プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

よろしくお願いします。

戦前の大日本帝国により設立された大学は
なぜ、
帝国大学と官立大学に分かれるのでしょうか?

位置づけが違う、もしくは設立年の違いでしょうか?

また官立大学の中には戦後、学習院大学のように
私立になったものもありますが何故ですか?

格付けなどの位置づけの違いや、設立経緯の違い
などいろいろ教えてください

A 回答 (4件)

No.1の回答者です。


若干補足しますね。

まず、戦後の民主化で廃止になった学校として取り上げた官立大学は神主の養成学校である神宮皇學館大学(略称神宮皇大)です。短い間でしたが、旧制高校に相当する大学予科もありました。(通常の旧制高校から神主になろうと進学する学生は希でしょうから)

沿革は復活後の皇學館大學のHPにのっています。
>明治36年8月 勅令をもって神宮皇學館官制公布され、内務省所管の官立専門学校となる
昭和15年4月 勅令をもって神宮皇學館大學官制公布され、文部省所管の官立単科大学となる
昭和21年3月 GHQによる神道指令(昭和20年12月発令)により廃学

戦後、日本がサンフランシスコ講和会議で独立を回復したあと、吉田茂が肝いりになって規模の小さい私立大学として復活しました。

北大の件は言葉足らずだったかもしれませんが、質問者さんが混乱しないように簡単に説明すると、帝国大学は複数学部で構成されるべしという大前提があって、札幌農学校そのものの学問水準は大学の名前にに値したが、複数学部の壁があったため、単独では帝国大学になれなかったということです。

創立時の勅令によると、東北帝大は農科大学(札幌)と理科大学(仙台)で構成し、本部は仙台に置くけど理科大学が立ち上がるまで、当分は札幌の農科大学学長が総長を代行するよというものです。すでに出来上がっている農科大学と、欧州に留学している本多光太郎などの少壮教授たちが帰った時点でようやく立ち上がる理科大学との時間差のためですね。もっとも今よりはるかに交通の便の悪かった頃ですから、実質的にひとつの学校としては運営しにくく、仙台、札幌ともその後学部を増設することにより、東北帝大、北海道帝大としてその後独立しています。

>東北帝国大学ニ関スル件(明治40年勅令第236号)
第一条 仙台ニ帝国大学ヲ置キ東北帝国大学ト称ス
第二条 札幌農学校ヲ東北帝国大学農科大学トス
第三条 東北帝国大学ノ分科大学及分科大学中ノ各学科開設ノ期日ハ文部大臣之ヲ定ム
第四条 東北帝国大学総長ノ職務ハ当分ノ内東北帝国大学農科大学長ヲシテ之ヲ行ハシム
    • good
    • 2
この回答へのお礼

たびたび、ご回答ありがとうございます

また何かあったらお願いします

お礼日時:2006/06/24 12:49

学習院は戦前は旧制高校(7年制)と同じ扱いで、大学ではありません。



また、文部省の所管ではなく宮内省の所管です。ただ、学習院高等科を卒業すると帝国大学や官立大学の受験資格(多くの大学ではほとんど合格できる)が与えられたようです。
7年制の私立高校には、武蔵、成蹊、成城、甲南の4校があって、学生改革後は上に専門課程を積み上げて大学になりましたが、学習院も私立になったときに同じように大学になりました。

帝国大学では京城、台北の2校が廃止、官立大学では旅順工科大学が廃止になりましたが、それ以外に廃止になった大学はないと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

旧制高校も大学になったんですね

お礼日時:2006/06/24 12:47

おおむねNo1の方でよいのですが,大学というのは総合大学であるべきという考えが明治維新以後あり,帝国大学が作られたのですが,大正期になって,単科大学も認めたのです。

そのときに,官立の専門学校で水準の高いものが,官立大学になったのです。札幌農学校については,No1の方の勘違いで,すでに北海道帝国大学でした。正確には,札幌農学校から東北帝国大学農科大学となり,大正期に独立して北海道帝国大学になったのですが,東北帝国大学に理科大学が出来たのは4年後で,その間,東北帝国大学でありながら,大学は札幌にあったのです。
学習院は,もともと宮内省の所管で官立大学にはならなかったはずです。学習院は華族・皇族の教育のためのもので,大学は専門教育を行うものですから,戦前は大学にはならなかったでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

理解が深まりました

お礼日時:2006/06/24 12:45

基本的に位置づけが違います。


まず、最初は官立の大学というのは帝国大学しか認められませんでした。帝国大学は第一号の東京の帝国大学を手本に、順次増設されましたが、基本的な要件として複数の学部(または分科大学)によって構成されるのが大前提です。

これに対して、有力な官立、公立の専門学校は単科でした。時代に適応した専門分野を持つ学校はその後発展して、卒業生に学士号を授与できる専門課程を持つようになりましたが、これがのちに単科の官立大学が認められるようになって、官立単科大学になります。

したがって、それまでは、たとえば札幌農学校のように学士を出していながら大学を名乗れませんでしたし、逆に東北帝国大学の札幌分校となることで、名実ともに大学になりました。

学習院ですが、戦後の民主化のなかであんなもん官立の学校として存続させることはGHQが許さなかったというのが理由です。
伊勢の神宮皇大もいったん廃校となり、戦後、私立の皇學館大學として再興されています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

とてもよくわかりました

お礼日時:2006/06/24 12:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!