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先日の少年による放火殺人事件のことで、ひとつ疑問に感じることがあります。
一人で三人も殺害し、その中にはいたいけな子供が二人いました。
相当な凶悪犯罪だと思うのですが、犯人を強く非難する声があまり聞こえてきません。
今までは、少年少女の凶悪犯罪に対しては、

「少年法が甘すぎる!!」
「高校生(or中学生)くらいなら善悪の判断は十分できるのだから、大人と同様の量刑を与えろ!!」

といった意見に接することが多かったですが、今回の事件ではそういった声がほとんど聞こえてきません。
いたいけな子供を焼殺するなどという行為は、残虐性においてコンクリート詰め女子高生殺人や酒鬼薔薇聖斗の殺人などにひけをとらないように感じるのですが。

私が感じている疑問について、どのような観点でも結構ですのご意見を頂ければ助かります。

A 回答 (11件中1~10件)

要するに少年犯罪の問題点は、犯罪行為そのものより、それを受け止める社会の側にあるということだと思います。



・残虐性でいえば、かなり残酷です。
・自分の未熟さゆえに、ストレスが外に向かったとすればほかの凶悪少年犯罪もほぼ同じ構造だといえます。(少年ゆえに自分をコントロールしきれないためというところ)
・親のしつけ・教育が失敗だったというのも、ほかの少年凶悪事件すべてにあてはまることです。

ひとつひとつの内容を取り上げてみれば、事件としてはほかの凶悪事件といわれるものと遜色はありません。

しかしなぜ報道がこうも違うかというのは、つまり私たちの受け取り方がいかにいい加減なものであるかを示していると思います。

少年(子供)は過ちを犯すものです。その真実について、あれは凶悪、これはそうでもないと世評が揺らぐことが一番問題なのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>ひとつひとつの内容を取り上げてみれば、事件としてはほかの凶悪事件といわれるものと遜色はありません。

その通りに感じています。

>世評が揺らぐことが一番問題なのです。

そのあたりを、考察してみたいと思います。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:58

どこから非難する声が聞こえてこないのでしょうか?


多分、メディアからと言うことでしょう。
メディア(特にテレビのワイドショウ)は、大衆受けのする判りやすい話が必要なようです。極端に言えば真実よりも!
今回の件で言えば、当該少年に判り易い攻撃対象が今の所見られず、両親の方にむしろ話題性があると言うことでないでしょうか。
判り易い攻撃対象は、種々ありますが、そのうちの一つに権力側(支配側)或いはそう見られる側と被支配側の関係では、支配側を攻撃しておけば、判り易い受けとなります。
今回のケースでは、支配側の両親がターゲットの方が受け入れられるとの読みでしょう。
こんな例は、他にも沢山あるのではないでしょうか?
私がひねくれているせいかも知れませんが、例えば、JR西日本の脱線衝突事故でJR西日本は、あれだけ吊るし上げられたのに張本人の運転手は被害者扱いです。当該運転手がどうか真実は不明ですが、幾ら安全に尽くしても、一人の異常者がいれば防ぐことは不可能です。そこの所を突き詰めたメディア報道を私は知りません。
耐震偽装事件でも張本人の姉歯よりも木村建設、ヒューザーが吊るし上げです。
しかし、これは当然ながらメディアだけに責任があるのではなく、それに誘導され乗っかるサイドにも大きな問題があるのでは無いでしょうか?
メディアで語られる真実は、所詮、メディアに都合の良い真実と思った方が間違いないように思います。
振り回されないように自戒したいものです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

メディア操作によって、犯行の残虐性に関心が向けられなくなっている可能性もありそうですね。
確かに自戒の必要がありそうですね。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 20:09

被害者が、継母と異母弟妹、だからではないでしょうか。


一般的に、うまくいかないのが当たり前・・・という意識があるので、この家庭で、一人だけはみ出したような存在に見える少年を、責めづらいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:55

1.動機の稚拙さ。

コンクリート詰め女子高生殺人や酒鬼薔薇聖斗の殺人(凶悪犯罪)では、性欲や自己顕示欲などが垣間見えた。放火殺人は、ある種の逃避。成績を父親知られないため、と、本来殺人の直接の動機とはなり得ないもの。
2.犯行の稚拙さ。凶悪犯罪では、証拠隠滅や犯行声明など、殺人を犯した後に継続した巧妙な悪意が見られる。稚拙な少年が犯した犯行だとしても、犯行そのものは決して稚拙なものではなかった。放火殺人では、犯人はほぼ明らかで逮捕も時間の問題だった。
3.被害者が親族。第3者に向けられた犯罪ではないこと。だれしもが危害を受けるわけではなかった。
しかし、質問者さんの言わんとするところもわかりますね。確かに母子3人の命を奪った罪はとても重い。殺された方は堪りません。罪を憎んで人を憎まず、人まで憎めるかどうか、ですかね。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
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お礼日時:2006/06/24 17:54

「責めどころ」がとりあえず見あたらないからでは。



 報道される状況を見る限り、事件を起こした以外は特に特徴的なところがない「ごく普通の優等生」です。事件のこと以外なら、「自分の子供もそうなって欲しい」と感じるぐらいの人が多いのではないでしょうか。

