どうしてルイ14世はパリを好まなかったの?
どうしてルイ14世はパリを好まなかったのですか?ウィキペディアは結構です。よろしく願います。
回答(6件)
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彼が幼少の時、パリで高等法院の貴族たちがフロンドの乱という大反乱を起こしています。
彼は、その中で命からがらパリを脱出しています。
その時の経験がトラウマになっていたのです。
それで成人後は、パリ郊外のヴェルサイユに大宮殿を造ったわけです。
No.4ベストアンサー20pt
まず第一に手狭になったというのがあります。
当時のパリは中世城郭都市、城壁に囲まれた
狭い地域で、現在のパリの5分の1程度の大きさしかありませんでした。
現在、フォーブルという郊外区がパリにはありますが
当時そこはすべて市外(城外)だったのです。
第二には上下水道の不備です。
ローマ皇帝ネロがローマ市を放火したといわれたのも
彼が遷都を考えていたからであって、
8世紀以降、ローマが帝国の都としての繁栄を
失ったのにも、都市としての拡張性の限界に達したからです。
特に上下水道の整備は、都市として最初にやるべきことで
後からはなかなかやりにくい。
むしろそれよりは第二の場所に町をつくったほうが簡単でした。
それでベルサイユでは、まず水の問題が最初に検討され
もともと湿地だったのですが
遠い水源地から水を運んでくる大きな設備がつくられています。
パリでは狭くて自由に庭園を作ることも不可能でしたが
ベルサイユでは広く干拓して十分なスペースを確保して
ルイ14世は自らの国家のイメージとなるような
理想の宮殿をつくったわけです。
だからパリを好まなかったというよりも
パリが人口過密で拡張の限界に達していたことと、
自分で思い通りのものを作りたかったからというのが
本当のところでしょう。
ま、実際、パリはそうとうに汚く、
虐殺の地としての記憶を新しかったので
げんもわるかったということもあると思いますが。
この回答への補足
「ローマ皇帝ネロがローマ市を放火したといわれたのも
彼が遷都を考えていたからであって、
8世紀以降、ローマが帝国の都としての繁栄を
失ったのにも、都市としての拡張性の限界に達したからです。」
はじめて聞きました。情報源をお教えくだされば幸いです。
歴史の作家さんか歴史の先生のかたでしょうか、すごく詳しいです。
No.3ベストアンサー10pt
1648年から53年にかけてパリ民衆が起こしたフロンドの乱は、時の政府に対する不満からおこりました。反乱が勃発した当時、まだ10歳だった王子ルイは、パリから非難せざるを得ず、大変な恐怖を体験しました。
それ以来、ルイは猥雑なパリの街(今のように整然とした街になるのは、ナポレオン3世時代)と野卑なパリ市民を毛嫌いし、それが切っ掛けとなって、ヴェルサイユ宮殿の造営を命じたということです。
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