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小学2年生男の子の母親です。就学時検診の時教育相談に行くよう手紙が来てビックリしました。早速、市の教育相談窓口に行き知能テスト?の様なものを受けたところ1.5~2歳位知能が遅れてると言われました。日常生活ではのんびりしてる子ぐらいにしか思ってなかったのでとてもショックでした。ですが小学校に入学し勉強が始まるとやはり一つの事を理解するのにとても時間がかかります。(特に数字に関すること)そのときに何度も同じ事を覚えられない子供を感情的に怒ってしまいます。怒ってもお互いマイナスにしかならないことはわかっていますが、まだ子供をまるごと受け止められていないのでしょう。どのように気持ちを持てば子供を叱らずに勉強を教えられるでしょうか?将来の事ばかり考えてしまうとますます怒ってしまいます。

A 回答 (7件)

レス、ありがとうございます。



http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4422100 …

「道は開ける」についての、アマゾンのページです。

本当にいい本ですよ。上のページには、今までに読んだ方のレビューが載っています。
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こんにちは、No.5です。



>子供のために、子供のためにと思ってやっていることがどうなのか・・・

大変ですね。ただ、やはり、事実を確認していくこともやらないと、いろいろな意味で、努力を生かすことが出来ないように感じますが。

>市の教育相談窓口に行き知能テスト?の様なものを受けたところ1.5~2歳位知能が遅れてると言われました。

実を言うと、自分は以前中学の教員をやった経験があります。そのとき、生徒が知能テストを受け、その結果を見たのですが、学校の成績と関係がある人も居れば、そうでない人もけっこう居たのですね。知能テストの結果が悪くても学校の成績がいい生徒も居ました。

それ以降、時々、知能の実態について考えるようになったのですが、結局、次のようなものではないかと思うようになりました。

1.勉強が出来ない生徒のある程度のケースは、まるで、チェーンが切れた自転車のようで、その生徒自身がいくらがんばっても、そして、周りがいくらがんばっても、学力が付かない。それは、なぜかと言ったら、そういう生徒は、いくら机に向かっていても、実際は、他のことに注意力が向いているからだ。多くの場合、安心感というか、落ち着いて対象を見る心の態度みたいなものが出来ないようだ。その理由としては、相手の態度や、心の動きみたいなものに関心が行っている場合や、今その時のことではなくて、何か過去のことに囚われている場合があるようだ。

2.結局、学力と言うのは、体力と同じで、一定の訓練のようなものをつめば、いくらでも高めることが出来る。「頭の筋肉を鍛える」と言うイメージで、問題は、どれだけ、すんなりその訓練と言うか練習に取り組めるかだ。簡単なものから順番に、単調にならず、興味のわく、面白い形で、そういう訓練が積めるかどうかが重要かもしれない。ただ、世の中で生きていくと言うことは、常に新しい問題に突き当たるわけで、すでに回答のあるドリルをやっているだけでは、本当の意味の知恵のようなものは、なかなか身につきにくいかも知れない。やはり、いろいろな人とさまざまな活動をし、自然に触れること、そして、色々な本を読むことが、そういう力をつけるためには、一番良いのかもしれない。

3.結局、心のエネルギーと言うか、頭の出来と言うか、そういうものは、誰でもそんなに異なるわけではないようだ。問題の多くは、エネルギーが分散していたり、それがぶつかり合ってしまい、統一が出来ないことだ。究極的には、昔の横丁の生活に在ったような、互いに助けあう生活が、つまり、自分のエゴだけが優先するのではなく、他者を認めていくことが、そういう心のエネルギーの統一には必要だと思う。ただ、それが、いろいろな意味で難しくなっているのが、人間社会なのかもしれない。

突然ですが、ディール・カーネギーの「道は開ける」と言う本は、良いですよ。特にどうっと言ったことのない、はっきり言えば、方々でよく言われる処世の知恵の寄せ集めなのですが、それでも、ああ、もっとリラックスして、視界を広く取ることが出来るんだと、気づかせてくれます。
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この回答へのお礼

精神論的になってきて段々深くなってきましたね。主人(父親)知能テストを重視しておらずと言うか否定的で子供のこれからの可能性のほうを信じています。
最終的には子供が自立できるのかが心配なのかもしれません。本も参考にさせていただきます。

