プロが教えるわが家の防犯対策術!

オウム、創価、統一教会といった宗教(団体)や、
江原や細木といった恫喝霊媒師等に脳みそ全部預けてしまう人と、
そういったものには近づかず自分なりの宗教観を持って生活する人
の違いって何でしょうか?
その人の生い立ち環境や教育、性格にどういった特徴があるのでしょう

おそらく正解というようなものは無いとは思うのですが、参考になる
ようなご意見を聞かせていただければと思っております。
確証はないですが、「引きこもり」になるならない、「自殺」する
しないタイプの人の違いにも通じてるような気もします。

A 回答 (11件中1~10件)

私見ですが。



宗教には基本的に誰でもはまります。
どんなに強固な信念を持っていたって、科学が発展したって、死んだ後はどうなるのかとかココロとは何かとか運命とは何かといったことは納得できるように説明できませんし、もちろん自由に操作することもできません。人間は「わからない」ということを忌避する生物でありいろんなことに考えが及ぶ生物なので、世界とか人生とかいったことについて何らかの物語を求めます。科学の発展や未開地の探検がほぼ終わったことなどによって、大地が巨大な象の上に乗っているわけではないとかキリスト教の神様がみんな白人というのはおかしいとか、いろいろな宗教世界が描いてきた世界像の間違いが暴かれていきましたが、だからといって運命とか生死とか善悪とかいう宗教や哲学が扱っている様々な問題に対しては科学は回答を示せません。そして繰り返しますがわからないことをわからないとして放置できないのが人間の性質です。

日本は国教として神道を持っていたんですが、それを戦争の国威発揚に利用して負けたために現人神の役を担っていた天皇が人間宣言をするはめになって、神様の権威がかなり落ちてしまった。それで人は生まれる前何であって死んだらどうなるのかとかいった世界観について社会的なコンセンサスを持ち合わせていないのです。だからいろんな宗教が普及する余地がある。

実際に宗教にはまるかどうかは個々人の置かれている状況などに大きく依存します。生活の中で恋人にふられて絶望するとか不治の病に侵された場合は科学なんて屁のツッパリにもなりませんから、宗教に傾倒しやすいです。ぼくを含めて多くの人が宗教を無視していられるのは、死とか絶望とかいったことに直面していないからですが、半年後に絶対に世界が滅亡するなんてことになったら宗教が大ブームになるでしょう。

そういった環境要因を除外して個人の気質だけを問題にするなら、何事にも自分の信念を持つような思い込みの強い人の方が実は宗教にはまりやすいです。好き嫌いがはっきりしている人でしょうか。芸術家なんかがそういう特性で宗教に傾倒しやすいです。

しかし特に新興宗教団体なんかは、ぐずぐずしていて決断力が無い人を取り込むためのサークルのような構造を作っていますから、決断力が無い人が一度そこに取り込まれると、抜け出す決断ができないためにそこに居続けます。摂理の問題でこないだテレビでやってましたけど、宗教ですがどうですかというのではなくて、サークルだとか勉強会だとかいって勧誘します。オウムだってヨガの研究会でしたし。こういうグループに生活の多くの部分を依存すると、決断力が弱いタイプの人はおかしいかもしれないと思っても抜け出せません。そういう意味で意思の弱い人も宗教に取り込まれやすい。
考え方が中庸でバランスが取れている人は、極端な思想の宗教にははまりにくいと思います。
そんな感じでしょうか。

オウムだの摂理だの統一教会だの創価学会だのエホバの商人だの慧光塾だのといった周りに迷惑をかける宗教にはまったり、細木数子だの江原啓之といったデタラメを言う連中に惑わされたくなかったら、とりあえず適当に神道なり仏教なりキリスト教なりイスラム教なりを選んでちょっと勉強して信心しとくのがいいと思います。まあ日本だったら神道か仏教でいいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

非常に真摯な内容のご意見。恐縮です。
ここまで、何人かの方々にいただいたご意見の内容を頭の中で
加えながら読ませていただきました。
「考え方が中庸でバランスが取れている人は、極端な思想の宗教には
はまりにくい」・・・(失礼ながら)当たり前な考えではありますが
ここに私が知りたいと思ったことがあるように思えました。
本当にありがとうございます。
白か黒かをはっきりさせようとする行為自体が、カルトにはまりやすい
要因ということですね。そういう意味では、私自身の質問自体も
はまりやすい体質にあふれたものだということにも気づかされました。
重ね重ねありがとうございました。

