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自分の作った料理や、自分の育てた野菜を「おいしく頂きました」と
表現されていらっしゃる方が多数いらっしゃいます。
この言い方が流行りだしたのは、つい最近のような気もします。

辞典で調べると、「頂く」には、「食べる」「飲む」の
謙譲語、丁寧語としても用いられるようですので
言葉として間違っている訳ではないのですが
何故か違和感を感じてしまいます。
同じような方がいらっしゃいましたら、この違和感の謎を
説明して下さいませんでしょうか。

A 回答 (6件)

「頂く」というのは本来「高い所に差し上げて感謝の意を表する」という意味が基本のように思います。



食事の際の「いただきます」は、食物という「かつては生命あったものからその力をもらうことに感謝する(A)」という意味でもあるでしょうが、一般的には「作った人に感謝して食事をもらう(B)」という意味合いが大きいのではないでしょうか。

ところが、この「いただく」という言葉が
→「感謝して食事をもらう(=食べる)」から
→「ものを食べる」というだけの意味であるかのように、『不当な変遷』を経て次使用されているという印象を受けるからではないかと考えます。

確かに謙譲語としての意味もあるようですが、それとて相手に感謝して持ち上げるからこそ出てくる機能と言えるのではないでしょうか。

Aの意味で使う人が増えてくれば上品?な言い方として定着するのかもしれませんが、今のところはやはり「すかした」感じは否めませんね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
回答者様のおっしゃいますように、天からの恵みを感謝して「頂く」よりも
単に「食べる」の意味で「頂く」と表現されている方が多いように感じられたので
違和感を感じたのかも知れません。
このイライラは、スカした言い方にように私が感じ取ってしまったからかも知れません。謎は解けました。
有難うございました。

お礼日時:2006/07/11 15:43

  よくは判りませんが、「食ふ」といふ事についての、國語ないし、我が國民特有の觀念があるかに思へます。

現在の私達が使ふ「たべる」といふ言葉は、「賜ふ」などと同じ「たぶ」で、以前は「給ぶ」と表記されたやうです。食事の前に唱へる「いただきます」も。「賜り物をいただきます」といふのが元の意味かと思ひます。現在の國語では、「食ふ」といふ言ひ方がどぎつく感じられ、「たべる」とか、「いただく」といふ間接的な表現が好ましく感じるのも、私達の感覺に、「食ふといふ行爲に對する直接表現を避けたい氣持」があるやうに感じられます。「頂く」といふ表現は、丁寧な表現でもあるために、まるで自分で自分の行ひを丁寧表現してゐるかにも聞こえるので、一寸した違和感が生じるのかも知れません。
  佛教の教へから、「食ふことは、動物なり植物なりの生命を食ふことであるから、おいのちを頂きます」の意味で、「いただきます」といふなどと説明がなされます。これはこれで、正しい説明かとも思ひますが、國語の原理からは、やはり、「食ふ」といふ直接表現を避けることに起因するかと思はれます。
  國語では排泄行爲も直接表現を避けます。現在では「くそ」を「する」とは言ふものの、「まる」とは言ひません。「おまる」といふ用具の名に、その言葉の痕跡をとどめてゐるだけです。「しし」を「する」とか、「漏らす」とは言ふものの、尿を排泄する事の直接表現は、痕跡すらも見あたらない氣がします。ただ、これは私が知らないだけかも知れませんが。くそまりの場所である「かはや」を「手洗ひ」と言ひ、便所、トイレ、ちょうづ、などと間接表現して、使ひ慣れて、直接表現に近づくと、その言葉は使ひづらくなる事も同じやうな國語感覺から來るものと思はれます。飲食や排泄以外でも、男女の性行為でも、國語では「まぐあふ」と言ひますが、これも「求め合ふ」の意味であり、支那語などでの、同じ行爲を示す、男女それぞれの言ひ方が、極めて具體的な動作を指す言ひ方であるのとは大いに異なります。
  國語では、人の生物としての生存行爲については、直接表現をどぎつく感じる性質があるのではないでせうか。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
回答者様の内容よりも、お言葉遣いに圧倒されてしまいました(^_^;
人間の排泄や欲に関係する動作の表現は、パッケージ化が
進んできている、と解釈させて頂きます。

お礼日時:2006/07/11 15:38

こんにちは、ちょっと考えてみました ^^;



ご飯を食べる時は 「いただきます」。
その反対語は「ご馳走様でした」が一般的。

ごちそうさまでした、の代わりとして
その感想=おいしかった 過去形=いただいいた 
→ 「おいしく頂きました」 として活用(?)されていると違和感を感じる、、、とか、、、?

見当違いだったらすみません~。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私なんかの詰まらない質問に、お時間かけて考えて下さったようで、恐縮です^^;
料理を作って貰い、食べた人は「ご馳走様でした。」と言いますが
その料理を提供した(作った)人は「はい。お粗末でした。」と言う場合が多いと思います。
これは、自分の料理と、それを食べた人に対して、謙っているのだと思います。
これを考えると、自分の作った物に対し「頂く」と言う事に違和感を感じてしまうのかも知れません。

お礼日時:2006/07/11 13:44

頂は、天のことで、


天(神、為政者、)からの授かり物
という意味です。

儒教の考えで、権力者にとって都合のいい考えですが、
多くの人たちが良しとした考えでもあります。

この回答への補足

この言い方(言い回し)は昔からあったのでしょうか。
他人様からの授かり物に対して、「頂く」「頂戴する」の言葉は、昔から用いられていたと思いますが
天からとはいえ、自分の手で育て上げた物に対して「頂く」と表現する事は
最近だと思います(思い込みかも知れませんが)
何の影響から来ているのがご存知でしょうか。

補足日時:2006/07/11 13:24
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
全ての恵みは天(頂)からの授かり物、という考え方だったのですね。

お礼日時:2006/07/11 13:24

文法的に言うと、使い方は間違っているのかもしれませんが、



食べ物=自分の生命になるもの

ということで、「(命を)頂く」でも私には違和感はありません。
かえって、微笑ましく思います。
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この回答へのお礼

沢山の種類の野菜を自家栽培されている方のHPで
「トマトを美味しく頂いた」「レタスもおいしく頂いた」「小松菜もおいしく頂いた」と
記載されている部分があり、なぜだかイラッとした感情を抱いてしまいました。
こんな気持ちじゃ、駄目ですね。

お礼日時:2006/07/11 13:20

個人的に意見では、頂くというのは自分の行為に対してといよりは、野菜であるなら、野菜に対してありがとうという感謝の気持ちで出た言葉なのではないかと、私は思います。



そう考えると違和感が減るのではないかと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
誰に対しての謙譲語か分からないところが、違和感だったのかも知れません。
野菜(材料)に対して、だったのですね。

お礼日時:2006/07/11 13:15

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