お礼日時:2006/06/05 16:48

No.3です。



>お母様は自分のお子さんに自信があったのでしょうね。

いいえ、多分、違うと思います。自分の家庭は、母子家庭でした。父が、自分が一歳の時病死し、それ以来、母が、家政婦とかをやって、自分と姉を育ててくれたのです。そのため、自信と言うよりも必死だったのでしょうね。
母が以前時々話してくれた話に、「税務署で、もっと収入があるでしょう。」と言われたが、「これだけで暮らしているんだ。」と答えたら、係官が黙った、と言うものがあります。
母が家に帰ってきて、そのまま、畳の上に横になり、大いびきで寝ていたのを、よく覚えています。

ともかく、必死だったのですね。

幸運だったのは、僕自身が、実際的な障害を持っていたわけではなく、単なる発育遅れだったことなのでしょう。実際に障害を持っていた場合は、母の態度は、それを改善するために役立つものでなかったのは確かなことですから。

今でも時々思い出すのが、自分の小学校低学年での授業風景です。授業と言っても、小テストの光景で、漢字(ひょっとしたら、カタカナかもしれません。ひらがなをカタカナに直すもの)か何かの書き取りテストで、合格点を取ると、校庭で自由に遊んでよく、合格点が取れるまで、ずっと、教室でテストを受け続けると言うものです。
自分は、合格点が取れず、窓の外を見ると、みんなが手つなぎ鬼をして楽しく遊んでい、自分と確かホンの数人だけが教室に残っている。そして、自分は、何かヒントがないかと、教室に置いてあるダンボールとか本とか掲示物などを色々眺めている、と言う記憶です。算数の掛け算なども、掛け算の九九を覚えていず、足し算を繰り返しやっていた記憶がありますね。

>現実的には小学校では勉強がわからないと
つまらないと思うのです。

「つまらない」と感じることを心配されているのなら、多分、心配のしすぎですよ。
幼稚園ぐらいから小学校受験とか中学受験とかで色々騒ぐ親御さんがいますが、小学校から名門学校、一貫校へ入った人たちの多くは、途中で学力的には伸び悩みになるのです。多分、中学で入った人や、高校で偏差値の高い学校へ入った人が、ある程度の学力の伸びを維持して行く傾向が強いはずです。

勉強と言うよりも、学力と言うことを考えると、その基礎は、さまざまな体験と他者への感受性と言うものではないでしょうか。教科書から得られる知識と実際の体験とはまったく異なることが多くあります。「聞くとやるとは大違い」というやつです。
小さいときは、なるべくさまざまな体験をすること、戸外で遊び、仲間との交流や、自然体験をすること、または、自分ひとり孤独な時間を過ごし、いろいろなことについて思い悩むこと、それが大切だと思うのです。

教科書の理解が早いと言うのは、往々にして、底の浅い知識だと思います。
知識と言う山があり、それは、無意識と言う湖の上に立っている。無意識の湖が浅く狭いものであれば、それはすぐに埋め立てられ、知識と言う山が顔を出す。しかし、その湖が深く、広いものであれば、なかなか知識と言う山が水面に顔を出すことはない。しかし、深く広く裾野を広げた山が、やがて出来上がり、それは、はるかに高い山に成長する可能性を秘めている。

よく言われることですが、明日のことを心配して今をくよくよ生きるより、今あることに感謝をして、心豊かに生きるほうが、気持ちが良いですよ。
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この回答へのお礼

私が少しほっと出来る回答でした。
ただ息子がどのように感じているか、考えているかがよくわかりません。子供のために、子供のためにと思ってやっていることがどうなのか・・・

お礼日時:2006/06/04 00:56

まずお願いがあります。



軽度のLDやダウン症の可能性もありますので、児童相談所は医師や専門家もいて、教育相談もしていますから予約をして診断を受けてください。費用はかかりません。
病気の場合もあるので、診断の結果を見てから対応を考えなければなりません。

重度の障がいを持った子供も普通学級で学ばせようとする考えと、養護学校を勧める考え方がありますが、普通の学校には。専門的な知識を持った教員はあまりいないことは知っておいてください。

