アナタさまの、お好みの境地か憧れの境地の詩歌を、お教えください
因みに、わたくしは、境地という点では:
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 子規
何もなく酢牛蒡に来し日のひかり 下村槐太
他、
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月さして忘れ扇の畳かな 巨陶
先生曰く。
こんな句のできる境地が羨ましい。
月さしてもいいが、畳かなの下五字が余裕があってよい。(昭8.10.7)
〔赤星水竹居 『虚子俳話録』 講談社学術文庫〕
* 巨陶=岩崎小弥太(三菱財閥4代目)。 岩崎弥太郎の弟・弥乃助の長男。
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などの作品が好きです。
私の知らない境地の、簡単には検索できない自由詩・俳句・短歌・川柳・自由律俳句etc.の作品と出合いたいのです。お手をとります。
回答(6件)
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原詩をお読みになる方に翻訳詩とは。知らぬこととはいえ、失礼しました。
質問者さんはきっと、日本の短詩形への回答を望まれているのだと思いますが、
それは当方がことのほか目が利きません。自由詩で今一度だけ回答差し上げたいと思います。
難解と隣りあわせな戦後詩の中で、田村隆一の『幻を見る人』は比較的よく知られていそうです。
空から小鳥が堕ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
ではじまる、四編中の最初の一遍。これ、文章(散文)としてみるとロジックが少し変です。「射殺された小鳥のために」「野がある」わけではないですから。ところがこのあときわめて断定的に、
空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか堕ちてこない
と来ます。これはかなり変。空には小鳥しかいないのか。小鳥は必ず空から堕ちてくるのか。
この疑問は最終連へなだれ込んで解決しないばかりか、逆に飛躍せしめられてしまいます。すなわち、
野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない
これは言葉の呪縛でした。言葉はレトリックとともにある。レトリックが適切に用いられれば、言葉が作り出す世界はまったく様相を一変してしまうのだと。
もっとも、技術だけが独り歩きをはじめると内容が空転するばかりでなく、言葉はいじけて腐食し、ポエジーは絶息してしまいます。その危険性を常に孕んでいると覚悟しながら。
また、澁澤孝輔の『弾道学』という詩はこんなふうに始まります。
叫ぶことは易しい叫びに
すべての日と夜とを載せることは難しい
と左手の反古は語るけれども
それはアルミ製の筒花のような嘘だ
ほんとうに難しいのは眼に
記憶と岸辺とをもたらすこと
とぎれたわるい眠り
凍原から滑り落ちるわるい笑い
わるい波わるい泡
云々と、例えば初め「と」音を主調音になかなか饒舌に続いて行きますが、この激しい分散和音のうねりの中から突如、次の一行がドミナントされます。
けれどもいつわたしは弾道学を学ぶのか
"弾道学"とは何か。弾道の研究。そのための地形や気象や気層の研究。初速の考察や仰角の試行錯誤。けれどもなんといっても天空を突き抜けてゆく砲弾の軌跡。そのイメージ。
言葉は組合わせかたによって、またその位置によってある一語が突然光りだすのだということを知りました。
この回答へのお礼
ありがとうございました。勉強になりました。
特に日本の短詩形が好きというのではなく、マラルメが意味よりも大切にした韻、などの関係で日本の詩には然程の興味がもてないだけです。それで、このFAQに質問して、端緒としたいと考えました。
田村隆一さんは散文が好きで何冊か所有しております。彼の、
美しい言葉などというものはない。言葉が美しくなるのだ。また醜くもなる。どんな言葉をつかっても、その言葉が光をはなつとき、ぼくらは《詩》に遭遇する。
それと、
「一行のために詩を書いている」
「十行のうち一行に詩があれば、九行は詩に転化する」
といった言葉が好きです。
日本の詩で最も私が見たいのは知的障害者さんが書いた詩です。ヴェルレーヌが詩に知性は要らないと言っていたので......
