なぜ坊主が囲碁をするのか
先日テレビで江戸時代までの本因坊についての番組を見ましたが、なぜ坊主が囲碁をしていたのでしょうか?坊主と囲碁の関係を教えて下さい
「伊藤宗印伝 湯川博士著」には以下のように記載されております。
『囲碁家筆頭の本因坊家は、僧籍で妻帯が許されないから、後継者はすべて養子である。』
この本は一部フィクションなのですが、当時の時代背景や大筋は事実に基づいているので、この通りだと思います。
下のサイトにも同じようなことが書いてありますのでよろしければご覧になってください。
一言で答えるのは、胸中複雑ですが、修行の間の息抜き。恥ずかしながら、[怠け]。だだし、囲碁の世界観、宇宙観は、ご存知のとおり仏陀の教えにつながるものがあります。将棋と違い一つ一つの石は[平等」であり、一度おいたら動かせない[因果]、石と石のつながり[縁」。故人の言葉に[囲碁は人生の縮図である」とあります。また[劫]、[駄目]、[ふため」いずれも関連しているように感じます。
この回答へのお礼
すいません、締め切った後だったものでメールみてませんでした。わざわざお返事いただきましてありがとうございました
囲碁は平安時代にすでに行われていたのですが、たぶん鎌倉時代に多く中国から来日した禅僧が囲碁を好み権力者にも伝えたため、それ以来碁打ち=剃髪、という習慣ができたのだと思います。
この回答へのお礼
なるほど納得です
お返事ありがとうございます
まず、日本の歴史上最初に囲碁の名人として認められたのが本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ。むかしは、ほんにんぼうさんしゃと呼ばれていた)と言う人で、もともとは日海(にっかい)というお坊さんだった。その日海が住んでいたのが本因坊という寺の建物だったので、彼のことを本因坊と呼ぶようになった。
その後、囲碁将棋が徳川幕府によって保護され、御城碁(御城将棋)が始まった。徳川幕府では、碁打ちと将棋指しは士農工商のいずれかにも属していなかった(僧侶も同じ。俗から離れているという位置づけだった)。そして碁打ちと将棋指しが江戸城に入るときには剃髪が義務付けられていた。(僧籍には属さないが、江戸城というところに入るので、それなりの格好で来るというのが当たり前だったらしい。それより、碁の名人は僧侶というのがあったので剃髪するように命じたのかもしれない)
当然、現在の世まで語り継がれる有名な碁聖・本因坊秀策も御城碁を打つ前までは普通に髪を伸ばしていた。
唯一、太田雄蔵という人だけは剃髪を拒否した人物として有名で、当然御城碁に呼ばれる人物なので、碁の腕前は凄かった。
この回答へのお礼
お返事ありがとうごさいます
なるほど僧侶の格好だけなんですね
少しわかったような気がします
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