情緒、知的、身体障がい等がありますが、軽度の障がいを持つ児童・生徒は40人クラスの中に2~4人いると言われています。
もしあなたのお子さんが軽度の発達遅延で、重大な問題が無いと言う診断ならば、普通学級でゆっくり様子を見ていれば良いと思います。あまりムキになって怒ってみても効果は上がりません。
遅れが気になる様なら学校、教育委員会と相談して支援をお願いしてみてください。

なお、特別支援教育士という資格をもった先生がいますが、この場合の特別支援教育とはLD,ADHD、自閉、アスペルガーなどの障がいをもった児童生徒の指導を意味しています。

    
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この回答へのお礼

私が今しなければならない事を具体的に書いていただきありがとうございます。
日常生活であまり困ることがないので(子供の勉強以外)すぐに何かをしなければとなかなか思えません。しかしこれから先の事を考えると早めにどこかで診断を受けた方が良いと言う事ですね。

お礼日時:2006/05/31 16:28

こんにちは、自分は、小学校時代、担任の先生から「障害児学級へ行ったらどうだ。

」と言われたそうです。母がそう言っていました。

ただ、母がそれを拒否した結果、小学校高学年では、多少真ん中から下ぐらいの成績になりました。特に、母は面倒を見てはくれませんでした。基本的には、ほったらかしで、自分は学校から帰ると、近所の子供と空き地で缶けりなどをして遊んでばかりいたと思います。

高校時代にけっこうがんばって勉強し、いわゆる一流と言われる大学に合格しましたよ。

現実的に、いろいろな障害のあるお子様も居られると思いますが、単に勉強が遅れているだけの場合もあるように思います。自分は、3歳ぐらいまでほとんど話さない子供だったそうです。3月生まれと言うこともあり、勉強は小学4年生ぐらいまでは、本当に下のほうでしたね。

具体的に、何らかの障害がないのであれば、もっと長い目で見られたほうがいいと感じます。

思うに、勉強だけが人生ではありません。人や動植物の世話をすることがきちんとできる人は、非常に信頼されるでしょう。まだ、小学校の低学年なのですから、自然に、楽しいことを見つけてあげて、なるべく戸外で活動するように気をつけるぐらいで良いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。

本当に勉強だけが人生ではないと思うのですが
現実的には小学校では勉強がわからないと
つまらないと思うのです。今はまだ大丈夫かもしれませんが本当に授業の進みが速くあっと言う間に解らなくなってしまうでしょう。NO3のお母様は自分のお子さんに自信があったのでしょうね。

お礼日時:2006/05/29 17:19

ご家族は、どう考えておられるのでしょうか?



ご質問者様だけが 悩まれているのでしょうか?

教育関連の行政だけでなく、医療機関などには
行かれないのでしょうか??
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知的障碍を持つ子どもの母親です。



遅れのある場合、教え方に工夫がいります。
子どもにとってどういうふうな方法が一番
理解しやすいか、というのを試行錯誤で
考えていかなくてはなりません。
私の子どもは耳よりも目からの情報のほうが
理解しやすいと専門家の方から言われたので、
ちょっと複雑だったり、習慣化されたものを
修正する場合には絵や写真で正しいほうへ
導くように指導してきました。
具体的にはお子さんはどのようなところに
遅れがあるのでしょうか。専門知識のある方に
しっかり診断してもらうのが解決に第一歩に
なると思います。

現在、特殊教育が特別支援教育に変わり、
いろんな体制が整いつつあります。
お子さんの通う学校に特別支援学級
(養護学級、もしくは特殊学級)と
呼ばれるものはありますか? もしあるのなら
そちらに部分的に通級してみる、という方法も
あります。
算数、数字に関しては「数の概念」の理解が
必須です。うまく言えませんが「1という数字が
いち、と読めて、実数として1個ある」というのが
理解できないと次に進めません。
「発達に遅れのある子の算数・数学」
  藤原鴻一郎 監修 学研 2625円
参考になると思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
質問してしまってからカテゴリーがちょと違う事に
気が付きました・・・
数の概念、その通りなんです。数字の羅列は
出来るのですが+1が一個増えると言うのがなかなか解らない様です。すると私は何で+1が解らないの~!となってしまいます。私が勉強して変わらなくてはいけないのですね。とは、わかりますが。。。

お礼日時:2006/05/18 10:52

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