お礼日時:2006/08/03 03:25

オウム真理教の信者に偏差値の高い大学でしかも理系卒/在学の信者が結構いたのを思い出して下さい。


つまり「普段合理的な考え方をする」「自分に自信がない」とか言うのは宗教にはまる、はまらないにはあまり関係が無いのです。

あくまでも、その人個人の問題でどういった傾向の人が云々ということではないと思います。

たとえばその人がある悩みを持っていたとします。
それは金銭、恋愛、対人関係といった世俗的なものから、或いは「人生の意味」や「戦争は何故起きるのだろう」といった高尚(?)なものまで様々あります。
悩みに悩んでも自分では答えが見いだせない時、そのタイミングで宗教にたまたま接触し、そこでなんらかの強烈な体験(宗教団体側のトリックにせよ、自分の思い込みにせよ)したりすれば後はどっぷりはまります。

一旦「自分の求めていた答えがここにある」と思い込んでしまえば、後はその宗教自体をどんどん正当化する方向に物事が見えるようになってしまいます。
何しろ人間というのは事実をありのままに見るよりも自分の見たいものが見えてしまう動物ですから…。

だから「自分はあんな宗教にはだまされないよ」と普段言っている人も実は危ないのです。

要するに「その人の生い立ち環境や教育、性格」というのもあまり関係はありません。
「あなた」も「私」も宗教にはまってしまう危険性は"0"ではないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「はまる・はまらない人間に差はない」というご意見。
そうかもしれません。やはりどうしようもないことなのかもしれません。
この世から犯罪が無くならないように、人間に課せられたある意味避け
ようのないペナルティなんでしょう。やりきれません。

お礼日時:2006/08/03 03:05

ニュースや週刊誌の記事などで、


カルトの悪行を良く知っていて、カルトに悪いイメージを持っている人は、はまらない気がします。

はまりやすい人は、普段、新聞やニュースや、雑誌の報道をあまり見ない方の方達だという気がします。
見ていれば自然にカルトに悪いイメージを持つ筈で、入会しないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
カルトの記事が載っている週刊誌をコンビニで手にとった時点ですでに
その人はカルトと距離を置いている人ですね。
なぜ、手にとろうと思うのでしょう。カルトにはまる人は何故とらないのでしょうね。

お礼日時:2006/08/03 03:00

合理的な考え方のできない人、思いこみの激しい人がはまると思います。



たとえば占いなど、誰にでも当てはまることを述べていき、相談者が「こうあってほしい」という願望を勝手に結びつけてしまって信じ込んでしまいます。

すこし考えれば、占い師が当てたのではなく、自己願望を投影して自分で勝手に占いが当たったと思いこんでるだけというのが分かるはずなんですが。

そういうのを見抜く能力のない人が、シューキョーにはまるんだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
江原や細木の言う事に大きくうなずく人(特に女性)に「合理性」を
持てというのは荷が思い気もします。難しいですね。

お礼日時:2006/08/03 03:29

#6です。



> これらの人は、はまる以前にその宗教に近づいています。

宗教に近付くことと、それにはまることとの間には、大きな隔たりがあります。例えば、両親が信者で子供の頃からその宗教の身近にいたとか、お客さんからの勧めで止む無く入信したような場合でも、はまるかどうかは別の問題なのです。たとえ、いやいや始めたとしても、はまる人ははまりますし、その逆もありえます。

マスコミ等の世間の評判や、自分が属している会社などに脳みそ全部預けてしまう人は、はまる素養が非常に大きいと思います。

> 知りたいのは、そういった団体に関心を持つ持たないの差は何だろう
> といことだったのですが。

全く下地のないところから関心を持つ理由は人それぞれですね。
目の前の問題を何とかしたいという現世ご利益というか損得勘定で近づく人もいれば、世の中に貢献したくて近づく人もいますし、(私のように)単に付き合いで関わる人もいます。
非常に組織力の大きなところであれば、高度に洗練された布教活動(ある意味で営業テクニック)によって勧誘される場合もあるのでしょう。

> カルト宗教に対して全否定はしておりません。

私も全否定はしませんが、多かれ少なかれ、カルトと呼ばれるところは問題を抱えていることも事実ですね。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりですね。確かに近づくきっかけは、関心有る無しに関係ないこともありますね。無知なる者としてお赦しください。

お答えにありました「はまる素養」とは何でしょう?
そこが、私の一番知りたいところであり、それを防ぐためにはどういう手だてがいるのかということも知りたいことなのです。
う~ん・・・。難しいし、OKwaveの文字制限内では無理な回答かも
しれません。でもなにかしらの結論は得たいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/02 18:40

実際に中に入ってみれば分かることですが、宗教をやっている人といっても、いかにもはまっている人もいれば、着かず離れずといった感じでやっているひともいます。


# 私は大抵、着かず離れず、冷めた目で関わりますが...

私がこれまで見てきた印象では、家族など、周囲の反対が強い人ほど、それしか見えなくなってしまう傾向にあるように思います。もう一つのパターンは、病気やら借金やら子供の非行やらの問題を、その宗教を通じて克服した人も、結構はまるようですね。

