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水銀や鉛が人体に有毒だと分かったのは、いつの事なのでしょうか?

ご存知の方、教えて下さい。m(__)m

A 回答 (12件中1~10件)

>鉛に変わる良い素材が無かったのでしょうか?


なかったというのが現状です。鉛は現在でも国内の鉱山で十分確保できるはず(この情報は20年前。埋蔵量100年分との話)

>当時でも、銅管や鉄管は作れましたよね?
作れるには作れますが.電線に使う需要が多くで配管にまわす余裕がなかったですし.鉄は機械製造(鋳物工業)に使われてますから.ほとんど不可能です。高温が必須で燃料に事欠いていました(日本の炭坑は20-30cmの狭い層を人力で掘っていた)ので。
出入りのブリキ職人(生きていれば120際程度)はパイプがほしかったのですがないのです。それで.ブリキ屑を鍛冶屋に持っていって鋳物で鉄パイプを作ってもらったそうです。ブリキ屑の売却代金が当時の私立大学の学費+小遣い(月1-2回芸者を呼んで...)をまかなえる額。
昭和のはじめのころのないようですから.鉄パイプがいかに高価なものであったかわかるでしょう。

>昔でも、鉄鉱石が沢山とれる国では、日本ほど、鉄の貴重性は無かったのでしょうか?
鉄を使うには高温が必要です。また.配管のように丸めるという技術は近年のものです。低温(300度程度)で.湯を人力で注ぎながら人力でパイプを引っ張っている(簡単に冷えるので可能)ことでいくらでも作れる鉛と異なり.高温(1000度程度)で機械で引っ張って(暑くて人が直接触れない)パイプを作る鉄との違いです。

>鉄は高かったのでしょうか?
鉄鉱石単体で考えるのではなく.鉄鉱石と石炭と消石灰(石灰石)の組み合わせで考えてください。
ヨーロッパの自然が破壊されたのは.製鉄に使う消石灰を木灰でまかなったためという説があります。日本では生産量が少ないですが3つとも存在しました。ですから急速に製鉄業が発展できたのです。
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。<(_ _)>

>当時の私立大学の学費

これは、入学から、卒業するまでの学費という事でしょうか?

昔は、鉄が、現在の金みたいな、物価だったという事なのでしょうか?

>日本では生産量が少ないですが3つとも存在しました。ですから急速に製鉄業が発展できたのです。

当時から、三つの資源が豊富だった国と、そうでない国に、それぞれどんな国があるのか、興味が湧きました。やはり、植民地を沢山持っていたような、欧米の国は、これらの資源に困らないような国ばかりだったのでしょうか?

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/10 08:18

>どのように勉強したら良いでしょうか?


入門程度ならば適当な総説を1さつかにさつひろいよみ。
図書館の世界史の本から.上記内容の記載がある本を見つけメールだけ。

正確さが必要ならばそれぞれの国の歴史学会の報告書を探すことになります。この場合注意を要するのは.必ず勝者と敗者の両方の発表をみること。勝者がわに都合のよい内容に書き換わっている場合が多いです。
例としては.稗田阿礼に歴史改ざんを命じたのが聖徳太子。

この回答への補足

皆様、御回答有難うございます。
この場をお借りして皆さんにお礼申し上げます。
皆様の御回答、とても参考になる御回答が多かったです。
良回答は、2つまでしかつけられませんが、
皆さんの御回答の中に、良回答が沢山ありました。
有難うございました。<(_ _)>

補足日時:2006/07/14 00:00
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。

>この場合注意を要するのは.必ず勝者と敗者の両方の発表をみること。勝者がわに都合のよい内容に書き換わっている場合が多いです。

そう思います。
アドバイス有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/12 22:23

>学費という事でしょうか?


学校に支払う金+学生としての社会的身分を保証するための交際費や被服費を含む小遣い

>物価だったという事なのでしょうか?
現在の「金」というよりも「宝石」でしょう。金は先物を含めた市場での取引がありますが当時の「鉄」は現物取引だけですから。

>うな国ばかりだったのでしょうか?
世界史で確認してください。
石炭と鉄鉱石鉱山の略奪で争っていたのがフランスとドイツです。
イギリスも製鉄原料の供給地としてアイルランドを併合したかと思います(記憶があいまい)。
これら鉱山の略奪に成功した国がその財力を使って植民地支配を推進していったのです。
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。<(_ _)>

