プロが教えるわが家の防犯対策術!

内匠頭は江戸城の調度品担当長官、上野介は群馬県
担当副長官と考えます。殿中刃傷事件の要因として、
群馬の副長官の内匠頭に対する"いじめ"が挙げられる
はずです。上野介と内匠頭はそんな関係なのですか?
逆はありえないのですか?

ご教授の程よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

なぜ刃傷を起こしたかはさておき、上下関係のみ回答します。


上下関係でいうと吉良は浅野より3ランク上位です。
断っておくと、官職は時代で意味合いが異なってきます。他の回答をみますとある時代ではそのとおりだが、他の時代では異なることもあります。

 江戸時代に限りますと、官職には2つの意味があり通称として用いる官職と序列を示す官職があります。さらに位階というものがあります。内匠頭と上野介は通称として用いる官職です。序列を示す官職は
・諸太夫(位階が従五位下で序列を示す官職なしのこと)
・四品(位階が従位四下で序列を示す官職なしのこと)
・侍従 (官職名)
・少将(官職名、正式には左近衛権少将)
とです。侍従以上になるとさらに位階で細かく序列が定められ、同じ少将でも従四位下、従四位上と細分化されてます。
それで、浅野は通称としての官職は内匠頭、序列としての官職はなしで、位階は従五位下です。一方、吉良は通称としての官職は上野介、序列としての官職は少将で、位階は従四位上です。よって吉良は浅野より3つ上、従四位下少将・従四位上少将を区別すると4つ上です。

 江戸時代までは長距、義央という下の名は忌み名といい、文字通り使用するのを避けていました。代わって名乗りためにもちられたのが内匠頭と上野介という官位名です。これは建前上、朝廷から任命されるものですが、通常は自己申告すれば、ほぼ申告どおり任命されます。もちろん本来の官職の職務とはなんのかかわりもありません。単なる呼び名です。

勅使饗応役うんぬんについては他の回答があり、私よりも詳しいので私からの回答はしません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:57

吉良は高家です。

  高家は先賢の書かれている通り、由緒ある家柄で、有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しく、幕府の儀礼、儀式、饗応を司る役ですから、勅使饗応については、内匠頭の上役です。
刃傷の原因については、以前にも質問があり、それもごらん下さい。
赤穂藩江戸詰の重役の不手際との意見があり、有力のようです。
まあ意思疎通を欠いた、気短か老人と癇癪もち壮年のわだかまりに、それがからんだという事でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:55

官位自体は内実を伴いませんが、吉良を従四位・浅野を従五位と決めたのは幕府なので、幕府の定めた上下関係が存在するとしてよいでしょう。


高給取りの課長より、名誉職的な薄給の相談役の方が、社内では丁重に扱われる、という例えで通じますでしょうか。

なお、吉良によるいじめがあったとの証拠・証言は一切存在しません。浅野も、もし恨みがあったのなら、幕府へきちんと申し開きすれば、吉良が御咎め無しになることは、なかったのではないかと考えています。
また、刃傷沙汰の際に浅野が乱心していたのは、老人一人殺せず、軽傷しか負わせられなかった事実で明らかかと。
以上の理由で、自分としては、浅野が癲癇の発作を起こしただけという説に賛成の立場です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:56

浅野長矩は天和3年(1683年)2月に勅使饗応役を拝命し、吉良上野介義央の指導の下、花山院定誠・千種有能の両公家の饗応を無事に務めており、吉良義央とっては信頼できる愛弟子であり、幕府にとってはこの役目をそつなくこなせる人物と思われていました。


元禄14年(1701年)は、師匠の吉良義央が年賀の使者として京都におり、帰路体調不良のため到着が遅れ、江戸に着いたのが2月29日、打ち合わせの時間がなく、前回通りにやればよいと思ったことが齟齬が生じて、2回目の役目では悲劇になってしまった。
吉良家は従四位上左近衛権少将、浅野家は従五位下内匠頭ですから、吉良家の方が上になります。
但しこれは武家の官位ですから、公家の官位とは異なりますけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:55