No.5ベストアンサー10pt
回答差し上げることに随分のためらいをもってきました。
"境地"と詰め寄られるとたじたじとするほかありませんが、好みというか、自分も一度でいいからこんな詩が書けたらなあという憧れ、願望ということなら、あるいは何事か申し述べることができるかもしれません。
堀口大學の数ある名訳のなかでも比較的よく知られたソネットのひとつにポール・ヴァレリーの「失われた美酒」があります。(ソネットは4連14行からなる詩と、ひとまず思ってください)
ひと日われ海を旅して
(いずこの空の下なりけん、今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」に捧ぐる供物にと。
以上が第1連です。2連めは大変乱暴ですが割愛します。3、4連は次のようになります。
つかのまはばら色の煙たちしが
たちまちに常のごと透きとおり
清らかに海はのこりぬ……。
この酒を空しというや?……波は酔いたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!
詩人はいったい何を見たと言っているのでしょう。本来見ることができないものを、あたかも眼前に見えるかのように繰り広げてみせたその手腕にまず驚き、その視覚化されたものの深遠に気づかされ打ちのめされることになります。それにしても、詩全体はなんて無駄なく気品に満ちて美しくうたってあるでしょう。
すぐれた詩は、また、すぐれた状況詩であることがしばしばです。この詩も直接には第一次大戦の一大激戦地であったヴェルダン包囲戦の犠牲者たちへの鎮魂がこめられているようです。
多分これを踏まえて、典型的戦中派であった中井英夫はその反推理、反世界小説である「虚無への供物」の扉に、第二次大戦の犠牲者への鎮魂をこめて、この詩の一節を掲げました。
けれども、そういう重い背景はあるにしろ、この一編のソネットは、もっと自由に羽ばたきます。
たとえば薔薇色の酒は美のスピリットかもしれません。海や波はわれわれの精神、いや、ひょっとして絶対者のあるうごめきを象徴しているとも受け取れます。あるいは(私はそうは思わないのですが)リヴァイアサンのような海の怪物を連想する人もあるかもしれません。詩はそうした受け手のがわの恣意を拒もうとしていません。
世の中には沢山のよいと思われる詩が存在するようです。その中の一つと信じるものを私なりのたどたどしい言葉で試みてみました。何かご参考に供する点があればさいわいです。
この回答へのお礼
ありがとうございました。
日本の詩を知らないので質問しました。
パリで買ってきた詩集の中にヴァレリーの1冊も、ありました。そちらで拝見します。
そうした機会を得られ、感謝しております。
No.3の「ささい」です。
与謝野晶子の「五月の歌」は
むろん、現代仮名遣いではありません。
暗記していて、5月になると、ついいつも口づさむ調子で書いてしまいました。
失礼しました。
お詫びします。
この回答へのお礼
フォロー、ありがとうございました。
与謝野晶子の「五月の歌」です。詩です。
五月は良い月 花の月
芽の月 香の月 色の月
ポプラ マロニエ プラタナス
・・・ ・・・ ・・・・
やれきた五月 麦わらで
細い薄手のコップから
ざくろ水をば吸うような
甘いめまいを投げに来た
この回答へのお礼
ありがとうございました。
現代仮名遣いで書かれているのですね。
探してみます。
ん~、一応詩作家ではある私ですが、私が一番好きな詩は、風情も何もないですね。
偶然の出来事も運命も宿命も
意志の強い人の強固な心を、罠にかけたり、
阻止したり、操ったりすることはできない。
エラ・ウィーラー・ウィルコックスという方が書いた詩で、私の座右の詩となっています。
出典は、「人生を築く時間の刻み方(ハイラム・W. スミス/産能大学出版部)」です。
現在では、「TQ」という題名の本に改編され、この詩とは違う訳の詩が紹介されています。
この回答へのお礼
ありがとうございました。
このFAQでは回答者さん個人に関わる情報を開示できないことになっているのが残念ですね。
質問者の情報もそうですが……
どんな上の句にも合う下の句
「それにつけても金のほしさよ」
(細川幽斎という人が作ったらしいです)
不まじめでしたね。
ほんとは
「唱ふれば吾れも仏もなかりけり
なむあみだぶつ なむあみだぶつ」(一遍上人)
この回答へのお礼
ありがとうございました。
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