>世界史で確認してください。

どのように勉強したら良いでしょうか?
お勧めの書籍、又は、サイトなど、ご紹介いただけると嬉しいです。

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/11 12:02

水銀は金属の状態ではなく水銀化合物として利用されていたと思います。

水銀の鉱石である辰砂(しんしゃ)は赤色の顔料として新石器時代にも使われていましたが、これは飲み込んでも溶けないので毒にはなりません。水銀の塩化物は毒性がありますが、医薬品や皮のなめしに使ったりしていたようです。
金属水銀のガスは有毒ですが、水銀鉱山で働いていた人たちは自然水銀から蒸発する水銀ガスを吸い、水銀中毒になりながらも働いていました。これはそんなに昔の話しではありません。

鉛は錆やすいのですが、できた錆が緻密なため錆が進行しません。水道水くらいではこの錆が保護膜として働き、鉛が溶出しないため水道管に使用されました(厳密に言うと極わずかには溶け出しますので水道管に使われなくなりました)。しかしこの錆はワイン中の酸で破壊されるのでワイン中に鉛が溶け出すことになります。
ローマ時代、鉛鉱石中にわずかに含まれる銀を取るために盛んに採掘されていたようです(グリーンランドの氷中の鉛を調べるとローマ時代の層に鉛が多く含まれているそうです。鉛鉱石から銀を取り出す方法では灰吹法が用いられていて、この際に鉛や硫化鉛のガスが少し出ます)。したがって、ローマ時代には鉛が大量に生産され、その使い道を色々なものに拡げていったものと思われます。

総じて言えば、昔は強力な毒物でもない限りおおらか?だったのではないでしょうか。毒性に過敏になったのは近年のように感じます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。<(_ _)>

>水銀の鉱石である辰砂(しんしゃ)は赤色の顔料として新石器時代にも使われていましたが、これは飲み込んでも溶けないので毒にはなりません。

そうなのですか?私は、今までネットを見ていて、毒になるという記述を見た気がするのですが・・。辰砂は、無機水銀なのですよね?
無機水銀は、有機水銀と比べると、飲み込んでも、体内吸収率が低いそうですが、それでも、少しは、吸収されてしまうそうです。

http://www.naoru.com/suigin.htm

>皮のなめしに使ったりしていたようです。

そうだったのですか。どのような感じで使っていたのか気になりますね。

>水銀中毒になりながらも働いていました。これはそんなに昔の話しではありません。

そうらしいですね。どの程度の健康被害に苦しみながら、働いていたのかな?と気になります。

>総じて言えば、昔は強力な毒物でもない限りおおらか?だったのではないでしょうか。毒性に過敏になったのは近年のように感じます。

私的には、ベートーベンが、鉛添加ワインを飲んでいたせいで、鉛中毒で死んだ話等を聞くと、昔の人は、おおらかと言うより、毒物に対して、無知で無頓着すぎた、という事だと感じております。

現代人だって、身の回りの毒物に対して、無知で無頓着なのではないかな?という気がしております。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/11 12:43

現象としては経験的に中世頃知られていたと思いますがそれも一部の知識層(錬金術師などの化学者)に限られ知識として共有される事はなかったと思います。



それが水銀が毒性があると認識されず、医薬などに使用を続けられた由縁ではないでしょうか。

鉛についてもローマ時代、その加工性が容易な所から水道管として多用され、食器にも使用される位でした。  
ローマ時代甘み材としてワインを鉛鍋で濃縮して使用する習慣があり、食材として人体に継続的に摂取され、ローマの衰退は有力知識層の鉛害による活力低下にあるという説もあります。

従って一般的に常識となるのは比較的現代に近い頃でしょう。
丁度アスベストが多用されながら、最近になって有害とさわがれるようになったのと同じで遅効性毒や慢性毒性は気がつくのが遅れるものです。
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。<(_ _)>

>ローマの衰退は有力知識層の鉛害による活力低下にあるという説もあります。

私もその説を、ネットで見たので、今回の質問文の疑問が思い浮かびました。

現在に伝えられているローマ人の退廃的な生活ぶりや、残虐性も、
鉛の毒性で、精神が病んだのが原因ではないか?という説もネットで見ました。

残虐性や異常性で知られるローマの皇帝、カリグラやネロなどは、鉛を含んだ、ワインを、庶民などよりも沢山飲んだのでしょうね。

鉛は、人を凶暴にしたり、精神をおかしくするみたいです。こんなページも見つけました。

http://www2.sala.or.jp/~bandaikw/child/metal/lea …

http://www.kcn.ne.jp/~azuma/news/July1999/990701 …

http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/kaigai/kaigai …

ところで、鉛が、食器やワインの貯蔵容器に使われなくなったのは、いつの頃なのでしょうか?(ガラス製のコップは随分古くから有ったみたいですが・・。)