まず、この時代、官位官職は飾り以下の代物なので力関係に影響しません。


町奉行程度でも守職介職がいますし・・・

まず、この時代重要なのはその時々の幕府内での役職ですね。

ただ、家格も重要ではありますから、一応参考までに・・・

まず、浅野は、戦国武将である浅野長政の三男を元とするので、分家筋の小大名です。さらにこの浅野は豊臣氏の一門格である外様大名。そして長政は秀吉よりはちょっと上とはいえ、弓衆の半足軽からの成り上がりです。もっとも、家格はそれほど低くはないのですが・・・

吉良は、格付けは旗本なんですが、高家の出身です。高家というのは、いわば鎌倉~室町時代の名門です。血筋もはっきりしています。今川とか、足利とか、そういった名門が列せられています。吉良家は足利の支流の名門です。家格は高いのですが・・・領地が狭い(4200石)。

また、吉良義央は上杉家に養子を出しています。上杉家というのはご存知かと思いますが、上杉謙信の家です(もっとも、実際には景勝の代とか、養子がいるため、入れ替わっているのですけどね)。

ただ、あくまで個人対個人で考えないと、本当の力関係はわかりません(外様に近い家でも老職を出している家はありますから)。

まあ、刃傷沙汰の理由は、あくまで不明ですが、いろいろな説があります。
有力な可能性としては、浅野の精神疾患ですね。痞があったのではないかとされています。痞とは、現在で言うところの癇癪みたいなものです。何らかの要因(強い照り返しを見たりとか・・・)で撃鉄が上がり、なにか些細なことで、突然「キレ」るという、周りにとっては最悪かつ対処の難しい代物です。浅野の場合、短気であった可能性は非常に高いのですが、こういった精神疾患があった可能性も否定できません。

また、吉良は、いわゆる「部下いびり」が好きな性格であったとも伝わっています。
浅野の「撃鉄」が上がっているときに、得意のいびりを吉良がしたために、撃鉄下りて浅野はキレてしまったという説ですが・・・まあ、あります。

ただ、この上司部下というのは、内匠頭とか上野介といった、官職名とはまったく関係はないです。そもそも、あれは天皇から賜るものです。
当時、名前は諱(忌み名)として、家族とか目上の人しか呼んではいけないのです。なので、普通は、通り名というもので呼びます。江戸時代には官職名も、この通り名とほとんど同じ程度の代物になっています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/元禄赤穂事件
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:58

上下関係として見るなら、


吉良は従四位上左近衛権少将で、従五位の内匠頭より上位になります。
石高では浅野の方がはるかに上ですが、源氏の正統な血筋である吉良家と、外様大名の浅野家では、家格として吉良家の方が上として扱われました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:52

>内匠頭/上野介の本来の意味合いはご指摘の通です。



が、朝廷の権威が失墜した室町後期ごろから
守(頭)/介(丞)などの官職名の僭称が始り、後には役職とは関係なく、職名がステータスシンボルとして名乗れるようになりました。

およそは家格に応じた職名ですが、吉良上野介の場合は、「高家」という通常の旗本御家人とは別格扱になっていますので、大名家(浅野内匠頭の場合分家ですし)とも対等に話が出来たようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:52

> 殿中刃傷事件の要因として、群馬の副長官の内匠頭に対


> する"いじめ"が挙げられるはずです。

 いじめというのは、フィクションの「忠臣蔵」での話です。観客に分かりやすい理由として近松門左衛門が導入したに過ぎません。

 現実の赤穂事件における吉良傷害の理由は、浅野内匠頭の精神異常です。文字通りの「乱心」ですね。記録を元に精神科医が見たところ、心身症の疑いが強いという結果が出ており、その本も出ています(とっさに探せなかったので、紹介できません)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:51

>内匠頭は江戸城の調度品担当長官、上野介は群馬県担当副長官と考えます。



これは間違いです
江戸時代は、頭や介は単なる呼称です

浅野内匠頭は大名です
吉良上野介は旗本(のはず)です

江戸時代の大名・旗本の上下関係は単純ではありません

老中は、百万石以上の大大名にも命令できる権限がありますが、たかだか数万石の小大名です

一般論はありません、個人対個人でそのときの役職で判断するしかありません
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2006/09/06 05:51

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!