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家光側室・お万の方

役に立った:4件
  • 質問者:kurotokage
  • 投稿日時:2006/06/24 20:03
  • 困り度:困ってます

ちょっと前に放送されていた大奥第1章に登場していた、
お万の方について疑問があります。

お万の方は家光が死去したときに落飾しなかった、
お梅の方と名を変えて大奥勤めを続けたと書かれた文献をちらほら見かけたんですが、これって本当なんでしょうか?
手持ちの徳川夫人伝によれば
「永光院と号して、100人扶持を賜り、家光の死去の後も御出頭・御寵愛があった」とあるんですが・・・
混乱しちゃいます。

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回答(3件)

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  • 回答者:Pinhole-09
  • 回答日時:2006/06/28 17:40

そうですね、謎が多い。  色々本を読んでみました。
信用出来そうな本では、家光死後のお万の方について、何も書かれていません。  信頼できる当時の記録はないと言うことでしょう。
高柳氏の記載にもおかしい点があります。
まずお梅の方への改名は、資料では少数派ですから、なかったようです。  確かに他との混同と思います。   改名を取り上げた大元を見たいものです。
大上臈になったのは、家光の存命中で春日の局の死後は確かなようです。  幕閣から疎まれるような事はなかったようです。   高柳氏は大上臈の俸給だけは合っています。   
問題の家光の死後ですが、剃髪したと、大奥に残ったとの二説あり、断定は難しいようです。
高柳氏の本によると、お万の方の墓碑は見付からなかった訳ですから、今は謎の女として解決は先でしょう。
一位の尼と呼ばれていたそうですが、これも桂昌院との混同かも知れず、むかしの資料は誤りが多いと、言われています。   特に「徳川諸家系譜」「柳営婦女伝系」「幕府そ胤伝」を挙げている人もいます。

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この回答へのお礼

うーん。やっぱり謎なんですねえ。

お手数をおかけして申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

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  • 回答者:Pinhole-09
  • 回答日時:2006/06/27 12:20

阿茶局ですが家康の死後、側室がすべて剃髪したのに、一人だけしませんでした。   家康の遺命といわれています。   私の推測では機才のある女なので、大奥の抑えとして、又このような例外を作るのは、後々役立つと考えたからでしょう。
阿茶局は可愛がっていた、義理の息子の秀忠の死を契機にして、剃髪したのでしょう。
家光は父の秀忠より、祖父の家康を尊敬していたので、お万の方をそれに習わせたと思います。

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この回答へのお礼

私も当初、そう思っていたのです。

ただ、お万の方は春日局の死後、奥向きの総支配を任されてはいましたが、家光の晩年には奥女中だけでなく幕閣や家光自身からも疎まれるようになっていたとする文献もあります。
そしてお梅の方という上臈はお万の方ではなく、別の公家の娘だともいわれています。

家綱治世の初期には「矢島局・川崎・岡山」ら家綱乳母と並んでお梅の局なる人物が大奥老女として名を連ねていたのは確かだと思います。
大奥老女の書状に家綱乳母とともにお梅の局という名が見られるので。
それも明暦ぐらいまでで、それ以後の大奥からの書状にお梅の局という人物の名は見つけることが出来ませんでした。

このお梅の局という人物と、お万の方が混同されているのではないのかな?と思ったのです。

せっかく回答を頂いたのに、失礼なことを書いてしまって申し訳ありませんでした。

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  • 回答者:Pinhole-09
  • 回答日時:2006/06/26 18:15

「徳川妻妾記」江戸時代選書9 雄山閣  に家光の死去後もたの側室のように、落飾することなく、名をお梅の方と改めて田安屋敷に移り、後に本丸大奥勤めとなり、大上臈と称せられた。   振袖火事で本丸焼失後、家光の正室と共に小石川無量院に移り、余生を送り88歳でこの世をさった。   とありますがこの事でしょうか。   この著者は埋葬された寺をまわり、墓碑銘の調査までしているので、信頼性は高そうです。
「徳川夫人伝」よりこちらの方が正しいと思います。  大上臈ですから、御出頭、御寵愛はなかったと云えます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
徳川妻妾記は私も持ってます。
ただ、高柳氏の著は巷説・俗説の類まで取り上げているので、なんとなく信じられなくて。
徳川夫人伝は江戸期の資料を集めたものなので、そちらのほうが信憑性が高いかな、と。校注者は同じ高柳氏なのですが。
落飾していないなら、阿茶局のように「落飾しなかった」って記述があってもよさそうなものなんですが、そういったことは記されていませんでした。
だから落飾したんじゃないのかなあ。と思ったのです。
阿茶局も秀忠死去の際に落飾してますし、お梅の方のまま生涯過ごしたとはどうしても思えないのです。

  
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