銀の食器が、ヨーロッパの上流階級に流行するようになってからでしょうか?(毒殺される事を防ぐ為に、銀食器が使われ始めたらしいですね。)

あと、ベートーベンも、鉛中毒で死んだらしいですね。

http://homepage2.nifty.com/tkeizo/paper/yomi1210 …

下記のサイトによれば、ワインに甘みを出す為に、ベートーベンの時代には、鉛を、添加物として使っていたらしいです。

http://www.cadence.co.jp/soc/soc-54/54-8.html

これでは、ガラス製のコップを使って、飲んでいても駄目ですね。
昔は、現在よりも、飲酒は、悪い事の様に言われていた気がしますが、
昔のヨーロッパに住む人間にとっては、理にかなっていたという感じですね。

ワインの添加物に鉛が使われなくなったのは、いつなのでしょうか?

ベートーベンの時代などでは、ワインの添加物に鉛が使われているのを知っていて、鉛が、体に毒である事を知っていた人間は、いないのでしょうか・・?

ss79様の文章を読んだ事によって、いろいろな疑問が触発されて、とても、為になったと思います。

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/08 08:44

大仏の金めっきによる死者は「せいなるもの」としてあがめたてられていました。


したがって.当時すでに「殉死する」ことが知られていました。

医薬品でも使われていましたが「その使い方は難しい」として「副作用が激しく簡単には使えない」ので多くのじゅじゅつしは使っていません。
つまり.その毒性は知られていました。

中国では.水銀が「体は動かなくなるが身体は腐らずにいつまでも生き残る」として.不老長寿の妙薬として使われていました。つまり.腐らない死体を作る技術としてつかわれていました。

水俣病は有機水銀であり.無機水銀しかしられていない人類にとっては未知のぶしつでした。ただし.「毒性はない」と宣伝していた窒素では排水を使った動物実験を繰り返しており.早い段階で毒性に気がついていました。特性がまったく異なるものを同じものとして考えると大きな間違いを犯すときがあります。

最後に.不溶性ぶしつを考えるときには「剥離」という現象を常に念頭において行動する必要があります。
鉛管の場合.単に水を流している場合にはほとんど溶出が起こりません。しかし.ウォーターハンマーのような流量が急変する流れやレイノルズ数が極端に大きい場所では.水道管の壁厚の現象が報告されています(有名なノは.高速増殖炉の温度計の近くの配管壁が薄くなってナトリウムが飛び出した事故)。
この剥離した部分はどこに流れて行くか.質量保存の法則で必ず需要家に伝わっています。水洗便所に使われるか.飲料水として使われるかはわかりませんが。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。<(_ _)>

日本が鉛の水道管を作り始めた頃は、やはり、鉛に変わる良い素材が無かったのでしょうか?

当時でも、銅管や鉄管は作れましたよね?

亜鉛めっき鋼管と、ステンレス管は、当時、作れなかったのでしょうか?

当時、プラスチック管や塩ビライニング鋼管は作れなかったのは、分かりますが・・。

やっぱり鉛が素材的に一番安かった、という事なのでしょうか?
昔は、日本にとっては、鉄は貴重品だったのですよね?

昔でも、鉄鉱石が沢山とれる国では、日本ほど、鉄の貴重性は無かったのでしょうか?

それとも、外国が高く買うので、鉄鉱石が、沢山産出する国でも、鉄は高かったのでしょうか?

新しい疑問が、色々湧いて来てしまいましたが、これも良いことだと思います。
edogawaranpo様のご回答のおかげで、知的好奇心が、刺激されて良かったです。

御回答、有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/08 07:32

まず、場所によって認知の時期がずれるのと、もう一つ、「その知識がどこの階級にまで広まっていたのか?」というのが非常に重要な項目です。



まず、日本。奈良の大仏に金を張るさい、大量の水銀をアマルガムにするさいに使用しましたが、その際大量の水銀中毒者が出たとされています(すでに周りの建築は完成していたので、屋内で水銀を飛ばすというとんでもない方式を取り、内部には高濃度の水銀蒸気が充満していたと考えられます)。
これが8世紀。
ですが、それ以降も、丹とか仙丹という呼び名で、水銀は漢方(ただし現在のものとは違い、あくまで練丹といった、不老不死を目指すものに近い)の材料になっていました。
つまり、水銀が危険であるというのは近世になるまで、周知ではなかったということです。
ギリシアでも紀元前から「危険らしい」というのは知られていますが、その後錬金術などにも使われています(これも、使いようによっては多量の水銀蒸気をばら撒くため危険といえば危険)。もっとも、丹のように、飲む、なんていうことにはあまり使用はされていないようですが・・・