自分なりの宗教観というのは、結局のところ自己満足でしかないので、実際にはあまり役に立ちません。それよりも、私としては、人から聞いた話は試してみて真偽を確かめたいですね。そして、宗教だろうが何だろうが、成果に結びつくものを相手にします。

> 確証はないですが、「引きこもり」になるならない、「自殺」する
> しないタイプの人の違いにも通じてるような気もします。

よく分かりませんが、直接の因果関係はないように思います。

宗教にもよるのでしょうが、引きこもりはともかく、自殺は絶対にいけないとするのが普通だと思います。
たとえ世間でカルトと呼ばれる宗教であっても、それで自殺を踏みとどまれたのであれば、その人にとって、その宗教は本物だったということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
質問には、(内容に混乱がおきるかと思い)書きませんでしたが、
カルト宗教に対して全否定はしておりません。
ああいったものに頼らなければ生きていけない人もいますし
ああいったものの他にそれらを補うものが世の中にないこともわかっ
ています。
・・・周囲の反対が強い人ほど、それしか見えなくなってしまう傾向に
あるように思います。もう一つのパターンは、病気やら借金やら子供の
非行やらの問題を、その宗教を通じて克服した人・・・
これらの人は、はまる以前にその宗教に近づいています。
知りたいのは、そういった団体に関心を持つ持たないの差は何だろう
といことだったのですが。

引きこもりや自殺とはやっぱり関係ないのかもしれませんね。
なんか反論じみたお礼になってしまったことをお詫びいたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/02 17:17

気のせいかわかりませんが、精神的に孤独を感じている人が


宗教にはまっていくと思います。
友達がたくさんいるような人ですと、宗教より人間関係を求めると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答者さんのご意見を聞いて、思いつきですが
誰しも心の中にぽっかり穴があいていて、それは孤独だったり不安だったりコンプレックス、親からの愛情不足等で空いているのだと思います。
宗教にはまるはまらないって、その穴に何かしら入れてある人と、
入れるものが無い人の違いじゃないのかなと感じました。
入れてあるのは、信念とか目標とかいったかっこいいもんじゃなく
金もうけ、趣味、物欲、みんなからかわいいと言われたい欲求といった
原始的な世界観のような気がします。

お礼日時:2006/08/02 14:58

まず大きいのが親や親族の宗教観です


親が嫌宗教で宗教の話はタブーというのが一般的ですが
核家族で親戚と疎遠で親しい人間が死んだことがないようなタイプははまりやすい人といえるでしょう

「引きこもり」や「自殺」は宗教での教えで否定される系の物なので、免疫ない人=「宗教にはまる人」といえるかもしれません

カルトにはまらないために中学くらいで教養としての宗教の授業をやって欲しいところですが、
親も免疫無い状態で宗教の授業なんかやったら、親子丼状態で学校が信者を増やす手助けをすることになりそうです

宗教は人としての正しい生き方に通じるものなので、無気力、無責任、無関心、無感動な現代っ子でも免疫がなければ、はまらないようにするのは、むずかしいでしょう
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
親の宗教観とか、育った環境って重要なファクターだというのはなんと
なく思います。じゃ、どのような宗教観の親ならいいのでしょうか。

学校教育に宗教を持ち込めと、マスコミで声を上げて叫ぶ知識人も
いますが、回答者さんのご意見でそれが決して理想型ではないというのが理解できました。
先生によっては、非常にまずいですよね。その先生が創価やマインド
コントロールの達人だったら子供はその餌食にされるでしょうから。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/02 14:42

私も、自分に自信のない人、がはまるような気がします。

さらに踏み込めば、他人の評価でしか自分をはかれない人が、そのよりどころをなくす環境に置かれたとき、不安になり、ついついそちらに入ってしまうのではないでしょうか?

あとは、自分で何かを決めると失敗したときに責任取るのが怖い、と思う人は、誰かが強く引っ張ってくれることについて行く方が、心理的負担が少なくて、そちらに行きたくなるのでは?要するに責任転嫁ですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も自分に自信がありません。不安症タイプの人間です。依存心も充分
あります。でも宗教にははまっていません。何故なんでしょう。

お礼日時:2006/08/02 14:34

個人の価値観の差はありますが


「信念を持ち、自己判断と行動力がある人」このような
人ほど、ハマリ易いと思います。
まず自分の価値観と宗教が一致した場合は、間違いなくハマリます。
ハマッている方の殆どが、「信念と行動力」が人並み上にあると思います。
だからニート、ヒッキーと呼ばれる方は、宗教には走り難いようです。
今でも炎天下の中、布教活動に廻っているのを見かけると思います。
その強い信念には脱帽です。
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この回答へのお礼

No1の方とは、真反対のご意見ですね。
「信念と行動力」が人並み上にある人間は、皆、宗教や団体の「兵士」になるのでしょうか?信念と行動目標を与えられたからそうなるのではないかとも思えます。

お礼日時:2006/08/02 14:31

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