 もし、彼がアニメファンだったり宗教にはまっていたりしたら「それ見たことか」とばかりに取り上げたことでしょう。でも、彼はあまりにも「普通」であった。

『「普通の人間」が凶悪事件を起こすなどというのは信じられない、信じたくない。だって自分たち「普通の人間」はそんなことをしないのだから。』

 そんなわけで非難するポイントが見つからないのでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:51

継母だったので、家に居場所がなかった。


年の離れた腹違いの弟、妹を父親、継母は可愛がった。
近所にさえ少年の存在は知られていず、4人家族と思われていた。
父親、継母、共に医者であったので、自分も医者にならねばという強迫観念、周りからの重圧等が辛かった。
父親は勉強について少年に厳しくあたっていた・・
等等の理由から、彼に同情の気持ちを持ってしまうのは事実です。
私は「親の身勝手で犠牲になるのはいつでも子供」と、今回の事件を考えて残念に思いました。
もちろん、ご両親の離婚理由等何もわからない上ですので勝手な想像で申し訳ないのですが、
私には、彼もある意味被害者のような気がしてならないのです。

しかしながら理由がどうであれ、結果的にいたいけな罪の無い子供を殺害してしまった事実は許されないことです。
彼は一生その罪を背負って生きなくてはなりません。
また、京都内で侵入した家で、通報が遅れるよう電話線を予め切っていたりと
冷静で計画的な一面が窺われるのも事実ですし、今後の調べが重要になることでしょう・・。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>理由がどうであれ、結果的にいたいけな罪の無い子供を殺害してしまった事実は許されないことです。

まさしくその通りだと受け止めています。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:50

殺されたのが身内だからじゃないでしょうか。



無関係のご近所の奥さんと幼子が殺されていたらもっと非難の声が上がっていると思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>殺されたのが身内だからじゃないでしょうか。

それも多分にあると思っています。
ただ、個人的には、何の罪もない幼い子供を焼き殺すなどという所業は、身内とか他人とかということを超越してその惨さを受け止めるべきことではないかと、感じているのですが。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:36

あくまで私の主観になりますが。



そういった論調を主導していくのはマスコミですが、えてしてマスコミというのはショッキングな事件をヒステリックに強調して国民の耳目を自分たち(マスコミ)の報道に集めたがるもの、だと思います。
まして少年少女の凶悪犯罪となれば国民の感情に訴えかけやすく、また少年法というツッコミ所もあるだけに、仰る通り犯人を強く非難する論調になりがちです。

ただ、今までそういった論調になった事件は犯人の少年少女のいかにも身勝手な論理(もしくはそれ以下の刹那的な欲求)によって引き起こされた物だと思います。
逮捕されたときはそれほどではなかった物が、その動機や犯人の身勝手さが明らかになるにつれ論調も厳しくなり非難の声も大きくなってくるのが常ではないでしょうか。

秋田のあの忌まわしい児童殺害事件は記憶に新しいと思います。あれも容疑者の過去や人格が明らかになるにつれて報道もヒートアップしていきましたよね。

今回の放火事件は、言ってみればそのような「燃料」がまだ出揃わない段階なので非難の声も上がらないのではないでしょうか。

また動機についても成績について厳しく躾けられたのが原因とか。
コンクリート詰め女子高生殺人や酒鬼薔薇聖斗の殺人より、同情する余地も多そうです。

個人的には今後「行き過ぎた偏差値教育」について非難の声が高まっていくと予想していますが、さていかに。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

今後の世論の推移を注意深く見つめていきたいと思います。

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お礼日時:2006/06/24 17:31

私の感じ方で言わせて頂くと、今回の事件で少年を責めることは出来ません。

何故ならば、少年もまた時代の被害者と言えるからです。
この少年は有名私立校に通っており、将来はそれこそ東大や京大にと周りからかなり期待されていた一人でしょう。両親とも医者でしかも教育熱心とのことで、医学部に行くように言われ、息抜きすらガミガミ怒鳴られる環境とあっては、普通の子よりもかなり重圧がかかっていたように思います。
事件ですが、一番ストレスになっていたと思われる父親が不在の事実を知っていながらの放火で、殺人の認識はあったように言われていますが、当時の少年の心理状態は寧ろ全て放棄した自暴自棄、鬱に近いものがあったと思っています。
殺人を楽しむのでなく、今自分の周りにあるしがらみを放棄したい状態の中では、残虐性は必ずしも当てはまらない、そう考えます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>普通の子よりもかなり重圧がかかっていたように思います。

確かにそうかも知れません。ただ、もっともっと悲惨な状況の子供も沢山いるように感じるのですが。
飲んだ暮れの親から傷跡が絶えないほどの暴力を受け続けていたり、義理の父親にレイプを強要されていたり、孤児院などで肉親からの愛情を生まれてから一度も受け止めることがなかったり・・・。
それでもやはり、例の放火殺人の少年の環境は、あれほどの犯行に対して酌量の余地が生じるほど特別なものだったのかどうか、もう少し考えてみたいと思います。

>当時の少年の心理状態は寧ろ全て放棄した自暴自棄、鬱に近いものがあったと思っています。

確かにそうかも知れません。ただ、責任能力が問われないくらいの放心状態であったかと考えてみるなら、父親が不在の日を選ぶような計画性や、ワールドカップに興味を示していることなどから、精神が崩壊するほどの鬱のどん底であったとは思えづらいです。

lmtreeさんと同様の受け止め方の人が多いようですね。
大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:26

身内を殺した (容疑である) というのも一因としてありますが、メディアによる世論操作も大きな役割を果たしていると思います。



私は個人的に、プリティーン以外への死刑と刑務作業導入に賛成です (少年法改正)。今回も死刑でよいと思っています。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>今回も死刑でよいと思っています。

「少年犯罪にもっと厳しく対処せよ!」と思われている方なら、そのような考えになるのは妥当のように感じます。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/06/24 17:16

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