そして、水俣病のような公害などが、20世紀になってもおきています。つまり、「水銀を垂れ流しにしても即問題になる」ほど危険であるという認知がなかったのです(まあ、あの時代にはまだ「海は汚染を洗い流し、その限度は無い」という考えがあったのは確かなのですが・・・)。
これは鉛に対しても同様でしょうね。ギリシアの知識が多少伝播しているローマ帝国で鉛中毒者がでていることからも、鉛が危険であるというのは周知ではなかったのは明らかです。

そいうわけでして、危険だとわかっていたのは比較的早いギリシアといった紀元前~8世紀頃までにはわかっていたのですが、それらを知っていたのは学者といったいわゆる知識者、とか有識者という人だけで、庶民に認知されたのは20世紀になってからでしょうね。

なお、鉛は、ワインと出会うと、(ワインは弱酸性の上酢酸が含まれているため)イオンとして溶け出すため、それを飲めば体内に入ります。水道を流れている真水は、phの値もそうですが、酢酸などの酸の含有も無いため、ワインほどは流れ出しません。
ただし、多少なり流れるため、現在交換を奨励していますが、補助金などは今のところ出ません。逆に言えば、許容できる範囲の流出量しかない(厳密に言えば水道水から体内に入る鉛の量が、です。ミネラルウォーターの普及も一因かと)から対策を立てないわけですが・・・まあ、問題ではあります
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この回答へのお礼

御回答有難うございます。<(_ _)>

>知っていたのは学者といったいわゆる知識者、とか有識者という人だけで、庶民に認知されたのは20世紀になってからでしょうね。

庶民に、水銀や鉛には有毒性があるという知識が、広まってしまうと、鉱山労働者や、金属精錬業者の確保が難しくなるから、
知識者が、あえて庶民に広まらないようにした、という可能性もあったのでしょうか?

現代においても、その様な問題というものが、沢山、あるのかも、という気がしました。

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/08 02:03

こんばんは。



↓この辺も押さえておかれれば万全でしょう

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%8A%80

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%9B

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。<(_ _)>

ワインが鉛に接すると、鉛から鉛イオンが溶け出す量は、大分多くなるが、
鉛を水道管に使う分には、鉛は、水道管には、大して溶け出さないという事なのでしょうか?

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/06 21:10

周辺の話で申し訳ないです。



大仏に関する話は、↓のサイトを参照してください。

常温で唯一、液状の金属である水銀は、神秘的な物質とされてきました。中国では不老長生の仙薬の原料とされ、日本でも珍重されます。もちろん、大量に摂取すれば早死にするでしょうけれど、幸いにも高価なので、よほどの金持ちでなければ悪影響はなかったかと。鎌倉幕府と戦った楠木正成が、元は水銀売りだったという説があります。
西欧では、水銀は錬金術の基本アイテムでした。
16世紀に活躍した錬金術師パラケルスス(テオフラストゥス・・・・・ホーエンハイム)<本名長いです。某アニメにも登場>は、錬金術を医療に応用し、世間から魔法扱いされるほどの治療を行ないました。鉱山労働者の病気を水銀中毒と突き止めたり、梅毒の進行を食い止めるのに水銀を用いたりと、大活躍です。特に梅毒については、水銀を用いた治療が、抗生物質の発見までは唯一のまともな治療法でした。

参考URL:http://www.bigai.ne.jp/~miwa/powder/daibutu.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

参考URLのご紹介有難うございました。大変興味深く読ませて頂きました。

ところで、現在では、ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる位なのに、日本が近代において、水道管に鉛を使用したのは、どういう事なのでしょうか?

ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる事が、日本で知られるようになったのは、いつ頃なのでしょうか?

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/06 20:57

全然関係ないんですが, #2 の話はなんか違うような....


金の大仏といっても本当に全部金でできているわけじゃなくって (あたりまえだ), 大仏の形を (銅などで) 作っておいて, 最後に金でコーティングするという作り方をします.
で水銀を使うのは, 最後に金でコーティングするときだったと思います. つまり, 金を水銀に溶かして (= アマルガムを作って) 大仏に塗る. これで水銀をとばせば, ちゃんと金でコーティングされた大仏ができる, というもののはずなので....
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この回答へのお礼

回答有難うございます。<(_ _)>

ところで、現在では、ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる位なのに、日本が近代において、水道管に鉛を使用したのは、どういう事なのでしょうか?

ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる事が、日本で知られるようになったのは、いつ頃なのでしょうか?

御回答有難うございました。<(_ _)>

お礼日時:2006/07/06 20:59

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