいました。
幕末、井伊直弼が大老になって安政の大獄という勤皇運動に加わった学者や知識人を捕らえて弾圧を加えた・・・という有名な事件がありましたが、月照はこの安政の大獄で、京都にいた月照は西郷の手引きで京都から薩摩へ脱出します。
ところが、薩摩では改革派の斉彬が急死したあと、その父親で、斉彬の改革を嫌っていた前の藩主斉興が藩政の実権を握っていて、幕府の顔色をうかがっていた斉興は月照に日向口から薩摩を出て行くように言い渡します。
仕方なく西郷は日向口というところから船で月照を連れ出すのですが日向口というのが、近郷の郷士たちが集まってきては、関を出ようとするものをなぶり殺しにするような場所で、日向口から出て行く=死を意味することだったようで、それを察した西郷は薩摩では受け入れてもらえなかったせめてもの償いとして、月照といっしょに入水をして死のうと思ったのです。
だいたいこんな感じです。
この回答への補足
有難う御座います。
西郷隆盛は2回自殺未遂をしたみたいなんですけど、もう1回のほうはどんな感じなんでしょうか。
よろしくお願いします。
西郷隆盛と入水自殺を図ったのは僧月照ですね。
書き間違いでしょうか、それとも一休宗純も自殺未遂していたのでしょうか。
この回答へのお礼
有難う御座います。
一休宗純も自殺未遂をしていたのです。 (^^;)
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