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人は歩いて移動する、という当たり前のことを探しています。

人が1日で「歩いて」移動できる距離はどれくらいでしょうか?
また、交通史上の馬の使用頻度はどの程度だったのでしょうか?

歴史上(時代区分はいつでもOK)の事例を教えてください。

参考文献をご紹介していただければ幸いです。

A 回答 (4件)

今野信雄著「江戸の旅」岩波新書 などに載っています。


東海道膝栗毛によると、江戸ー伊勢が12日で、一日十里(40キロ)が標準です。一日十時間あるくので、時速4キロいまでは、強行軍ですが、江戸時代の人は歩き慣れこれが標準です。
早歩き商売の飛脚、中でも早い継ぎ飛脚は江戸ー京都が60時間以内と定まっていました。  時速10キロの速さです。  高張り提灯を持ち、夜も走ります。   宿場、宿場で交代しますから、一人で走る訳ではありません。   1日で走る距離は先の歩く時の倍の80~100キロだったでしょう。
現代では道路が良く早足の人は、時速6キロで歩けますから、一日60キロという所でしょうか。
古くは「延喜式」(900年ころ)では途中の食料を背負っての旅ですが、武蔵ー都 50日かかったそうです。  一日12キロ異常な遅さですが、米だけで30キロ担いでは仕方ないでしょう。
もっとさかのぼり、石器時代の我々の祖先は、東京湾の岸辺から、干し貝を担いで、上越の山を越え長野県の山奥まで、石器の材料の黒曜石と、物々交換にゆきました。  考えられないような早足だったようです。
馬の利用ですが、江戸時代東海道では各宿場ごと、馬100頭、をおく事が規定されていました。  公式のものですが、公用に使われる事が多くなり、一般の馬子もいたことでしょう。  自分の馬で旅する武士も多かったでしょうから、街道行き来の馬は結構いたと思います。
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この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:02

●江戸時代、早馬、早飛脚が何日でついた、という記録があるでしょうから、大きな事件にからんだ本など読んでみてはいかがでしょう。


海路(船)を使ってしらせることもあったようです。
江戸時代、高山彦九郎が上州での一揆騒ぎを江戸で聞いて駆けつけるのに何日…といったことが記録にあるようです。
あとは、高野長英が脱獄後、素性を隠し徳島藩にいた時、隠れ翻訳した本があまりに見事で、徳島藩主に幕府がおたくんとこ優秀な学者るらしいじゃん、と探りを入れた報告が徳島に届くまで何日、とか
大塩平八郎が、幕府の汚職の証拠をつかみ、もみけさせないため、諌めるために起こした乱、大塩が江戸へ送った飛脚が伊豆山中で病に倒れるのですがそこまで何日とか、記録はたくさん探せると思います。
(マンガ風雲児たち、元ネタ。何日かわかったら追記します)
●外国でもよいですか
リビアだったかサハラ砂漠の道路上、車が故障したときのため、歩いて辿り着ける一定間隔ごとに小屋があり水がおいてあって非常時の救命所になってるそうです。何Kmごとかわかりませんが、砂漠での場合ですね。これも調べてみてはいかがですか。
●自分で調べる力を高めることはとても大事なことです。物事に興味を持つなら調べ方、努力の仕方も身につけましょう^^
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この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:02

歩きだと、時速4キロで8時間程度歩くので、大体30キロちょっとになりますね。



馬に関しては、国内と海外では大分違いますが、国内の場合、馬は交通手段としてあまり用いられていません。精々、通信手段として用いられた程度です。
その代わりに、駕籠は交通手段として用いられていたようで、*枚駕籠のように二人ではなく多人数で駕籠を担ぐ+予備人員の確保で、かなりの速度が出せたようです。忠臣蔵で浅野家断絶の際、切腹を知らせる使者が3日目の夜に赤穂城に到着します。切腹が夜6時頃(酉の刻)であったことから、丸三日ほどです。距離は約600キロ強といったところなので、一日200キロほどでしょうか。


時代も方法も国も違いますが、有名な小説に「80日間世界一周」という小説があります。ここから考えると、1900年頃に、最速で移動したとして一日に500キロ程度ですね。
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この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:01

昔の人が歩くと言えば、東海道ですかね


こちらのHPでは
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/DB/KIKAK …
「東海道全体の距離が約125里(500km)で通常10日から13日位の旅程」
とのこと
で、実際に歩いた人がいました
http://www21.ocn.ne.jp/~anzuway/toukai/table.htm
この方は16日かけていますね。
たぶん、現在は道路が整備された反面、信号があったり、歩行者が通れず迂回したりしなくてはならないなど、
色々な要因で、日数が違うのかな。

これらのことから、30Km後半が実質の目安みたいですね。

そうそう、東海道が10日から13日位の旅程でありながら、宿場が多いのは、
雨だったり、女性や子供連れだったり、荷物があったりと、
実際には、条件によって一日の行程が異なるからだそうです。

では
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この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:00

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